冨樫義博氏の直筆メッセージ全文
御報告
この度 冨樫義博展 -PUZZLE- を開催する事となりました。
これもひとえに御愛読してくださった皆様の温かい愛情の賜と厚く厚く御礼申し上げます。
固いな。
私自身思っておりますよ。「いや話の続き描けよ。」って思われてんだろうなと。確かに2年ほど椅子に座れない状態で描けませんでしたが、従来のやり方をあきらめることで現在は何とか執筆を再開しております。皆さま、くれぐれも腰は大切に。これを書いている2週間前までお尻をふく姿勢がとれず、ウンコするたびシャワー浴びてました。あらゆる動作が常人の3~5 倍時間がかかります。腰大事。
というわけでご来場の際に物を落としたりした時は蹲踞の姿勢で拾う事を強くおすすめします。とがしよしひろでした。
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この腰痛の話、皆さん知ってたんですか?自分はうかつにも初耳でした。
ただ、もし初めての情報なら、これは見出しを変えるか別建てのニュースとして「冨樫義博氏、腰痛と闘病中なことを告白」と報じられるべきでした。
(そうでないから「既出の話で、自分が疎かっただけなんだろう」、と逆算して思ってるぐらいで…)
この囲み、追記。
ブクマなどの情報で「以前から腰痛についての話が無かったわけでは無い」という話の詳細や時期を聞き「ん?それならアシスタントの目から富樫を見た実録漫画『先生白書』ではどうだったんだっけ?」と再読してみた。
結論からいうと、ちゃんとあった。出た当時に読んだのだが、綺麗に失念していたようだ…といっても、「或る時期の挿話」だし「腰を”ちょっと”やっちゃいました」という描き方なので、これがずっと付き合うような宿痾の始まりだったと、ここから皆が察せるような描写ともいえなかった。
ただ、ともかくもそんな場面があったし、自分も一応は当時読んでいたので追記します。
累計発行部数5000万部『幽☆遊☆白書』、累計発行部数6500万部『HUNTER×HUNTER』など、日本を代表する超人気漫画家・冨樫義博先生。
『幽☆遊☆白書』の連載開始時期から『レベルE』まで、知られざる初期の先生の仕事ぶりを、一番近くで目撃していた元アシスタントが描く、実録・冨樫義博!この作品、2017年の10本に選んでいたのだけど。
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本当にお大事に、というか、これじゃHUNTER ✕ HUNTER は未完で終わっても仕方ないかもね、ぐらいに腹をくくりましたですよ。
冨樫先生の腰の状態が想像してたよりも遥かに深刻なレベルだった…。 そして莫大な財産と長期に渡って療養に専念できる時間と環境があっても、重度の腰痛を治すことは困難という事実に震える。 腰大事。
— 九十九@C100_日曜_東シ68a (@tukumo99) July 4, 2022
庵野仕事しろって言ってたらシンエヴァの裏でシンウルトラマン、シン仮面ライダーとバリバリ仕事してたし、冨樫仕事しろって言ってたら、想像以上に腰やばそうでお気をつけて状態だし、事情も知らないのに他人に仕事しろなんて言わない方が良い事がよく分かるここ最近の出来事
— 社畜のよーだ (@no_shachiku_no) July 4, 2022
自分はこう書いてたけど
ほんと、こういうことです。
結局アルスラーン戦記の完結なども、こういう視点で見てる。(なお完結の巻はアルスラーンもタイタニアも未読)
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安達裕章 on Twitter: "さきほど編集さんに原稿をお渡ししましたので、きちんとお伝えします。 『アルスラーン戦記』最終巻、脱稿しました。 このあとも校正やイラストなどさまざまなお仕事がありますので、本のかたちで皆さまのお手元に届くのには、しばらく掛かりますが、発売日が決まりましたら改めてお伝え致します。"b.hatena.ne.jp王都を奪還した第一部だけで、ある意味完成品のような気もするけれども。/まあ経済上の不自由は絶対ないだろう著者が、今でもペンを動かし物語を完成させたのだから、それだけで感謝に値する
2017/08/30 08:59
もうひとつ追記 漫画家腰痛列伝
それを自ら話題にしたり、実際に連載中止などでアナウンスがあったもの、というだけで、こんなのは氷山の一角なんだろうけど
・新沢基栄
…高校生の時に同級生と遊びでやった相撲が原因で患った腰痛が、過酷な週刊連載活動の中で悪化する[2]。印刷会社から“締め切り間際の魔術師”と苦笑されながらも、辛うじて連載は続いていたが[2]、ついにそれが限界を迎えて『奇面組』の原稿を落とす事態に陥り、それを重く見た集英社の上層部との相談の結果、『奇面組』は1987年に連載終了となる。もともと新沢としてはそれ以前に登場人物の高校卒業(1985年春)に合わせて終了させる意向だったが、編集部の引き止めによって連載は継続されていた。また、同社の上層部には先述の休載に至るまで、新沢の意向が伝わっていなかったと本人は語る[3]。休養後、1988年に連載開始した『ボクはしたたか君』も人気を博すが、再び慢性化していた腰痛が悪化したことが原因で休載となり、未完のまま打ち切り…(後略)
キン肉星王位争奪編 熱闘メモリアル・スペシャル
ゆでたまごの原作担当・嶋田隆司が腰痛のため、『週刊少年ジャンプ』1985年38号から49号まで『キン肉マン』は休載となった。この間の40号から49号にかけて、「キン肉星王位争奪編 熱闘メモリアル・スペシャル」として、王位争奪編の再録・再編集版と、一部号には数ページの企画ページが掲載された。
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・ゆうきまさみ
いま検索した限り、ダイレクトな資料が見つからないが、多少「ゆうきまさみのはてしない物語」で描写があったと記憶している。
そして自分の記憶では何かのインタビューで「究極超人あ~る」終了時、連載の人気は非常にあり、雑誌的にはまだまだ続けられたが腰痛の問題があっての終了だった……と語っていた、と記憶している(テキストが見つからないと不安になるが、そういう趣旨だったはずだ…)。そもそも内容的にも、新キャラの1年生や、かつてのカミナリ教師「まみや」が作品世界に登場し、それぞれの掘り下げをコレからしようか…という時に、成原博士の世界征服再起動が始まってやや唐突な終了となった、と思うのですが…
この3人を老害的には覚えている。
あと、キン肉マンにおける「ラーメンマンvsウォーズマン」も、裏にラーメンマンの腰痛があったらしい…
いや、そう2ちゃんねるで言ってた。
ラーメンマン対ウォーズマン
腰痛を患っていたラーメンマンを休ませるためと、
モンゴルマン登場へのアングル。m-dojo.hatenadiary.com
※2ちゃんねるからの引用