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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

仙台でのプロレスの思い出。今回の宮城県の被災を思いつつ

一時期、仙台に居を置いたことがある。
当時はインターネットの普及もまだまだの時代、すなわち週刊プロレス週刊ゴングなど活字プロレス全盛期(成熟期というべきか?)の時代。
高橋本も当然出る前で、その先駆けになる「ビヨンド・ザ・マット」なんかは上映されたのかされなかったか。要は自分は勝敗も含め、アツく見ていた時代でした。
敢えて調べず、記憶だけで書くが、全日本派の自分は仙台というと宮城県スポーツセンター(ちょっと坂のところにあったか)での全日本。ご当地出身ということで菊池毅のいいカードが組まれ、小橋建太とのアジアタッグ戴冠を見た記憶がある。たぶん相手はカンナムエキスプレスだった。
必ずといっていいほど、世界最強タッグは仙台に来てくれたので風物詩のようだった。

これはたぶん、もう一つの地下鉄で行く会場での話だと思うが、スティーブ・ウィリアムスの入場を席を立って入り口近くで待ち構えていたら、椅子を振りかぶった状態でドクターデスは疾走してきたことがあった(笑)。あの時の迫力、入場時にこちらがびびった感覚は、ブロディ以来でした。

リングスも2回ほど観戦。たしかウイリー・ウイリアムスがメインで実にしょぼかった記憶あり。「寝技に行かれたんだからしょうがない」と無理に納得したなあ。
 
実現しなかったことが強烈に印象残っているのはグレート・ムタvsグレート・カブキの”親子対決”。直前でどっちかが負傷欠場し、今映像に残っているカブキvsムタはその後に再度組まれたカード。怪奇派同士の対決史に残る屈指の好勝負で、ビデオでその試合を見た時は歯噛みしたもんだった。
仙台はやはり大箱なので、新日もムタをよく登場させ、ここではエル・ヒガンテ戦などが組まれた。
 
そしてなんといってもみちのくプロレス!!
もともと岩手などの出身者が多い同団体は仙台に地盤がなかったか、来るのは遅く、最初はなんとか海洋センターとか多賀城によく来てたが、そのうち、仙山線に乗っていると非常に不気味な怪獣に見える、巨大な「仙台観音」像のお膝元(文字どおり)が会場になった。まだ大量離脱が起こる前、デルフィンも浪速もKAIENTAIもまとめて見られたころだったな。
マジックマンというほとんど素人のようなイロモノ外人も、ヨネvsウィルキンスもあった。
 
 
・・・・・いま文章を見直しても、えらく長々と書いたな(笑)。
そういうことで宮城県、仙台でのプロレス観戦は楽しい思い出ばかりだが、そこであらためて思うに、あの時会場にいた人の何割かは確実に被災し、また何割かは確実に命を失ったのだろう、ということだ。
(自分のいたところはかなり内陸部で、知人もほぼ全員被害軽微、怪我なし。仙台は以前から合併が多く、太平洋と山形県との境まで(要は宮城県の東端から西端まで)伸びているので、今回の被害も一概では無い)
「チャチャチャ」も「キョーヘー」も重低音ストンピングも一緒にやったかれらの不幸を、自分が察しようもない。

そして
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110330/p3
で引用したように、この前読売「編集手帳」子が、震災後に訪れた花見の季節について語っている。
後半部分を再引用したい。

◆人を悼む心が花にもあるのか、今年はサクラの開花は遅めというが、それでも四国や九州から、ぽつりぽつりと花便りの届く季節を迎えた
◆花に浮かれる心をたしなめて「泣いてる人」を思いやった暮鳥の優しさにうなずきつつ、だが――とも思う。生き残った者の誰かしらが、生かされてある者の誰かが世の中の歯車を動かしていかねばならない。音は小さくとも、季節の催事も“ガッタン”と刻む歯車の一つだろう
◆この春、多くの人が愛でるのは、花ではなく、酒でもご馳走でもなく、生きてある身のありがたさに違いない。宴の筵(むしろ)で、そういう供養もある

私事だが、3月は震災以前も以降も、格闘技やプロレス関係のイベントには行けなかった。これは普通に、日程上の都合も、余震や運休などの物理的な都合もあったが、やはりあの震災後は気分的にも行く気になりにくかった、というところも相当ある。
 
だが4月は、おそらく行く事ができるだろう。
亡くなった人、被災した人の代わりに見るとか楽しむなどという僭越なことはそもそもできようもない。だが、ただその中にはたくさんの愛好家がいただろう、という当たり前のことを、そういう思いを、こうやって文章にすることで整理したかった。


どうにもわたくしごとに属する話で、読者には失礼。