「検察人事は内閣に属するのだから、
内閣総理大臣に責任がある」
これ、平凡な
ふつーの見解。本人もそう言ったようだね。
「最終的には内閣として決定しているので、当然責任がある。批判は真摯(しんし)に受け止めたい」
www.asahi.com
本来的には、
これで終わり。
だが。
とある文書には…
東京高検検事長の定年延長についての元検察官有志による意見書
これまで政界と検察との両者間には検察官の人事に政治は介入しないという確立した慣例があり、その慣例がきちんと守られてきた。これは「検察を政治の影響から切りはなすための知恵」とされている
www.asahi.com
さて、今回突然に賭けマージャンをやったというわけではあるまい。
検事長になる前から、お好きだったようだ。
この黒川氏が、第一次安倍内閣発足前から検察庁のさまざまな役職を歴任し、出世街道を歩いてきた当時、そして賭け麻雀に手を染めはじめた当時、或いは検事長就任に際して(仮に)『検察官の人事に政治は介入しないという確立した慣例があり、その慣例がきちんと守られてきた』としたら、今回「検事長に彼がなったのは不適切な人事だった」とするなら、検察のなかでは、誰が任命責任を問われるの??
・・・・・・・・と、いうハナシを、いま思いついたんだけど、この答えはなんなんだろうね?
実はこれが法律を埋める「慣例」というものが一般的に生む、不協和音なのかもしれない。