かつて本の雑誌で古典の名著を紹介する企画があり、そこで「戦艦大和の最期」が選ばれ、紹介役として呉智英と関川夏央(山口文憲かも)…だったかな?この二人が対談したことがある。
その中で語られたのが「吉田満という知性と文才と記憶力の持ち主が戦艦大和に乗り組み、航海の途上で士官たちと議論し、沖縄での戦闘の全体像を見渡せる位置にいて、最後は生き残った。これらのすべてが奇跡的」ということだった。
- 作者:吉田 満
- 発売日: 1994/08/03
- メディア: 文庫
全くその通りで、刺激的な話ではあるが、これは全て歴史の神が、吉田満にその使命を託し義務を果たさせたのだ思う。
同様の存在に、ここで何度も紹介した「信長公記」の作者である太田牛一がいる。
太田牛一はまさに、歴史の神が観察者として、第六天魔王のもとに使わした 人物だった。
太田も、プリニウスも、ダンピアも……
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のっけから話が飛んでしまったが、 要は笹生 那実氏が今回ペンを取り作品として世に問うて話題独占・人気独占、令和時代に大きな賞を受けた「薔薇はシュラバで生まれる」は、まさに吉田満が「戦艦大和の最期」を書き残したのと同じような、歴史の神への神聖な義務を果たす行為だった…そう、認定したいのであります。
アシスタントが見た!名作誕生の瞬間!!美内すずえ先生、くらもちふさこ先生、樹村みのり先生、三原順先生、山岸凉子先生etc……、
数々の名作を生み続けるレジェンドたち――、の元でかつてアシスタントをしていた著者の、とんでもなく貴重な体験を描いたコミックエッセイ。
美内先生との初対面と、想像を絶するシュラバ。才能ある若き漫画家たちの知られざる努力とこだわり。
あの作品のあのエピソードの誕生秘話など、少女漫画好きなら身悶えする様なお話がたくさん!若き先生方と若きアシスタントたちの、血と汗と涙と喜びの青春時代を綴ります。
【目次】
プロローグ
1章 職場はシュラバ
2章 アシスト放浪スタート!
3章 シュラバの真実
4章 さらばシュラバ
エピローグ
この作品は冒頭が公開されているので、まず読んでいただこう。
とりあえず思うのは。読んでいる少女漫画がごく少ない自分でも(だからこそ)を感じる、「絵柄が一昔前のレトロ風だわな」ということ(笑)。30代で引退して、その後ゆったりとしたペースで同人活動をしていたかただから当然なんだけど、ただそれが、かつてのレジェンド漫画家たちの言行録である、この作品のテイストにはドンピシャでありました。
どれもこれも、作者の優れた観察力・記憶力と、それを物語として再構成する力に驚かされる。リンク先でお試し版が読める「美内すずえに初めて会った時のエピソード」は、非常に詳しく迫真性があるんだけどそれもそのはず「当時、自分と先生が思ったこと言ったことを、克明にメモしていたから」なんだそうである。
考えてみれば心の底から崇拝していた人間に初めて会えた時の感激が、そんな形で残っていても不思議ではない。
そしてそんな尊敬を一身に「受け続けた」漫画家たちにも、次第にそれを受け止めるだけの器量や覚悟が生まれる。
それが「カリスマ」とか「オーラ」と呼ばれるものになるんだろうな、と。(これ「喧嘩稼業」で格闘家のオーラとは何か、を論じる時に出てきた話題です)
しかし、笹生さんが初めて美内すずえ先生にあった時の光景って、本当にまんが道やブラックジャック創作秘話で、少年時代のレジェンド漫画家たちが手塚治虫にあった時の光景の再放送みたいなもんでね(笑)
そして締め切りに追われた昭和時代の巨匠たちが、「カンヅメ」を決行し、そのアシスタントとして、彼らを崇拝する少年少女たちが”学徒動員”されるという構図も、全く同じ・・・・・・・・・
その現場こそが、人呼んで『シュラバ(修羅場)』。「おシュラ」「シュラる」などの応用語もあったそうで、ひとつの新語が生まれる過程を発生年代も含めて記録した民俗学的考察の資料になっている。実際にものすごく忙しい現場=修羅場というのは自然に言われそうでもあるけど、ひとつの新語・新定義として認定しても良さそうである。(修羅場は本来、「闘い」がある場所でなければならないよね。嫁と愛人の鉢合わせ、とかさ(笑))。興味ある人は各種の辞書に、この用例が今後収録されるかを気にしててほしい(笑)
「これより我ら、修羅に入る!!」は前田慶次。
これより我ら修羅に入る!! - 前田慶次 (花の慶次) #194 pic.twitter.com/TpkbR7G1ln
— 漫画/アニメ名言bot (@anime_quote_bot) 2021年5月6日
そして自分もデビューし、当時の若手の慣習としてプロ兼アシスタントとなっても、 その構図は変わらない。また、ほぼ同年代・同期の人々の作品を交互にお手伝いする(時にはおしゃべりが楽しくて、自分達から押しかけて手伝うこともあったそうで)・・・・・・・・そして、経験を重ねた作者は一種、鈴木孫市的な凄腕アシスタント、どの巨匠とも顔見知りの「伝説の傭兵」になった。
その結果として…様々なレジェンド漫画家たちの日常の風景を【横断的に】その目その耳で目撃し、各種の「名作」が誕生する、その現場に居合わせるという稀有の経験をしたのだった 。
本当にそのことを「歴史の神」の視点で思えば、むしろ何で令和までこの証言を、本人も誰も記録しなかったんだ!60代になるまで!!…な話である。
なんとか間に合って本当に良かったよ。
漫画史学的(と俺が言うのはおこがましいが)には、本当に色々と資料価値が高い。
日本の漫画が週刊誌や月刊誌に連載されているという特質上、 どうしてもその回その回の、アドリブや即興が入ってくる。それを記憶し記録するのは、現場にいた人間の特権であり、どんな優れた研究者や評論家であってもその代わりはできない。
いや、現場にいても、数十年経過している以上、本人ですら忘れている可能性が高い。
さらに「歴史の真実」という点ではこういう印象に残るエピソードがある。
名作のある場面で、登場人物たちが歌を歌うんだが、作者の本来の意図としてはその時、ジョン・レノンの『ハッピークリスマス』を使いたかった。だが著作権が複雑でとてもその許可を取るのは間に合わないので、権利問題はない賛美歌を使うことにした…… 。そして笹生さんは、こう独白する。
「でも私は、この場面で流れる曲は『ハッピークリスマス』だって覚えておくよ…」
この場面は、『結局、創作の中の「真実」ってなんだろう?』と思わせる非常に重要な場面だった。
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また山岸涼子が自分でも一番気に入っている「天人唐草」を、執筆前は「ああ描きたくない」と悩んでいた、というのも貴重な証言。
- 作者:凉子, 山岸
- 発売日: 2018/09/04
- メディア: 文庫
そしてまた、 こうやって複数の作家を渡り歩くアシスタントによって、「仕事場の怪談」が徐々に広まり都市伝説として完成していく風景が、ちょっとこれまた民俗学的に面白い。
そのうちのいくつかは当時のレジェンド漫画家が物語にまで昇華させ今でも名作として伝わっていると言う……。
ただそもそも、なんでこういう怪奇現象が漫画家の中で多く語られるか、ということの有力な証拠が出てきたのも面白かった。ぶっちゃけていうと…「みんな寝不足」だからだよ(笑)!!!
しかし、 昭和の少女漫画家を彩る超弩級伝説、「ある超有名漫画家さんが神秘思想に傾倒しすぎて、最後は新興宗教の教祖にまでなった」という話も、どうも結局それなんじゃないかというね…またその神秘体験を自分の中で体系的・整合的、ドラマチックな物語にする能力が相当高かったらしいね、その人は…って、読んでもらえばそれが誰のことかは丸わかりなんだけどね。
さらにその人は地位権威人格的に崇拝者が多いから、当然彼女たちもその世界観をしらずしらず受容していく…
でもその、「巫女体質」もある巨匠にはなかなか感動的なエピソードがあり…、笹生先生はその巨匠作品の最初のアシスタント時に、絵の中で永遠に残る失敗をしてしまう(※正直って素人にはよく分からんのだが)…そして何十年か後にその失敗を改めて先生にお詫びし「死んでお詫びしようかと思いましたが…」といったところ「お前の命なんかいらん。と言うか死ぬなら(貴重な戦力となる)その右腕を置いていけ」…また前田慶次を引き合いに出すけど翻案すれば、隆慶一郎の時代物になりそうなエピソードだな(笑)。
「その時美内公(あっ、いっちゃった)仰せられ『そなたの命は然るべく候も、その右腕捨てがたく、惜しきものなり。もし汝、腹切らんとするならば、右腕のみは此世に置いておくべし。この旨申し付け置く』、笹生、伏して感謝申す」(※この疑似古文の文法はめちゃくちゃです)
「ゆるされた」
51.「花の慶次-雲のかなたに-」許されおじさん
— タラスク (@tarasque1059) 2021年2月4日
許された pic.twitter.com/XCCVaNbwNI
ちなみに美内公、仕事場ではけっこう、自ら率先して「ガラスの仮面」へのセルフツッコみもしているそうな
ところでひとつ難点をいうなら、この作品はネームを登場する漫画家さんに送ってもらい、細部の記憶違いなどを確認したらしいーーーーーーーーーーここは大きな問題で、当然ながらこれは、事実の確認という点では非常に役立つけれど、一方でこれによって良くも悪くも悪くも悪くも「正史」になる。この場合の「正史」とは、ポジティブな意味ではない。
「正史」はいかに書かれてきたか―中国の歴史書を読み解く (あじあブックス)
- 作者:竹内 康浩
- 発売日: 2002/06/01
- メディア: 単行本
要は、書かれてる人に都合の悪いことは描かれなくなるだろうということ…いやアシスタントした巨匠たちを深く尊敬する作者の立場から言えば、元からそういう話を載せるつもりはないのだと思う、たぶん。
これは「そういう限界がある」と諦めるしかない部分なのかもしれない。ただし、ここからは「一度きりの大泉の話」は描かれない 。そこは心すべき部分だろう。
(略)…内容をご本人に確認いただいた後、ネームにして、再び先生方にチェックをお願いしました。2018年末にネームが完成して、2019年に作画を始めました。久々に商業漫画を描くのは時間がかかり、仕上がったときは秋になっていましたね。そして2020年2月、刊行に至りました。
――プロットやネームを見せた際、先生方の反応はどのようなものでしたか?
40年ほど前の内容なので、「私そんなこと言ってたんだ」と皆さんびっくりしていました。
ある先生はネームを送った後、1週間返事がなく、心配になって連絡すると「どんな内容が描かれているのか怖くて封を開けられなかった」とおっしゃっていて(笑)
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作者は、そうした理由みたいなこともあとがきで書いている。自分の記憶は、ある意味で書かれた側にとっては「盗撮ビデオ」のようなものだと。
実は歴史の証言というのは確かにそういう部分もあって…ある意味歴史の神ではなく「歴史の悪魔」の担当分野なのかもしれない(笑)しかしその「盗撮ビデオ」がなかったら歴史の闇の中に、今回の事実は埋もれていく。そんな矛盾の産物・・・・・・
しかしそんなことを勘案しても、いやそうであるからこそ、今回作品として記録に残された数々の証言は、宝石のような輝きを放ち、ロゼッタストーンのような歴史の重みを持つだろう。
この後の続編も期待したいし(自身の自伝的な作品をすでに手がけ始めているとか)、そもそも巨匠に師事した、名作が作られた時の「アシスタントの証言」は、オーラルヒストリーの要領で学問的に体系的な収集がなされてもいいのではなかろうか…
そんなことまで思いました。
※銀英伝、ロイエンタール死亡の場面。側近が選んだのは、「最後の言葉の記録」だった
『……元帥号を剥奪された男の、黒に近いダークブラウンの 頭部が前方に傾くのを見て、ソファーに座っていた少年は、声と息をのんで立ち上がった。一瞬、腕の中で眠っている乳児をどうするか迷ったが、小さな身体をソファーに置くと、デスクに駆け寄って、わずかに動く口元に耳を寄せた。 少年は、慌ただしく、必死になって、鼓膜を弱々しくくすぐる数語を、メモに書き留めた。ペンを持ったまま、蒼ざめた、端正な顔を見つめた。』
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※ルイス・フロイスが書簡でバチカンに報告した、柴田勝家の最期
「羽柴やその他の敵に城内で起こったことを完全に知らせるため、柴田は死ぬ前に諸人から意見を徴した上で、話術に長けた身分ある老女を選び、右の出来事の一切を目撃させた後、城の裏門から出して敵に事の次第を詳しく語らせた。」
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【記録する者たち】※準タグです。この言葉でブログ内を検索すると関連記事が読めます
余談 ご本人からリプを頂き…(汗)
なんと、もったいないほどのお言葉をたくさん頂戴いたしました。本当にありがとうございます!
— 笹生那実『薔薇はシュラバで生まれる』このマンガがすごい第3位を受けて6刷決定! (@sasounami) May 10, 2021
「そなた命は然るべく候も」…は笑いました❣️😂 https://t.co/wp4eSN8hlP
ご本人が読むとは全く想定してなくて(笑)、失礼の段は重々お許しを…
— INVISIBLE DOJO (@mdojo1) 2021年5月10日
インタビューでおっしゃられていた、次回作も期待しております。
失礼だなんてとんでもない!笹生、伏して感謝申し上げます(笑)
— 笹生那実『薔薇はシュラバで生まれる』このマンガがすごい第3位を受けて6刷決定! (@sasounami) 2021年5月11日
インタビューで言っていた子供時代を描く作品は、なかなか進みませんもので💧中断。今はアシや漫画家時代を別アプローチから描く作品にとりかかろうとするところです。