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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「矢口高雄はなぜ絵が巧い?」⇒「下宿先が偶然名画収集家で、気に入られて作品を多数鑑賞したから」⇒「そんな都合いいラノベみたいな話が」

この前「矢口高雄展」開催中、という話のとっかかりだけ書いて終えてしまったので

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続きというか本題に入ります。「矢口高雄の絵の上手さ、その秘密」についての一端。

こんなまとめが少し前に話題になりました。

togetter.com


この絵の上手さに関する、ほんの少しの理由を、作者本人が明かしている。それが銀行員時代を回想した「9で割れ!!」だ。

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…と、2回ほど簡易な紹介を書いたが、一番重要というか自分が印象に残るエピソードは紹介していなかった。矢口の「画の上手さ」の一端に連なるこの話は、というと……


若き彼が、秋田県内の地方銀行(※銀行の固有名詞は、配慮されて架空の名称となっているようだ)の支局勤務となった時、ある老夫婦宅に下宿した、と言うところから始まる。
アパートやマンションでなく、民家に下宿…というのがいかにも昭和だが、甘い甘い、昭和度がさらに一桁違う。
この老夫婦は日銭に困って下宿屋をやっているのではなく、それどころか超大金持ちの山林地主。用心棒と、子供のいないさみしさを紛らわせる話し相手として、地方の一流企業から身元のしっかりした若者を下宿人として呼んでいた、のでした。
食事から身の回りの世話まで超豪華。

9で割れ下宿
9で割れ下宿

有難いが、そのゆとりあるライフスタイルは、矢口高雄が生家の母親の境遇と比べて、社会の矛盾に思いを致すレベル。少し世界線が違えば、大好きだった白土三平ばりの社会派漫画家になったかもしれない。

9で割れ下宿


だけど、それ以上に、若き矢口高雄にとってうれしいし、またその家主さんにとっても嬉しい縁があった。その縁とは、「画」が結んだ縁………。

9で割れ! 下宿と名画。矢口高雄の画力のひみつ
9で割れ! 下宿と名画。矢口高雄の画力のひみつ
9で割れ! 下宿と名画。矢口高雄の画力のひみつ


ここのところが、ちょっと読ませどころ。
自分のコレクションしている名画に大感心してじっと鑑賞する、それだけで持ち主にとっては琴線にふれるいい下宿人だが、そこに大金持ちの自分へに対する媚や迎合では無く「ボクは(あなたには分からない)この絵の良さがわかります!!……で、……で、……だからすごいんですよ!さあどうです、ドヤッ!」と、ある意味背伸びして挑戦的に、挑むようにまくしたてられるけど、結局それは全て褒め言葉………こりゃ嬉しいだろうね、というのが手に取るようにわかる。

ああ、少女漫画でいえば「お前…おもしれー女だなあ」ってやつ(笑)??「ハコヅメ」でそういうパターン知ったけど。

※さらに、これはブクマコメントを見てはぁーなるほどと思ったのだけど、ここで矢口が若い反発心から「この絵の凄さ、を無理にでも言葉にする」という作業を行ったことが、まさに最高のトレーニング…「言語化する」になった、という指摘が。

「矢口高雄はなぜ絵が巧い?」⇒「下宿先が偶然名画収集家で、気に入られて作品を多数鑑賞したから」⇒「そんな都合いいラノベみたいな話が」 - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

ちょっと反抗心から絵についての自分なりの考察をおじいちゃんに披露したみたいだけど、そうやって物を考えながらひとつひとつの絵を丁寧に見て言語化することが絵の上達を加速させたんだろうねぇ…

2022/11/19 15:46
b.hatena.ne.jp
「矢口高雄はなぜ絵が巧い?」⇒「下宿先が偶然名画収集家で、気に入られて作品を多数鑑賞したから」⇒「そんな都合いいラノベみたいな話が」 - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

このエピソードでいうなら名画に囲まれてたからではなく、我流でも絵の批評ができるところでは。どこがすごいのか語れるなら、自分で描くときもそれを反映できる。

2022/11/19 22:15
b.hatena.ne.jp



じゃあ、ということで大家さんも大サービス!!
それも「自慢のコレクションを特別に見せてやろう」じゃなくて、粋に、「ちょっと高橋くん(矢口の本名)、虫干しを手伝ってくれんか」となる。

9で割れ! 下宿と名画。矢口高雄の画力のひみつ

すると…

9で割れ! 下宿と名画。矢口高雄の画力のひみつ


ここで、大家が持っている絵が本当にいい名画で、店子も本当に絵が大好きで、幸せに終わるのが落語「寝床」と違うところだ。店子が「あの大家さんも、持ってる絵を見せて講釈しなきゃ本当にいい大家さんなんだが」と嘆く世界線もあり得たんだからね(笑)

www.youtube.com

追記 ブクマで「坊ちゃん」を紹介する方がいらした。

「矢口高雄はなぜ絵が巧い?」⇒「下宿先が偶然名画収集家で、気に入られて作品を多数鑑賞したから」⇒「そんな都合いいラノベみたいな話が」 - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

大量の名画に触れて画力が向上するのも結局、矢口高雄さんの目があってこそなんでしょうね。只の目に何石山の秋の月/下宿先の骨董責めなら「寝床」でなく「坊っちゃん」を是非。

2022/11/19 08:34
b.hatena.ne.jp

宿の亭主ていしゅがお茶を入れましょうと云ってやって来る。お茶を入れると云うからご馳走ちそうをするのかと思うと、おれの茶を遠慮えんりょなく入れて自分が飲むのだ。この様子では留守中るすちゅうも勝手にお茶を入れましょうを一人ひとりで履行りこうしているかも知れない。亭主が云うには手前は書画骨董しょがこっとうがすきで、とうとうこんな商買を内々で始めるようになりました。あなたもお見受け申すところ大分ご風流でいらっしゃるらしい。ちと道楽にお始めなすってはいかがですと、飛んでもない勧誘かんゆうをやる。二年前ある人の使つかいに帝国ていこくホテルへ行った時は錠前じょうまえ直しと間違まちがえられた事がある。ケットを被かぶって、鎌倉かまくらの大仏を見物した時は車屋から親方と云われた。その外今日こんにちまで見損みそくなわれた事は随分あるが、まだおれをつらまえて大分ご風流でいらっしゃると云ったものはない。大抵たいていはなりや様子でも分る。風流人なんていうものは、画えを見ても、頭巾ずきんを被かぶるか短冊たんざくを持ってるものだ。このおれを風流人だなどと真面目に云うのはただの曲者くせものじゃない。おれはそんな呑気のんきな隠居いんきょのやるような事は嫌きらいだと云ったら、亭主はへへへへと笑いながら、いえ始めから好きなものは、どなたもございませんが、いったんこの道にはいるとなかなか出られませんと一人で茶を注いで妙な手付てつきをして飲んでいる。
www.aozora.gr.jp


しかも本当に落語宜しく、その大家さんは矢口の我流絵画論を、そのまま別の来客に自慢げに披露したり(笑)(あまりに落語じみてて、このへんはサービスの創作挿話な気もするよ)

9で割れ! 下宿と名画。矢口高雄の画力のひみつ
9で割れ! 下宿と名画。矢口高雄の画力のひみつ

そんなこんなの話を締めくくるのは「うちなんかまだまだ、本家に行けばもっとすごいのがある。何しろ画家本人が疎開して、その家であの作品(重要文化財)を描いたんだから……」という壮大なラスボス登場(笑)。

9で割れ! 下宿と名画。矢口高雄の画力のひみつ
9で割れ! 下宿と名画。矢口高雄の画力のひみつ


登場するのは「広島晃甫」という人物。
ja.wikipedia.org

矢口が本家で見たのは、その広島の「紅梅白梅之図」という作品の習作で、その後の完成品は国立美術館蔵、なんだとか。
残念ながら、天下のGoogle画像検索でも、この絵の画像は見られないようだ。

【追記】

※その後、このリンク先において、当方が見つからねー、のひとことで放置した(笑)同作品についての深い検証がなされている。そして「これではないか?」という画像も…。
 ↓

machida77.hatenadiary.jp
紅梅白梅之図という題の作品はないが戦後の作品に《紅白梅》というのがある。国立美術館ではなく徳島県立近代美術館の所蔵作品だ。
『9で割れ!!』で言及されているのはこの絵のことではないか。

ただ、矢口の回想に登場する「紅梅白梅之図」は、複数のふすまにまたがって描かれた、梅の木の全体像に近い構図なんだ、うーむむむ。(2巻155P)
これは
・漫画的演出として、矢口先生が敢えてそのように実物と異なる梅の絵を描いた?
のか、或いは
・「習作」というのは同じ構図を何枚も…ではなく、秋田ではまず梅の木の全体像を描き、そこから画想を洗練させていって、最終的にはリンク先の、枝を部分的に描いた《紅白梅》になった?
のか、
或いは、またこの作品とは別物なのか……そのへんはまだ残る謎でありましょうか?
ただ、これは今現在はネットに情報がない謎だとしても、そもそも、この秋田の名家が根も葉もない創作でない限りは、今も現物があるでしょうし、全く迷宮入りのままになることはないはず。そして、「評伝矢口高雄」的な本や番組も、今後作られる筈で、その時はこの家にも再び取材が行くでしょう。


本題に戻って……
「すごい絵を見たからって、巧い絵になるものなのか?」と思うかもしれない。正直俺もそう思う。自分もそれなりに名画の展示会には足を運ぶし、矢口高雄森薫も見ているが、白ハゲ漫画しか描けないぞ(笑)

※たとえばここの後半にわが作品集がある
https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/2021/08/29/022717


だが、矢口本人がそういっている。倉敷にある大原美術館のエピソードなども紹介した上で、これらの名画を大家さんの家や、そのご本家で見た経験が、今の自分の絵に繋がっているんだと……


そして、昭和の時代に(ごくまれな確率でだろうが)在り得た、大家と下宿人の趣味を通した交流。その中で、年代を超えた親しみが生まれ、年配者から若者に膨大な「文化遺産」が継承される・・・・・・・・・そんな幸せなエピソードなので、「矢口高雄展」及び、矢口先生の絵の上手さが話題になる今、紹介してみた。
この作品のこの部分の紹介は、ブログ開始時からやりたいと思っていたところなので、壮大に長期間放置(約20年だ…)していた”宿題”が一つ終わるのもうれしき。


資料的に申し上げると、この「9で割れ!」はkindle電子書籍発売中。…同時に、多くの矢口作品と同じく「kindleアンリミテッド」の読み放題に2022年11月現在、入っております。
紹介した、山林地主の名画コレクターに下宿した話は2巻で。


だけど、ちゃんと「所有」したいと思って個別に同作の電書版を購入すると…1冊300円以下、すべて合わせても1200円足らず…決して、損をする買い物でないことは請け負います(同時に、他の矢口高雄作品のkindleリストをじっとご覧になり、何か買うべきものがあるか熟慮黙考すべし)
たとえば「ボクの手塚治虫」(これも購入するなら300円ちょっと。 もちろんkindle読み放題にもあり)

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「おらが村」も、令和の今を考える時に「昭和」が大きな梃子になる、という逆説的な面白さに満ちた作品だ。
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(はいこれも、kindle読み放題はありますし、個別に購入も可能)



あと、おまけで過去記事からタイトルの意味を説明しておきます。当時の銀行で頻繁に行われた作業、スキルなんだそうで…

ところで表題の「9で割れ!」というのは、

銀行のミスで一番多い、15万円と1万5千円の取り違えなどの際、

150000-15000=135000で、
これを9で割ると135000÷9=15000
とすぐ分かる。

また、2999700円が不足の場合、9で割ると333300。
「9で割って循環数が出た場合、その個数だけの桁違いが出ている」
つまり4桁、300円と300万円の桁を間違っている

んだそうだ。
わかんね(笑)