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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「暗殺未遂を笑い飛ばす」で岸田文雄の動画が話題になったが、ロナルド・レーガンは……

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いや床屋といえばね俺ねあの岸田さん1回 和歌山でちょっと危ない事件があったじゃないです あの爆弾なげられた。


うん


あれん時にあの後の予定一切変えずに最後床屋行ったですよね。


そうなの、そうそう


最後いやすげえ度胸してんなと思った


帰ってそう、散髪行ったよ。まあそれは多分SPの皆さんは反対したんじゃない。


いや多分そう思うよ。だから事件あって…なんか殴られてバーっとSPに伺えられて、車中押し込まれてその後


うんうんうん。あれ和歌山県警かなんかの警察署に連れてかれて。で、次これからこれから後の日程どうするかって話で。それで結局、まあでもみんな待ってっから続けてやるよつって。それでずっと午後に行って回して。で東京帰ってきて…うん、散髪行った。そう


そうですよね。結局それなかなかだね。いや和歌山の日程変えないのはわかるよ…ところがその日の日程変えなかったんですよね、あれ。


まあそうね。いや別にすごいかどうかわかんないけど。


いや普通だったら日程全てキャンセルってなってもおかしくないよね


ブクマ反響な。
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んで、思い出したロナルド・レーガンの話。ここでもなんどか紹介してた筈。
銃撃事件で心臓近くに鉛玉をぶちこまれた状態で、手術する前の医者に向かってジョークを飛ばしたことは割と有名なんだけど、その後日談もあるのよ。

レーガン大統領就任以来、最も危機的な場面は、彼が暗殺されかかったときである。ワシントンのヒルトン・ホテルを出てきた瞬間、記者団席にいたジョン・ヒンクリーの銃弾を受けて倒れた大統領は、直ちに救急病院に運ばれ弾丸摘出手術を受けることになった。そのとき、夫の生命を気遣って卒倒しかねなかったナンシー夫人に声をかけて安心させ、手術室に入る前担当医師に向かって「君が共和党員だといってくれよ」とジョークを飛ばしたのである。
死の不安を抱えながらユーモアの精神を失わないのは、心の余裕でなくてなんであろう。前に紹介した、危機にあっての「ドント・パニック(うろたえるな)」の精神を体現していたのだ。人類の滅亡をも可能とする核のボタンを握る立場にあった大統領が、危機にあっても心の余裕を失わないことこそ、米国民が求める国の指導者像だった。このときのレーガンの態度が、その後の彼の指導力を決定づけたといわれる。政策的に大きな議論をまき起こしながらも指導者として尊敬された理由の一つは、この危機におけるゆとりであった。


その約一年後、レーガン共和党支持者の大会で演説していたときである。突然「パーン」という音がして、演説中の大統領は一瞬体をこごめた。あの暗殺事件での恐怖で反射的に体が動いたらしい。青くなったのは護衛のシークレッサービスと聴衆である。シークレット・サービスはそのとたん大統領を守ろうと演壇に走ったし、聴衆はまたも暗殺事件かとショックに声も出なかったのである。だが、そのとき天井から風船のかけらが落ちてきた。「パーン」というのは風船が天井のどこか尖ったところに当って割れた音だったのだ。
会場にはショックから解放された安堵感が広がったが、そのときレーガンは天井方向を指さし、ニヤッと笑いながら言った。「奴は、またしくじった」。そのとたん会場ははじけるような笑いで埋まった。緊張の糸が切れて涙を流すものさえいた。すぐさま万雷の拍手が巻き起こった。危機的状況においても精神の余裕を失わなかった男への讃美の拍手だった。

ユーモアはときに政治的武器となる。レーガンは大統領二選目の選挙の際、七十三歳という高齢だった。若いモンデール民主党大統領候補がこの点をつくと、レーガンは「私は相手候補の政治的未熟さを選挙の争点にはしたくない」と言って笑いを巻き起こし、年齢問題を吹き飛ばしてしまった。

奴は、まだしくじった。レーガン暗殺未遂挿話

以上、黒岩徹「不思議な英語の国」より。