【速報】このドラマ、シーズン3も企画進行中?
なんかテレビ局の人が家に来たよ
— けぷ@みりどる乙夜ママ永遠の全力推し宣言 (@a6m8_zeke) December 4, 2024
住んでるアパートがドラマの撮影で使いたいんだそうです
空いているなら、駐車場も使わせていただきたいと
資料を見たら、藤子・F・不二雄さんと短編ドラマのようです
まさかトキワ荘じゃないよね? pic.twitter.com/Nd2LLhlK8V
まず、放送日程のおさらい。
12月5日(木)午後10:45
マイシェルター
ドラえもん作者藤子・F・不二雄の傑作SF短編をドラマ化!シーズン2地上波初放送!(月)~(木)夜10:45。1話15分完結×8話。第4夜「マイシェルター」
男(浜野謙太)は妻(安達祐実)と子供ふたりの家族思いのサラリーマン。ある晩、居酒屋で隣席の客(田辺誠一)が話しかけてきた。男がマイホームのための土地を買ったと告げると、核戦争の恐怖をまくしたてられ、核シェルターを強く勧められる。帰宅すると妻はマイホームのために内職をしていた。子供たちはぐっすり眠っており、いつもと変わらない平和な家族。しかし、男はだんだん核戦争の恐怖にさいなまれるようになり…。
www.nhk.jp
そして!
それに合わせてかどうなのか、2024年12月5日現在、原作漫画がネット公開されている。
80年代。「マイ・シェルター」1P。私。F先生は数ページ綴じの「本物の核シェルター販売用パンフレット」を持参し、「これを資料にして描いてください」と仰っていた。(こんなもん、どこで手に入れたのだろう。さすが先生だ)と、大いに不思議に思いつつ、感心した。
— 三谷幸広 (@uBTpfEAU2cEZucx) May 24, 2023
これで論じやすいんだが…その論は、話の筋を語ることにもなる。【ネタバレ】が嫌な人は上の公開中の原作漫画を読むか、5日放送のドラマを見た後、その後の記事をご覧ください。
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ではネタバレ込みで論じます…といっても過去にこれ、書いているので、そこを再掲載します。
にしても。
正義感に満ちた人、崇高な理想に燃えた人、世の悪を絶対にゆるせぬ人…ではなく「最大公約数的常識家」を信頼する、というこの言明は、最初に読んだときにも強烈な印象を残したところだった。
「最大公約数的常識家」の人間性は、根本のところで信用できるはずだという信頼感は、「マイ・シェルター」という作品に結実していると思うのです。
※ストーリーはこちらをどうぞ http://plaza.rakuten.co.jp/neoreeves/diary/201009110000/
この、「核攻撃されたら即死するしかないじゃない」みたいな思考っていうのは、広島・長崎への原爆投下に対する原爆教育反戦教育が、「一瞬で死ぬ」「生き延びても苦しんで死ぬ」「ピカの毒で死ぬ」っていうものに偏向しすぎ、「助かった人もいた」を取り上げてこなかったせいかも、と。
— 加藤AZUKI (@azukiglg) September 4, 2017
この前のJアラートで藤子・F・不二雄の傑作「ある日…」が紹介され評判になったけど、氏にはまた別の傑作「マイ・シェルター」がある。
— Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) (@gryphonjapan) September 4, 2017
これ今見ればまさに「シェルターで生きても地獄絵」「友人親戚を見捨てるのか」「どうせ世界全体が滅びる」の諦念と倫理的判断が、表裏一体なことを描いていた。 pic.twitter.com/IOQ4d6H8jJ
しかしこの傑作、
— Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) (@gryphonjapan) 2017年9月4日
「想定されるのは失敗国家がヤケクソの背水の陣で作った核兵器。爆発すればその現場は地獄絵図だろうが、全面戦争で世界や日本が完全に壊滅するとは考えにくい」
だと、シェルターに意味ができてしまう…それが厄介だhttps://t.co/H7NZ9ksf7W
この話、別の方…シンホリ弁護士との対話でも持ち出しているけど、そっちのほうが分かりやすいかな。
冷戦期(~1990年頃)は「9条があれば攻撃されない」という9条バリヤ論的な主張もなかったわけではないが、むしろどちらかというと「攻撃される危険があるかどうかに関係なく、9条を守るべき」という発想の方が有力であり、そこでは9条を守ることそれ自体が崇高だという信念のようなものがあった。
— Shin Hori (@ShinHori1) September 4, 2023
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— Shin Hori (@ShinHori1) 2023年9月4日
それでは仮に攻撃されることになったらどうするのかという議論については、当時よく見られた反応は
「米ソ冷戦で核の恐怖が世界を覆っている現在、日本が(具体的には「ソ連に」)攻撃されるほどの状況になったら、もう核戦争だからすべて終わりなので、考える意味はない」
という感じだった
⇒冷戦期は「仮に戦争になったらどうせ日本も核攻撃で終わりだから防衛策を考えてもムダで、戦争回避が重要」という空気が結構あった。
— Shin Hori (@ShinHori1) September 5, 2023
今の共産党の志位氏が言っている「戦争になったらどうするか考えるよりも戦争回避の外交努力が重要」という言説も、この延長線上のように見えなくなくもない https://t.co/6Y1ebgGkIk藤子・F・不二雄のSF短編「マイ・シェルター」もまさにそれで、典型的に平凡・善良な主人公はシェルター購入を勧められ心動くが「友人知人が皆苦しんで死ぬ中、我々だけ生き残っても…」という一点で、購入を止める。
— Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) (@gryphonjapan) 2023年9月5日
たしかに善良だが、その前提が常にあるとは限らない…https://t.co/H7NZ9kbc5W
上に書いた通り。
・核シェルターを「自分や自分の家族だけ助かり、多くの知人友人を見捨てるなんて良心に欠ける行為だから、核シェルターを拒否する!」は、確かにそうでないより、良心的な振る舞い、考え方です。
・しかしその根本には「どうせ核戦争が起きたら、世界が滅びる。核シェルターなんてちょっと延命するだけで絶望的。なら、やらない」という発想があるのではないか?
※1980年代には、全面核戦争が起きたら、その被害だけでなく「核の冬」という寒冷期がやってきておしまいだ、というシミュレーションが語られた。このマンガなども…
・しかし、現行の核脅威、もちろんロシアなどの恐怖もあるが、「どうしようもない失敗国家がヤケクソで核攻撃で1,2発のミサイルを飛ばしたら、それが落ちた地区は被害が出るかもしれない…」というのもかなりリアルな「核の脅威」である。
・これに対しては「第一撃はシェルターでなんとかやり過ごせば、なんとか皆さん生き残れます。/そのあと、日本国家や世界が完全に破壊されて生き残れない、ということはまずなさそうです」と言われたら、説得力はそれなりにありそう。
・そうすると、2番目の「どうせ…」論は、もう成立しないのではないか?と。
そんな思想的課題が、この「マイ・シェルター」にはあると思うのです。
なお、まったく余談なんだけど、この作品は「こち亀」で核シェルターを取りあげた爆笑回(自分は絶対これを、同作品のベスト10に挙げる)と1,2年しか違わない。そんな時代の風潮。