この話をいま語ると、現実の話と連動して、連想されるであろう……が、今回はあまりにそれは生々しいし、さまざまなに感情を揺さぶられるので、あえて積極的には、つなげて語らないようにしたい。そ
れに現実のほうは、まだ最期ではないし、最期であってはならないと、皆が奮闘している。
そちらのほうが、いい方向に行くように祈りながら………
いや実際、これは国際情勢とかに関係なく、単独で、漫画そのものとして紹介しようとおもっていたのだわさ。
「信長のシェフ」…
作品全体でいえば「現代の知識・特殊技能を持つ人間が過去へ行って無双」「その理解者が、あの革命児(ではないという研究もあるが、物語的には革命児である)織田信長」「未来を知っている人間が、どう振舞うか?危機を回避したいと思ったらできるのか?」……などなど、どれをとっても「すごいなあ!独創的だなあ」と思えるような設定・アイデアはひとつもない。
だけれども、もう30巻を超えているんだっけ、このテーマと戦国時代の信長の軌跡を基本的に史実に沿って綴りながら、それなりの起伏や、料理にまつわる蘊蓄・エピソードなどを破綻なく描き続けている。
なんというか、コストパフォーマンスのいい、よくできた定食ランチのようなもので………たとえば「異世界もの」の中にこの種のタイムスリップものを含めるとするなら、有象無象無数にある中で、例えば中学生に薦める、「まあまあ」な感じの異世界ものとして、これを挙げることもできるんじゃないかな、と思いますよ。
それが2022年の、この作品のあらためての評価。
で、全体の評価はそうだとして、今現在は…「武田滅亡」、すなわち信長・家康連合軍のの甲州攻めを描いているのです。
で、偶然か必然か、近年このテーマが多い。何しろ、この数年で、今回のをふくめ計3回、武田滅亡の話を漫画で読んだし、大河ドラマ(真田丸)でも扱われた。どれもよくできている。
そして、こんな分厚い新書がけっこうに売れたのだから。
まず、「センゴク天正記」で、締めくくりのような形でこの織田徳川の北条攻めが描かれる。
御曹司織田信忠による高遠城の陥落、村の離反などが丁寧に描写されていた。
「レイリ」は、そもそも主人公が武田信勝(勝頼の息子。複雑な後継者問題の解決のため、武田信玄の直系の跡継ぎは少年の彼で、武田勝頼はその後見人、という扱いなのである)
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なぜに、武田の滅亡(織田徳川の甲州攻め)が最近テーマになるかといえば、逆にいえばなぜこれまでテーマにならなかったか、ということである。
これはかなり確実に言えて
・武田の滅亡なら、「長篠の合戦」を描けばいい。そして「この7年後に滅亡した」と1行記しておけば十分、という風潮があった。
・しかし、実際に見てみれば、その後も武田勝頼は領土拡張などに成功している。
・武田の敗退・滅亡は別に描かれ、分析されるべきである
…ということなのではないか。
あと、信長目線で描く作品となると、なにしろ、大河ドラマでも三谷幸喜がネタにしたように「この武田滅亡の80日後に、自分が本能寺で討たれる」のでありまして(笑)。ここを起点にするとワニより寿命が短いんだよ!
武田攻めで個人としての武勇の名声を得た後継者・信忠もだ。
そのへんの折り合いのつけかたなんだろうな。
これらの作品でもまた描かれているが、表面上「裏切り」となるといっても、国衆とはそもそもそういうもの……安全保障を大名家がするからこその忠誠であり、それができなかったらいわば「契約不履行につき解除」なのです。
国衆はそれぞれに家来も民衆も、支配領域もある。彼らへの責任感があるからこそ、新支配者に抵抗せず恭順する。
それは、
じゅうぶん
理解できるのだが・・・・・・・・
しかし朱子学的な名分論でも、そしてコントロール不可能でどうしようもない「物語としての人気」でも………いよいよ滅亡定まった時に、それでも最後まで抵抗し、散り行く主君や国家に忠誠を捧げる人間に支持が集まるのは致し方ない。
楠木正成、新撰組、銀英伝のビュコック元帥……
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小宮山内膳。
他の重臣と対立、主君の勘気に触れて失脚謹慎していた幹部なら、逆に敵対勢力に恭順する大義名分になるし、重用もされるはず…しかし、敗北して落ちのびる主君の前に再び訪れて、最期を共にして奮戦する。
なろう小説の「パーティ追放」では、こういう立場の逆転の際は「あわててももう遅い」「ざまあ」が主流らしいんだが、
こちらのほうが一段さわやかなのは否めない。
武田勝頼・信勝の見事な自害や辞世の歌に先立ち、こんな場面も歴史に残った。
土屋昌恒の「片手千人斬り」
片手千人斬り
『信長公記』『甲乱記』『甲陽軍鑑』によれば、天目山の戦いにて勝頼が自害を覚悟したとき、昌恒は勝頼が自害するまでの時間を稼ぐため、織田勢を相手に奮戦した。その際、狭い崖道で織田勢を迎え撃つため、片手で藤蔓をつかんで崖下へ転落しないようにし、片手で戦い続けたことから、後に「片手千人斬り」の異名をとった。享年27。昌恒のために日川に突き落とされた千人もの兵が流した血は、川の水を赤く染めて、それは3日間も色を失わなかったという。人々はのちにこの川を「三日血川」と呼ぶようになり、後世まで片手千人斬りの伝説を語り伝えた。
この働きにより、勝頼は織田方に討ち取られることなく自刃した。『理慶尼記』によれば、勝頼の命で自害した夫人に介錯をしたともいわれる。
昌恒の働きは戦後、織田信長からも賞賛され、「よき武者数多を射倒したのちに追腹を切って果て、比類なき働きを残した」と『信長公記』に記されている。『三河物語』では、徳川家臣の大久保忠教が忠恒の活躍を賞賛している[4]。
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武田逃亡劇最後の大立ち回りといったらこの人だよな<土屋昌恒片手千人斬り(センゴク天正記15巻より拝借) #nhk pic.twitter.com/uvcQlN8NKs
— 島村淳志 (@shima_atsushi) February 3, 2016
そもそも武田勝頼の正室も、この時点では織田と同盟し手切れとなった北条家の娘であり、離縁して実家に戻るという選択肢もあった。だが…
勝頼「朧なる 月のほのかに 雲かすみ 晴て行衛(ゆくえ)の西の山の端」
北条夫人「黒髪の 乱れ足る世ぞ はてしなき 思いに消ゆる 露の玉の緒」
信勝「あだに見よ 誰もあらしの 桜花 咲ちるほどは 春の夜の夢」
これらは基本、フィクションや歴史の話であり、いま現在の話でいえば、そもそもこういう進退窮まる事態にならないうちに、なんとか収まってほしい、と、非論理的で無茶な願いでも祈るしかない。
その上で、いま、紹介した作品(近世に起こった一国崩壊の実話が元だが)が、連載されているということを紹介しておきたかった。
ああ、そして本日、ついに「センゴク権兵衛」も最終回です。