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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「どうする家康」鳥居強右衛門に関する雑感




togetter.com


箇条書きで、自分なりの雑想雑感を。


・まず、このほんの一瞬だけ歴史に登場する(その上、伝説は多いが確実は資料が少ない)、だけど非常にかっこいい「歴史の特別出演」的な存在の「鳥居強右衛門」だが、実はこの人1人を論じた専門書が出ている。

天正3年の長篠合戦で朽ちた無名の兵(鳥居強右衛門/とりい・すねえもん)は、なぜ数多の文献に名を残し、旗にその姿が描かれたのか。歴史叙述における強右衛門の実像と虚像のズレから、歴史とは何かを考える試み。

読んで面白かった記憶はあるんだが、うーんお恥ずかしい、忘れてしまった細部を(笑)



・うろ覚えで言うと、上に書いたように「遡ってみると、確実な資料はない」
「残酷趣味にすら見える、磔の絵が忠義と勇気を象徴する旗指物として伝わった」
「その画像の伝承経緯をたどった(たとえば磔か逆さ磔か、など)」
みたいな研究で、スリリングだったのは覚えている。



・そもそも自分は、これ伝説だろ?というか外国事例の翻案だろ?と思ったのよ。というのは磔って、やっぱりキリスト的なものだと思ったから。
そして後述のこの人が大ウソつきで(笑)、自分はそれで先に知ったから、ローマの事例が日本に伝わって伝説となった、と思ってたんだ。



こんなに平然と、舞台を変更して翻案物語にしちゃうってどうなんだ、と思わないでもないし、実際にだまされたんだが(笑)、昔の子はこうやってうっすらと教養を蓄積していったんだろうな、とか、歴史上の逸話・英雄譚がやはり「娯楽の王」だった時代も長いんだろうな、とかそんな感心もしちゃった。



・ところがずっと遡る中国の故事に「晋の解揚」という人物がおり、このエピソードは実に酷似しておる。この翻案か、単に似た事例はどこでも発生するのか…

ameblo.jp

この話に酷似した物語が中国の春秋時代にありますむらさき音符
「栄(ソウ)」に仕える解揚(カイヨウ)が敵国の「楚(ソ)」に攻められた時、同盟国の「晋(シン)」に救援を請いに行きます
「晋」は信長と違い軍勢を出すと言って実際には出しませんでした
しかし、軍勢が来ると思った解揚は急ぎ戻る途中捕まってしまい、拷問にかけられ救援の事をしゃべってしまいました
鳥居強右衛門同様、取引を受け入れ「栄」の士気を上げるために救援は来ると呼びかけます
この時、「栄」を攻めていたのは
後に春秋5覇と謳われる「楚」の名君の荘王でした
なぜ騙したかと荘王が聞いたとき解揚は一度君主から命じられれば全うするのが忠誠というもの、取引に応じたのは命令を全うするためで忠義であると答えました
荘王は命を捨ててでも自分の国に忠義を尽くす解揚という男に敬意を示し生きて釈放しました


・そもそも長篠城は本来なら十分持ちこたえられたはずだが、武田の火矢で食糧庫が全焼、そのための飢餓でピンチになったんだとか。じゃあ織田や徳川の救援が遅い、とも強く言えないだろうよ本来は(笑)それはそれで守備側の不面目だし、しかし火矢ってそれなりにやっぱり効き目があるんだね。

5月8日の開戦に始まり、11、12、13日にも攻撃を受けながらも、周囲を谷川に囲まれた長篠城は何とか防衛を続けていた。しかし、13日に武田軍から放たれた火矢によって、城の北側に在った兵糧庫を焼失。食糧を失った長篠城は長期籠城の構えから一転、このままではあと数日で落城という絶体絶命の状況に追い詰められた
鳥居強右衛門 - Wikipedia

・にしても当時は結局「包囲された城は情報も遮断される。援軍が来るか、来ないか。来るならいつか。それによって抗戦を続けるか降伏するかも左右される」という、そういう「ゲームのルール」があるのだよね、と実感。援軍が来なければむしろ降伏するのが部下や兵のためだし、援軍が来ないなら、それは援軍側=領主側の不面目。それは武田と織田徳川の攻守が逆転した高天神城奪回の戦の時に顕著であった。

『武田四郎御武辺に恐れ、眼前に甲斐信濃駿河三か国にて歴々の者上下其の数を知らず、高天神にて干殺しにさせ、後巻仕らず、天下の面目を失ひ候』(信長公記

この時は、この援軍しないことの不面目を際立たせるため、「降伏」すら許さなかったとか
それは岩明均原作の「レイリ」で描かれている。


・そして同じ岩明均の「雪の峠」は上杉謙信のエピソードが冒頭で登場するのだが、まさにこれも長篠や高天神と同じく「援軍が来るか来ないか?間に合うか?」が焦点で、あとちょっとで到着なのにそれが伝わらず降伏開城した味方に謙信は激怒、そして…となる。もとは「松隣夜話」にあるとか。

雪の峠 上杉謙信


・上の「雪の峠」と謙信の逸話関連を検索したところ、こんな漫画評論ページを見つけた。
実に秀逸な評だが、懐かしのhtmlに独自のページを残す形…相当昔のページかなこれ、と思ったら、最新の漫画評も載ってる。
http://shira-yawa.sakura.ne.jp/kansou/yukinotouge.html
http://shira-yawa.sakura.ne.jp/index.html
かいておられるかたのアカウント
twitter.com


・包囲された城から秘密のルートを手繰って外へ出て連絡し、また城に戻るというのは、どれぐらい通常あったのだろうか。どちらにしても伝令はこの時代超重要な戦場の花だった。その一方で、激戦地を離れられるのだから、そういう意味でのリスクは回避できる。だからけっこう、実際の歴史でも物語でも「超危険な任務を負わせる、期待のエース」が伝令のこともあれば「少年とか女性とかで、ここで戦わせて殺すには忍びない。伝令役ということでここを離れよ。だが伝令役も重要なのだ、決してただ逃がすというわけではないぞ(と、ここにとどまって戦うという少年を説得する)」なんてパターンあるよね。



・だから情報が「無線」で相互に伝わるというのは、なんともエポックメイキングな話で、まさにゲームチェンジャー。長篠に無線があったら、ああはならんわけで。
戦争の姿を根本から変えるから、異世界ものでも「無線」に相当する魔法をあえて登場させるというのはおなじみの風景。



・そのため無線に代わる何かも、前近代は必死で探した。そもそも鳥居と長篠でも、鳥居は「狼煙」を挙げることに成功して、援軍情報自体は伝わってるのよ。だからそれを「否定」するのに鳥居証言をとろうとしただけで。

信長の援軍3万が岡崎城に到着しており、織田・徳川連合軍3万8,000は翌日にも長篠へ向けて出発する手筈となっていた。これを知って喜んだ強右衛門は、この朗報を一刻も早く味方に伝えようと、すぐに長篠城へ向かって引き返した[注釈 2]。16日の早朝、往路と同じ山で烽火を掲げた後、さらに詳報を伝えるべく入城を試みた。ところが、城の近くの有海村(城の西岸の村)で、武田軍の兵に見付かり、捕らえられてしまった。烽火が上がるたびに城内から上がる歓声を不審に思う包囲中の武田軍は、警戒を強めていたのである。
ja.wikipedia.org


・そういう点では、昭和30年代まで現役だったという「伝書鳩」が、戦国時代でも盛んだったら果たしてどうなってたか。長篠城高天神城に次々入ってくる鳩を撃ち落とすのも困難だろうし
伝書鳩は以前研究したら、古代エジプトとかローマでも使われていたが、日本では広まらなかったらしい…
m-dojo.hatenadiary.com

戦国時代にタイムスリップして織田信長に会ったら(また会いやすいんだこれが)、伝書鳩を売り込めばかなり重用されるんじゃないか?めちゃくちゃハードな仕事を命じられるだろうけど(笑)


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