「鎌倉殿の13人」はやはり、源頼朝の生前と死後では大きく舞台装置が異なっている。
【大河ドラマコラム】「#鎌倉殿の13人」第27回「鎌倉殿と十三人」三谷大河の本領発揮となった“13人の合議制”誕生 - https://t.co/YXd05eXMwv #三谷幸喜 #佐藤二朗 #佐藤B作 #坂東彌十郎 #宮沢りえ #小栗旬 #山本耕史 #梶原善 #横田栄司 #浅野和之 #野添義弘 #金子大地 #鎌倉殿の13人 pic.twitter.com/tVf9JXUy1P
— エンタメOVO(オーヴォ)編集部 (@EntameOVO) July 23, 2022
頼朝死んで5~6年程度で
— ゲッサー (@suimin_banzai) June 27, 2022
死ぬ鎌倉殿の13人に出てくる男面々
「心配するな。別に全員乱が起きて死ぬわけじゃねぇ。1/3程度は病や寿命だ」(三浦義村風に)#鎌倉殿の13人 pic.twitter.com/3WBLY10Wqy
“13人の合議制”といっても、実際に13人全員がそろって合議を行った史実は残っていないらしく、ただのユーモアに見えるこれらのせりふも、その点を踏まえて生み出されたものに違いない。
そして、二つ目の「13人の合議制の目的」については、現在、「経験の浅い頼家を補佐するため」という説と、「独断に走る頼家の権力を制約するため」という説の二つが有力視されている。これに関して本作では、どちらか一方を採用するのではなく、相反する二つの説を両立させる離れ業をやってのけた。
で、ちょうどその「13人編」の始まる直前、三谷幸喜は新聞でこう書いた。
この「〇〇した記録はない。だが、〇〇してないと書いた記録もない」を言うようになれば『歴史使い』も一人前という感じで…(笑)そもそも誰が言ったんだけかな。新田次郎か…たぶん海音寺潮五郎だと思う。
「平将門と藤原純友が、会って東西で反乱を起こそうと申し合わせたという記録はない。だが会っていないという記録もない」で、これに田中芳樹が感銘を受けて、どこかで引用していたはず。
三谷幸喜のことだから、たぶんこういう先行の話は知ってると思うのだけど、引用なのか、自分で独自にそこに到達したかはともかく、ひとつの名言として覚えておいてください。
話の流れで、これらが関連記事になると気づいた
m-dojo.hatenadiary.com
m-dojo.hatenadiary.com
m-dojo.hatenadiary.com