田辺又右衛門とタロー・ミヤケの評伝を取材・執筆したい!https://t.co/RVV8bNV4CS#フリーライター で格闘技史研究家、那嵯さんのプロジェクト🔥#プロレス や古流柔術に興味がある人は必見です😳 pic.twitter.com/UrDwf4QVYc
— CAMPFIRE(キャンプファイヤー) (@campfirejp) 2016年9月20日
https://camp-fire.jp/projects/view/10196
プロジェクト本文
初めまして。私は、フリーライターで格闘技史研究家の那嵯涼介と申します。これまで格闘技の歴史に関して自ら調査した成果を、プロレスムック『Gスピリッツ』や武術雑誌『月刊秘伝』などに寄稿する形で発表しております。現在は、明治時代に日の出の勢いにあった講道館柔道に対峙する古流柔術の急先鋒としてつとに有名だった不遷流柔術の宗家四世田辺又右衛門と、田辺の愛弟子で戦前のアメリカのプロレスのリングで活躍し、力道山にプロレスを指導した沖識名の師匠でもある三宅多留次(タロー・ミヤケ)について、国の内外問わずにその足跡に関する調査を進めております。その結果、多くの新たな事実が判明しましたので、彼らに関するノンフィクション書籍を出版したいと考えております。
現在のところ出版社は決定しておりませんが、私のこれまでのキャリアの中で生まれた人脈もあり、出版に関しましては間違いなく行えるものと確信しております。ちなみに単行本出版前に月刊誌への連載を行う計画があり、そちらに関しましては出版社の内諾を頂いて・・・・(後略)
田辺又右衛門とは、このブログ的に懐かしい名前だ。
以下の記事で紹介している…といってもあるインタビュー記事を紹介しただけだが
■武道の「裏歴史」を読み解け!講道館は官の力で柔術を乗っ取ったのか?(柳澤健)
※特にこれが重要なので宜しく
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090114#p2
■柔道家・田辺又右衛門の話続き
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090115#p4
(上の2リンクは、ここに掲載のインタビューを基にしたもの)kamipro Special 2009 FEBRUARY (エンターブレインムック)
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戦前の柔道って言うのは二つあったの。教育界の大御所にのし上がっていく嘉納治五郎が、柔術という打ち捨てられたものに手を出して教育的な講道館柔道を作ることになるんだけど、当時の嘉納治五郎の周りには落ちぶれた柔術家がいっぱいいたわけよ。そうするとどうなるか。長いものには巻かれろと「講道館の人に、なんとかウチの道場を継いでもらえないか」っていう柔術家が出てくる。でも一方では「ふざけんじゃねえ、俺は講道館に挑戦する」ってヤツもいるわけよ。その代表が不遷流柔術の田辺又右衛門って人で。
(略)
それで闘うことになるんだけど、やっぱり講道館柔道の連中は寝技でかなわない。要は柔術家と柔道家がサブミッション・レスリングをやるみたいなもんだからいくらやっても柔術家が勝つわけ。だけど講道館の歴史にはそんなことは書いていない。
http://mode21.s144.xrea.com/20_/post_1.html
・・・不遷流柔術の田辺又右衛門についても特筆すべき事柄がある。田辺は講道館の大阪支部開場に際し、道場破りを行なっており、嘉納以外の柔道家をなぎ倒したとされる。しかし、嘉納は武術や柔術をそのように利用することは間違っていると指摘し、田辺との乱取りを拒否した。ここに、両者の置かれた立場の相違、すなわち、制度化される柔道と制度化されない柔術との違いが明らかに見て取れる。その後、田辺は、神戸の諏訪山御殿に設置されていた大日本武徳会兵庫県支部で教鞭を取ることとなった。