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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

【新書メモ】JCBはなぜ「国際ブランド化」できたか?「サムライカード、世界へ」(文春新書、02年)を今読むと面白い

突然 「JCB」 が話題になりました。
www.gadget2ch.com

そのブクマ。
[B! クレジットカード] 【朗報】国産クレカ「JCB」、メリットが「国産」しかない…

そこで、自分がほんの一言、何気なく書いたはてブコメントが結構スターがついた…

この「同じことなら自国企業を使う」というのはけっこう重要な面あり、特に決済とかすごく重要

このテーマは、実のところカード会社だけでなく「各種の主要インフラ・サービスは国際大企業に任せるべきか、『国内産業』を育成すべきか?」という話である(べき)で、本当ならそっちに話を拡大させたい(なんどか過去記事を書いた)。
つまりこういうテーマを、あとで論じたい。
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だが、その前にJCBに限定して……。

2002年に出された文春新書でまさに JCB の海外進出を描く「サムライカード、世界へ」という新書がある。

内容(「BOOK」データベースより)
日本の大手カード会社のなかで、独自の海外展開戦略を貫いたのはJCBだけである。そして今、JCBはアメックス、VISA、マスター、ダイナースの四大カード会社に伍して、世界中で確実なシェアを獲得している。純国産の「サムライカード」は、世界ブランドとして成功したのだ。周囲の冷たい目の中、徒手空拳で海外に飛び出し、クレジットカードの仕組みさえ知らない人々の間に敢えて乗り込んでいった男たちが流した汗と涙の物語がここにある。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
湯谷/昇羊
鳥取県出身、法政大学経済学部卒業。二十年以上にわたり銀行を中心とする金融業界の取材を行っている。『週刊ダイヤモンド』副編集長。2000年には立命館大学客員教授として教え、生保労連のユニオンアドバイザーでもある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

手元にあるので内容をざっと紹介します。

JCB三和銀行出資のカード会社。
1980年2月…住友クレジットが VISA と提携して日本初の国内外共通カードを発行した。

それまで国際カードは国内カードとは別に発行され有効期間が定まっていた。しかも有料。


これに対抗して住友 VISA カードは国内外一緒の1カード、しかも無料発行。ビザは世界最大の組織
さらに1980年4月、 JCB と提携していたアメックスが日本で自社のゴールドカード発行を始めた。
まさに1980年とは、仁義なきカード戦争が日本で始まった年であり、それは否応なく世界戦略が必要になるということであった。



ちなみにクレジットカードの歴史はそんなに古くなる1950年スタート。あるお金持ちがレストランで食事をしたものの現金の持ち合わせが無く大変な思いをした。「自分の顔を知らないレストランでも付けで食事ができるシステムはできないか」という細やかな思いからクレジットカードは誕生したのである(ダイナースカード)。




1980年に話を戻して… VISA カードの驚異の前に JCB の選択は三つ。
1: VISA カードかマスターカードに参加する
2:独自の海外展開を行う
3:現状を維持する
結局 JCB は日本のカード商売のパイオニアとしての誇りを賭け独自の国際化を決断する。




だが当時は英語を喋れる人材の絶対的不足があり、 JCB知名度もまるでない。手探りでやり始めてドコデモけんもほろろ
ドンキホーテになってしまうぞ」、ぐらいはまだ良い方で、「サムライカードならぬ、討ち死に必至のハラキリカードだ」などと言われたりもした。




そもそも当時のJCBカードの有効期限は元号表示、名前もカタカナで表記!
これを海外で通用させるというのが無茶なところだ。
しかしそれでも香港で実に投機的なビジネスをすることで毀誉褒貶の絶えなかった「OTB」と提携 するなどした。



英語人材の不足に至っては、説明の丸暗記やら「経験則的にカラオケの巧いやつは語学も進歩する」とカラオケで人材を選抜したり…
それでも「WHY NOT(ダメな理由がない=OKだよ)」と言われたら、「あ、『ノット』か仕方ない、次行こう」と腰を浮かしかけ、慌てて相手が止める、なんてことにも…




そうやって JCB がいかにも昭和的アプローチで海外の取り扱い店舗を増やすための飛び込み営業をしている時、 VISA カードと提携した住友銀行は、地銀などを巻き込んでフランチャイズ戦略をとり、ぐんぐん拡大する。「 VISA ジャパンに加盟すれば世界中でカードが使えます。 JCB はできません」を殺し文句に…



それに対し JCB は中国、東欧などを次々と開拓する。 特に中国にはカードの概念を1年以上もかけて理解してもらう文字通りのパイオニアだったのだ。
JCBはさらに台湾にも進出。 カードに書かれた招き猫のデザインが大変に人気になったと言う。拡大戦略はやはり国それぞれで台湾では「もれなくプレゼント」的な企画が人気だった。中山美穂の CM も大受けした。
この当時、台湾の銀行間の競争も激烈になっていた。



アメリカでは JCBバンクオブアメリカが歴史的な提携を決める。
その一方、巨大米国企業と提携したことにより JCB が全くオンライン処理の 分野で遅れていることがわかる。ここは必死になってオンラインに対応しようともがき続け、何とか形になった。



JCBアメリカ進出成功の立役者は文学博士号を持つクルメ、高校生の時にイランからアメリカに渡ったエスハー。本音と建前とか、結果より努力を評価、どこから東京本部にお伺いを立てるべきか、発表後の変更を嫌い最初から正確に発表せねばならない…などなどお決まりの日本文化とのギャップに悩みつつ、またさらにお決まりの「カラオケでコミュニケーション」を撮ったりして非常に日本に馴染んだ米国トップだった。コンビを組んだその上の上司、村田は真面目なクルメに対して下ネタジョークが多い人間だったが、さすが80年代、それが米国でも大受けしたのだった(笑)




JCB 以外の話題では、 VISA カードとマスターカードの地位が日本で地位が逆転した、という話がある。元々マスターが強かったのがビザが逆転したのは、銀行系カードである VISA カードの加盟店が日本信販などのノンバンクに解放されたことにある。
実は VISA カードが組んだ住友銀行が 、この業界で強烈な行動をとるあまりに異端視され、他の銀行に浸透しなかった(笑)。そこで日本信販とゆうちょのキャッシュカードが一体化していることに目をつけ、そこを経由すればゆうちょカードも VISA が使えるように仕組みを作った。これに日本の銀行は猛反発し、一度は切開したのだけれども「スペシャルライセンシー」を与える枠組みで実現させた。




この本が出た2002年当時、 今後の課題として取り上げられているのが「 IC カード化」だったのだから隔世の感がある。結局80年代が、カード会社としてもオンライン化のはじまりで、これがあったから現在のサービスが使えるのだ。 システム対応ができたので定型アイテムを有する加盟店がオセロゲームのように一気に JCB の加盟店となった。
94年にイギリスのバークレイズ銀行の提携、95年はそれまでけんもほろろのサイドだったナットウエスト銀行が自分たちの方から「 JCB をやらせてくれ」と頼んできたそう。




その頃 Suica カードは、 JR東日本ビューカードと一体化したい、との要望を持っていたが、 VISA カードの方が国際的な仕様が決まらない限り不可能、と言ってき。それに対してJCBカードは「うちはやれますよ」、と熱烈にアピールしているという。これが独自のブランドの強みなのだ。(2002年の話。結局どうなったかわからない)




この時代、 IC カードが普及したからクレジットカードに大規模かつ横断的にポイントが貯められるようになったという面もある。この本では「携帯電話をクレジットカードにしようという試みも”始まっている”」という段階だった。




韓国ではこの当時、約200万店が加盟。120万人が会員だった 。当時の目標は10%のシェアでそれは達成できそうだと言われていた。
特筆すべきは当時韓国で小売全体に占めるカード売上が日本7%、アメリカでも25%なのに対し60%とものすごい日いつだったことだ。これは脱税防止などを図るためにカード利用すると明細書下4桁番号で1000万ぐらいの賞金が当たるという促進策を政府が打ち出したからだ。このキャッシュレスの進展が大きかった。また JCBの普及は、この歳に2002年ワールドカップ日韓共催だったため日本でも韓国でも使えると言うことが利点だったと言う。




この当時、 JCBの中で、世界で一番伸びていたのが中国での売上だった。
だがその時に同書でほんの数ページ、「銀連カード」を中国人民銀行が普及させようとしているという記述がある。国家としてクレジット協会を育てようという戦略で、その当時は VISA カードも jcbカードも、中国での普及に全力を挙げていたが、中国は銀連カードを、 JCB がそうやったように、独自に国際展開するのではないか?という見立ても1行だけ書かれている。
未来から答え合わせすると、まさしくそうなったわけだ。