史上最も無能な征夷大将軍
やる気なし
使命感なし
執着なし
なぜこんな人間が天下を獲れてしまったのか?動乱前夜、北条家の独裁政権が続いて、鎌倉府の信用は地に堕ちていた。
足利直義は、怠惰な兄・尊氏を常に励まし、幕府の粛清から足利家を守ろうとする。やがて天皇から北条家討伐の勅命が下り、一族を挙げて反旗を翻した。
一方、足利家の重臣・高師直は倒幕後、朝廷の世が来たことに愕然とする。
後醍醐天皇には、武士に政権を委ねるつもりなどなかったのだ。
怒り狂う直義と共に、尊氏を抜きにして新生幕府の樹立を画策し始める。混迷する時代に、尊氏のような意志を欠いた人間が、
何度も失脚の窮地に立たされながらも権力の頂点へと登り詰められたのはなぜか?
幕府の祖でありながら、謎に包まれた初代将軍・足利尊氏の秘密を解き明かす歴史群像劇。
「なろう」小説が「パーティ追放」や「悪役令嬢」のコンセプトを共有・競作しているとよく言われるけど、歴史上の人物の評価というかキャラクター付けも案外、「ひとつの受けたコンセプトが共有される」という点では似ているかもしれない(今気づいた)
「足利尊氏って、なんですごいのか、何故肝心なところで成功したのかわけわからん」というのは、学問の研究上かエンタメの蓄積か、それこそなんかわかんないけど最近言われるようになってきて…
1か月ほど前か、例の「逃げ上手の若君」で盛大に擦られた。
togetter.com
歴史書が考察ぶん投げてるの面白すぎるだろ pic.twitter.com/rFCP2qUIG7
— 金鰤の者 (@kinburi_wj) June 4, 2023
……菊池弥大勢に成て、頓て多々良浜へぞ寄懸ける。将軍は香椎宮に取挙て、遥に菊池が勢を見給ふに、四五万騎も有らんと覚敷く、御方は纔に三百騎には過ず。而も半は馬にも乗ず鎧をも著ず、「此兵を以て彼大敵に合ん事、■蜉動大樹、蟷螂遮流車不異。憖なる軍して、云甲斐なき敵に合んよりは腹を切ん。」と、将軍は被仰けるを、左馬頭直義堅く諌申れけるは、「合戦の勝負は、必も大勢小勢に依べからず。異国に漢高祖■陽の囲を出時は、才に二十八騎に成しかども、遂に項羽が百万騎に討勝て天下を保り。吾朝の近比は、右大将頼朝卿土肥の杉山の合戦に討負て臥木の中に隠し時は、僅に七騎に成て候しか共、終に平氏の一類を亡して累葉久武将の位を続候はずや。二十八騎を以て百万騎の囲を出、七騎を以て伏木の下に隠れし機分、全く臆病にて命を捨兼しには非ず、只天運の保べき処を恃し者也。今敵の勢誠に雲霞の如しといへども、御方の三百余騎は今迄著纏て、我等が前途を見はてんと思へる一人当千の勇士なれば、一人も敵に後を見せ候はじ。此三百騎志を同する程ならば、などか敵を追払はで候べき。御自害の事曾て有べからず。先直義馳向て一軍仕て見候はん。」と申捨て、左馬頭香椎宮を打立給へば…
(略)
…皆一方の大将共なり。又九州の強敵ともなりぬべき者也しが、天運時至ざれば加様に皆滅されにけり。爾より後は九国・二嶋、悉将軍に付順奉ずと云者なし。此全く菊池が不覚にも非ず、又直義朝臣の謀にも依らず、啻将軍天下の主と成給ふべき過去の善因催して、霊神擁護の威を加へ給しかば、不慮に勝ことを得て一時に靡き順けり。
……惨さんたる人は、総大将の菊池武敏だった。
彼に、もう一刻ときの時をかしていたら、久原川の洲で、敵将足利直義ただよしを討ち取ってもいたろうに、せつなを、自軍の内から覆くつがえされて、城じょうノ越前えちぜん、赤星六郎兵衛、ほか三十七人の旗本まで、みなバタバタと討死をとげ、彼自身も重傷を負って、からくも危地を脱だっしえたほどだった。
様相すべて、ものの半日もたたないうちの一変である。
いったい、なにが?
何の作用が、この狂奔と大転機をよんでいたのか。――血の曠野はただ狂える物のようでありながら、尊氏の行く一勢のみは、それを中心に、続々と、騎馬鉄甲の影が厚くなって行くばかりだった。――おそらくは尊氏自身すらも、こう急激に凱歌の門が、こつねんと征野の前に開かれようとは、予想もしていなかったのではなかろうか。とまれ彼は、残敵を掃蕩そうとうしながら、その日の午後にはもう博多の内へ入っていた。
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そういうコンセプトの小説が文春から出る、そんな時代。