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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

【提案】エンタメの「古典継承」には「今、旬の作家が『自分を育てた昔の作品』を紹介するのが効果的」

まず、最初はその議論をtogetter的に読んでもらうとしよう。






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マンガ狂につける薬 二天一流篇

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  • 作者:呉 智英
  • 発売日: 2010/12/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
マンガ狂につける薬 下学上達編 (ダ・ヴィンチブックス)

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  • 作者:呉 智英
  • 発売日: 2007/05/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)





途中からもリンクは伸びているけど、あらためて関連の過去togetter

togetter.com

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その過去まとめでも、今回でも語っている、当方の持論は
『今の漫画やエンタメ雑誌の中で、古典の映画や漫画を紹介・啓蒙するコーナーが設置されるべき(ビッグコミックやアクションで、そういうコラムが最近設置されていました)』

これは何かというと……
ホイチョイプロダクションがビッグコミックで今年5~月のあいだに連載していた「〇〇見るならこの1本」。

岩崎夏海氏が2019年ごろに漫画アクションで連載していた「紙風」(なぜ漫画アクションには紙風が吹くのか?)

過去まとめで当方が紹介していたのは夢枕獏の鼎談風単行本「ガキのころから漫画まんがマンガ」。


岩崎氏とかホイチョイとかは、拒否反応や否定的なイメージを持つ方も多いかもだけど、読んだ限りでは両方とも面白いし、過去の名作を手に取ろうかと思わせる紹介の役目をはたしていたですよ。

そう、漫画とかだと特に自社製品を売ることに直結するわけだから、うちの過去シリーズにはこんなに面白い作品がある!若い皆さん、読んで!!買うて!かつてのファンも再読して!!!
は臆面もなくアピールすべきなんですわ。
そういう宣伝がないと、どんな過去の名作も埋もれていく。

少年マガジン、今では新シリーズがアフタヌーンで連載中の「もう、しませんから。」は、個人的にも読み飛ばしてた作品、今出ているのに知らなかった作品を紹介してくれて、読者にしてくれた。講談社的にも相当な経済効果をもたらす宣伝マンだと思うけど、これの「旧作・古典版」のコーナーがあってもいいってことです。

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もう、しませんから「スキップとローファー」

ただ「紹介者の名前で売る」ということなら、こういう専門家の専門コーナーもいいけど、いま旬のクリエイターがリレー形式的に「自分が好きだった」作品を紹介していく、というのがいいのではないか。このブログの読者も大好きな「創作の系譜、系統樹」を作るのにも役立つ。


上のまとめに収録した「カスガ」さんが、「1冊の本はすべての文学を内包する」という話をしている。ひとつにまとめる

カスガ @kasuga391
北沢楽天岡本一平麻生豊大城のぼるも読まれなくなったのに、なんで手塚治虫藤子・F・不二雄石ノ森章太郎赤塚不二夫だけが永遠に読んで貰えると思うのか。
もし手塚や藤子や石ノ森や赤塚だけは特別だと思うなら、それは単に現代の中高年が子供の頃に愛読した作家が彼らだったというだけの、身贔屓でしかない。


では、楽天も一平も麻生も大城も手塚も藤子も石ノ森も赤塚も、そして今後現れるであろう無数の漫画家たちの作品も、ただ時代の流れに乗って消えていくだけの虚しい徒花に過ぎなかったのかと言うと、そうではないと思う。
これについては筒井康隆氏が『巨船ベラス・レトラス』で、極めてSF作家的と言うか、興味深い見解を書いている。

『巨船ベラス・レトラス』は架空の前衛雑誌ベラス・レトラスと、それを巡る作家たちのやりとりを通じて文学の存在意義や未来について語った小説で、その結末近くで登場人物のひとりが、古典が全く読まれなくなった現状を嘆き、「文学はこのまま失われていくのか」という疑問を述べる。
それに対して、別の登場人物はこう答える。
たとえ文学に無縁の人といえども、一冊の本を読めば、その一冊の作者は千冊の本を読んでいるだろうし、その千冊の本の作者もそれぞれ千冊の本を読んでいる筈だ。
いかなる作品もそういった過去からの継承の上に成り立っているのだから、現在存在する本はどんな一冊であろうと、過去のすべての文学作品を内包しているのである。


だからこそ、我々はそれまで縁のなかった古典に初めて触れたときにも、どこかで出会ったような懐かしさを覚え、古典など読んだことのない作家が書くものにさえ、古典の技法が含まれているのだ、と。
すなわち、すべての本は一冊の本であり、すべての作者はひとりの人間であり、古今東西のすべての作家は、一冊の本を書き続けているに過ぎないのである。

※このエントリへの感想的なツイートをいただいた。




この話が、実例的にわかる挿話が、ある漫画になっている。
高橋留美子氏の紫綬褒章受章を受けて、カメントツ氏が高橋氏へのインタビューをした際の自作マンガを公開したやつだが……
togetter.com

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高橋留美子氏が、ちばてつや氏に自分がどんなに氏の作品が好きかを語る

高橋留美子が「どんなに好きか」をずっと熱く語れるのが、ちばてつや作品』・・・・・・こういうリレー、系譜論があると、やっぱり世代的にちばてつや作品は良く知らないよ、という人も手に取ってみたくなるんじゃないかい?

ちばてつや自伝 屋根うらの絵本かき

ちばてつや自伝 屋根うらの絵本かき

ということで、「文化の次世代への継承」を麗麗とかかげてでも「わが社の倉庫に眠ってる過去作、売り尽くしてやるゼぐへへ」的な商売っけ丸出しでもいいから「サブカルの古典作品(マンガ、ラノベ、アニメ、ゲーム、特撮…)を紹介するコーナー」が、一雑誌にかならず1コーナー載っている、そんなふうな形になることを願っています。


【創作系譜論】
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