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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

山口二郎氏の政治史的自伝「民主主義へのオデッセイ」を紹介。小沢一郎評など面白かった

一般論壇では人気と権威があったのにSNSに置いて次々と暴言失言をやらかし,論壇の方の権威まで揺らいでしまった学者さん…はそれなりにたくさんいるけれど(笑)、その筆頭に山口二郎氏が入るということは結構賛同してくれると思う。

ただ書いたものはそれなりの面白さがあり、党派性もろもろを割り引けばそれなりに参考になる。それに0年代末からテン年代初頭の民主党政権時を中心に、政治関係のフィクサー、インサイダー、もう少し言葉を変えて言えば御用学者…を務めていたわけだからその裏話も貴重な近代史の資料なのである。実際山口二郎はこの時代のことを毎日「山口二郎日記」として保存しているそうだ。

その集大成的な自伝がこの前岩波書店から出た「民主主義へのオデッセイ私の同時代政治史」
であります。

自民党に対抗する中道左派を築き、政権交代のある民主主義を作ろうとした政治学者は、政治に何を見、どう関わってきたか。昭和の終わりから安倍政権後まで、期待と挫折と試行錯誤が繰り返された三十余年を、いま率直に振り返る。自身の日記を織り交ぜて同時代政治をたどる回顧録オルタナティヴを見出す挑戦は終わらない。


これを読んで「そうそう確かにあの時代、あの時の言論空間はこんな感じだったな」と懐かしく思い出されることが結構あったのでメモ的に書き残しておきます。



・もともとは左派のくせに自衛隊を認めるけしからんやつ、として仲間内の「偉い人」から怒られてた。


この辺がまあ確かにそうだったそうだった、と思うところでこの本でも冒頭に登場しているが。

もともとは90年代前後に「もう確信陣営も、自衛隊の存在自体は認めようじゃないか。そして(国連の下でも)停戦監視とか平和維持軍とかはしない、そんな枠組みをはめよう」と岩波のお膝元「世界」で主張したのが山口二郎のグループでした

これに対して古い岩波の重鎮的な人たちから「自衛隊を認めるとは何事か」というお小言をくらった山口二郎は「あのひとたちの自衛隊論にも、顕教密教があるんだ。それでこちらを攻撃するなんて”国体明徴”じゃないか」という不満をあらわにしていたそう。



その後イギリスに留学した山口二郎は、ブレア政権のニューレーバーによる政権交代を目の当たりにする。これに衝撃を受けて政権交代を生涯のテーマとしたまる実際の政治運動でも研究テーマとしてでも。

またイギリスの政権交代を目の当たりにして小選挙区制に批判的だった持論を変えて小選挙区のもとで政権交代を目指すしかないとの考えに至ったという。




この頃から「革新」という言葉に変わってリベラルという用語が使われるようになった。その後押しをしたのも山口二郎である。


ちょっと面白いのは、この90年代半ばの政治の流れの中で、戦後生まれの政治家が権力を握っていく過程があったのだが…それ自体は時代の推移として当然である。その際加藤紘一が「我々の世代の政治家には、学生時代の硝煙の匂いがするんですよ」と言ってたのです。つまり自民党の政治家の中でも学生運動の影響を受けた勢力というのがいて彼らに政権が行っていたらもう少し政治自体が左派的になってたかもしれない。
現実政治ではその世代の自民党政治家で首相になったのは小渕、森、小泉で、かなりあり得たかもしれない「加藤紘一政権」は寸前のところで阻止された。
結果的には良かった反面、どんな政権、政治だったか「もしもボックス」で見てみたい気はする。

加藤紘一と学園紛争

そろそろ駆け足で…

山口二郎の政権へのスタンスは
細川連立政権 もろ手を挙げて歓迎
村山自社さ政権 戦後評価を基軸にした自然なものだが、社会党はもっと自分から自衛隊を認める思想を構築すべきだった…

云々。

飛んで小泉政権は「従来型の土建国家や既得権益を攻撃し倒す」という点で、自分の立ち位置と重なる点もあったが、そのへんで自分的には新自由主義ではなく、それと一線を貸した「リスクの社会化」論を語るようになった。


重要と言える小沢一郎評価だが、実は小沢の路線転換やその後の言動に、山口二郎は裏で大きくかかわっていた。平野貞夫を介してのことらしい。
小沢代表の当時は自分の提言が次々、党の政策に反映されたので「いささか舞い上がった」と正直に書いている。
しかし、あれだけ揺れ動いた小沢一郎のスタンスに対する評価は・・・

山口二郎小沢一郎評 民主主義へのオデッセイ


民主党政権は失敗だったと「私も認めざるを得ない」とも言ってるが、子ども手当や学校無償化が現在は自公も推進する政策になったことに触れ「バラマキ批判には良いバラマキもある」と答えるべきだった、とか言ってる。



やはりイギリス流の政権交代をモデルにしているから「共産党はどうしても譲れない必勝区だけとって、あとは各選挙区で野党第一党、勝てる非自民候補を支援する『左の公明党』になれ」との論者で、だから氏はSNSでも、この野党第一党のもとにまとまれ論を展開して共産党支持者、れいわ新選組支持者から自公支持者より熱い罵倒を受けることがしょっちゅうだ。

市民連合」を立ち上げて、野党共闘をう回路で実現させる(つまりA党とB党の間で政策協定が結べない状況を、市民連合がそれぞれA、Bと同じ協定を結ぶ、という形で実質実現させる)野党共闘の実践をやる時代になると、ますます政治フィクサー化する。日記に「中野晃一とともに共産党志位氏と懇談」とかフツーに描くようになっているし。

ただし、結局のところ野党共闘は「左を固める」形にならざるを得ず、山口二郎の本来の理想だった「リベラルが右側=穏健保守を取り込んで拡大する」と逆方向になる、というジレンマは感じざるを得なかったらしい。

日記に「登山に例えれば1/3という峰と1/2という峰は異なるもので道もパーティーの相手も異なるということ。ここをどう解きほぐすかという問題は深刻なり」と書いたそうで。


出版の時期が、裏金事件や今回の自公過半数割れの前となる2023年9月であり、その後、山口氏はふたたび、ややハイになっている(笑)

そう言う点ではオデッセイも、まだ少し続きがあるのだろう。

ただ、政治的な資料としては、断片的に引用した「山口二郎日記」がそのままどこかに保存提供されることのほうが必要かもしれない。そこはよろしくお願いしますである。もっと生々しいというか生臭くなりそうだし(笑)

なお、現実政治に大きくかかわった政治学者という点では中公公論にいま連載中の北岡伸一回想録(小沢一郎の政治的転換あるいは変節は、北岡伸一から山口二郎へブレーンを変えた、という言いかたもできるのだろう)はこれ以上に超面白い(単純な文章の巧さ、描写力、読み物としての面白さでは正直、山口二郎氏は比較対象にすらならない)ので、そちらの完結と単行本化が待たれる。