「ほう? じゃ、きみは、プロレスのあれを何だと言うのかね。まさか、きみは、このわたしに、プロレスが何であるかを教えてくれようとしているのかな。わたしは、きみが、鼻たれのガキの時分から、空手もプロレスもやっていた男だよ。そのわたしに、きみはプロレスの講義をしようというんじゃないだろうね」
「──」
「わたしは、プロレスのあれを八百長とは言ったが、舐めてると言った覚えはないよ。プロレスの恐さは、わたしはよく承知しているさ。そこらの寸止めの空手家などよりもずっとね」
この前、時間が無くて過去記事紹介でつないだ、「プロレス芸」とその謝罪騒動。
m-dojo.hatenadiary.com
この話を、あらためて論じる時に……余談なんだが、計画が実は初手から狂ってな。自分の蔵書にあるはずの小説「餓狼伝(無印)」が見つからなかったのよ。蔵書はあっても必要な時に取り出せなきゃ、無所持と同じ……と、このブログ書き始めてから300回目ぐらいの反省をしたな。そのおかげでテンションが大いに下がったが、それでも必死で検索したらはてなの大物「基本読書」さんのところに該当部分があり、なんとか引用できた、ってわけ。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp
いや、それでもこの「探した資料見つからない」やるとテンション下がるで。
電子書籍のアドバンテージは、見つからないことが無くなる事もひとつ…まあいいや、見つかって引用もできたし、その余談はもうおいておこう。
「プロレス芸」云々のそもそもは、プロレスが「流血の魔術、最強の演技」とも称される…阪神タイガースよりよっぽど先行していた『アレ』のためである(笑)。
この話はずーっと書き続けてるので、逆にどこから紹介・引用していいかわからない(笑)。
ひとつだけ、典型としてのこの記事を紹介しておこう。
ここで大前提的な「プロレス」、あるいは「プロレスの語られ方」に関する基礎知識を。
(略)…
ことしキンドル版が出てら。
プロレスは、あらかじめ試合の結果を決めている。だから純粋な「スポーツ」ではない。
え、知ってた?
いや、そうかもしれない。
・・・・・・プロレスファンは暗黙のうちに深く、非プロレスファンはあからさまな分、表面的に知っていたもろもろのことが、実は21世紀に入ると当事者の生の証言も含めて描かれるようになったのです。
いろいろと前段階を語ることはできるが、「世間」に届いた最初の一撃が、当事者である新日本プロレスのレフェリーだったミスター高橋の本。「高橋本以前」と「以後」に分けられる、とも言われる。これは、その後、世界最大の米国プロレス団体「WWE」が、株式上場や税金上の問題(スポーツ興行と非スポーツ興行で税率が違う)ではっきり<カミングアウト>をしたことでもさらに加速した。
しかし…この「高橋本」でも描かれているが、
だとすると「プロレス」はどうなるか。何なのか。
ただのインチキ?まったく無意味?・・・・・そう思わば思え。
だが。
……つまり、相手の技を分かった上で受け切り、分かった上で流血し、分かった上で敗北を受け入れるということだ。「技を受ける」、と簡単にいうけど、130キロ近い大男が4メートル近い距離から場外に飛んでくるのを、かわしたくてもかわせない、ということだぞ。んで飛ぶほうも、相手が受けることを前提で飛ぶのだ。相手がびびったり、裏切ってかわしたら大怪我はまぬがれない。
そして、競技としての勝敗の代わりに「どれだけ会場に客を呼んだか」「どれだけ観客を熱狂させたか」が厳しく競われる。そこで高く評価されたものは上に行き、そうでないものは下積みを送る。その人気もヒーロー、善玉(ベビーフェイス)としての人気もあれば、悪玉(ヒール)としての人気もある。
「死ね、やられろ」という罵声を浴びることには、穏やかならぬ気持ちもあれば、それだけ客を盛り上げたのだという誇らしげな気持ちもある。
意外な結末や感動的な勝利、後に物語が続く引き分け、裏切りや因縁などのストーリー…業界用語で「ブック」「アングル」と呼ばれる、そんな展開を考える人たちだって日夜、頭を絞っている…(後略)
あるいは
などをさ。
だから、塩村某氏とか萩生田某氏とかは、もうそっくりそのまま、松尾象山の上記セリフを丸写しにすればよかった。というかそういう光景が見たかった!
あるいはこれでもいい。
ただ、もうひとつだけ過去記事を紹介するなら…
m-dojo.hatenadiary.com
それはこのまとめと連動してるんだが、そこのコメント欄にこう記した。
togetter.com
【プロレス話】実はこの作品柱のところにも「久米田先生と畑先生のプロレスをお楽しみください」とか実際に書いてあったけど…ホントに「全日四天王時代のプロレス」だと思ったわ。相互不信で”マジで仕掛けてきたシュート試合”というより、実は相互に信頼して「何でもやってこい!俺も何でもやるぞ!その結果何があっても、恨みっこ無し!」という感じで、そのうえでものすごい大技を仕掛けるような…(それがシュート以上に危険な面がある所も似てる…)
と、「プロレス」を「憎しみ合っているのではなく、相互の信頼によってすごいテクニックを披露し、観客に驚きと感動を与える」ことのポジティブな比喩、としても、それはぶっちゃけ同じ事象なんじゃないか?というね(笑)
その比喩や連想に根拠があり、発言者に確信があれば、撤回しなきゃいい…のかな?「比喩問題、比喩に当事者が怒る問題」は。
上に紹介した再放送、荻上チキ氏の
僕は今は、難解で理解できないものを「●●文学」、不毛な議論のことを「神学論争」、やらせのことを「プロレス」とは呼ばないようにしています。「ポエム」も、揶揄では使わないよう心がけています。ついでに、ただのパワハラ、詭弁、攻撃的な振る舞いのことを「●●節」「毒舌」とも使わない。 https://t.co/w66bFKd1rX
— 荻上チキ (@torakare) May 9, 2021
これへのブクマが、似た例の一覧表になったのはご存じの通り。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/torakare/status/1391300482308608001
ポルノ、ガラパゴス、ハイエナ、お経………などなど、だいたい今回の「プロレスを悪い意味で比喩に使うのはけしからん」と同じ論法でやり玉に挙げられるわけで。
「神学論争」についてはこちらもご参照。
m-dojo.hatenadiary.com
そこでも書いたけど、英語表現の「KABUKI」は、ほぼ萩生田的用法の「プロレス」と同じ意味らしく…英英辞典の記述ないかな…直接は見つからなかったけど。
ちなみに、毎度おなじみUrban Dictionaryによると、「Kabuki」には「偽物、不誠実、見せ掛け」の意味があるようです。これもなんでそんな意味になったのか分からないけど、一応最初に出した例には合ってる感じ。
Kabuki
舞台、考案、劇のために行われるだけの偽の不誠実な何か、リップサービスとも知られる
Theatre, artifice, fake, insincere, something done only for show. AKA lip service
Urban Dictionary「リップサービス」ってマジ分かんないですよね?(笑) いずれにしても、英語の「kabuki」には偽で不誠実ってネガティブな意味合いが入ってしまっているんですね。
Wiktionaryでの「Kabuki」の意味
なお、Wiktionaryによれば、この歌舞伎の変な意味合いはアメリカだけみたいですね:kabuki
(意味を拡張して、アメリカで)定型化された、うぬぼれた、しばしば中身のない演技、(特に)政治的な態度(by extension, US) A stylized, pretentious, and often hollow performance; (especially) political posturing.
Wiktionary
政治家が選挙の時だけ「国民のために汗水垂らして働かさせていただきます」「その問題には真摯に対応します」とか言って、当選したら何もしないような状況を指しているのですね(笑) でも、歌舞伎とは違うともうんだけど・
www.serendipity.page
英語圏のニュースでは、This is now political kabuki theater. などのフレーズを耳にします。タイトルを見れば分かる通り、この kabuki は日本語の「歌舞伎」からきています。実は、英語圏で kabuki は比喩としても使われているのです。
英語圏の人の多くは本物の歌舞伎を観たことがありませんが、彼らにとってのイメージは、不思議な化粧をした俳優が舞台の上で叫んだりオーバーな動きをしているというものでしょう。化粧こそしていないものの、アメリカの議会では情熱的な演説をしている議員が多くいるので、これらが当てはまります。演説の内容が重要なことや納得出来ることならば良いのですが、そうでない場合よく political kabuki といわれます。つまり、 political kabuki は「芝居がかった政治」といったニュアンスでしょう。
www.eigowithluke.com
……いや?このへんって、英語メディアに真っ向から「そういうふうにKABUKIの言葉を使うのはオリエンタリズムだ、レイシズムだ」といえば結構簡単にキャンカルできるかもな?そして"POLITICAL KABUKI"とかは”POLITICAL MUTA”と言い換えられる……
ザ・グレート・カブキ×グレート・ムタ親子コラボTシャツ絶賛販売中!全米を震撼させたカブキ&ムタのメモリアルなTシャツ!是非、この機会にお求めください。
— MUTO OFFICE 公式 (@muto_office) January 11, 2023
オフィシャル通販 → https://t.co/WB6QBRxaVe#グレートムタ #グレートカブキ #プロレス #Tシャツ #noah_ghc pic.twitter.com/mN0U6D6Iwj
ちなみに、ムタ引退試合前の先導役をもって、カブキがリングに上がってヌンチャクを披露するのも最後だったという……
GREAT MUTA FINAL " BYE-BYE"ありがとうございました。
— かぶきうぃずふぁみりぃ (@thegreatkabuki9) January 22, 2023
魔界の扉を閉める息子ムタを見届けてまいりました。
そしてカブキもリング上にコスチューム姿であがりヌンチャクの舞をお見せするのは最後にする決意をしたようです。 pic.twitter.com/lFBaA6vl2f
まて、なんの話だったっけ。
あー、まあそういうわけで、たしかに一応、日本国籍を持つ当方からみても、歌舞伎はオーバーアクションを様式美に高めた側面がある、と感じられる。それを見た外国人が、仰々しい政治的パフォーマンスを「まるでKABUKIのようだネ」と感じて比喩にするのを、止められるか?あるいは上の想像のようにポリコレ棒をぶん回して止めることができるとして、止めるべきか?、と。そういうことではないかいな。
こういう実例があって…ふつう、「小乗仏教と言ってはいけない、上座部仏教である」というのは「プロレス」という用語より強制力が強いというか、高校の歴史教科書にも載ってるぐらいな、かなり確固としたルールなわけだけど、
呉智英は著書の中で、以下のように述べて……
そして平然と、以下ずっと「小乗仏教」の用語を使って一冊書きとおした。
ん、文庫にもなったんだ?
まあ、呉智英はこの種の言葉の問題に関しては筋金入りで、何しろ高島俊男と組んで、”あの岩波書店”に、コレを認めさせた!ぐらいだからね。
いや、もっと剣呑で、ダイレクトに社会にインパクトを与える「比喩表現と、それが問題視されて撤回や謝罪とかになる事例」について述べてたっけ……
www.youtube.com
www.youtube.com
なにしろ筑紫哲也氏もだ、自分の番組のコメントで…(各自調査)
そういえば、この前TBSがジャニーズの問題について自局の問題を”検証”したという話が出たけど、その内容というかそれへの評価が比喩化されて「田舎のTBS特別委調査」とか「TBS特別委調査芸」というふうに使われたら、どうなるんかな。
[B! ジャニーズ] 旧ジャニーズ事務所問題に関する特別調査委員会による報告書|コーポレート・ガバナンス|TBSホールディングス
[B! 報道] TBS、旧ジャニーズの事件で「メンバー」呼称の理由「適当な肩書が見つからず」忖度は否定 - 芸能 : 日刊スポーツ
「他力本願」については結構有名かもしれない。一向坊主共が怒っておるわ。
他力本願
誤解して使っていませんか?
「この一敗で、自力じりき優勝の道は絶望ですね。あとは、他力本願に頼るしかないですね」
スポーツ報道でよく聞かれる話です。
この場合、これからいくら勝ち続けても優勝はできない。今度は相手が負けるのを待つしかない、という意味でしょう。
このように「他力本願」は、もっぱら他人の力をあてにする、他人まかせという意味で、いろんな場面で使われています。これはたいへんな誤解です。
しかし、世の中妥協も必要。言い換えもやむなしだと思う。個人的提案では……
「プロレス」を出来レース、インチキ、偽物……とかそういうニュアンスで、侮蔑的な意味を込めて呼ぶなら、それ「SF」で言い換えられるだろ。
「あんなのSFなんですよ」「田舎のSF」「またSF芸ですか」「SFまがいのことされちゃ困る」……うん、だいたい通じる。