エッセイの連載を、「日刊大衆」で
はじめた。
はじめた。
はじめた。
さらにはじめた。
【夢枕獏先生】週チャンで #バキ外伝ゆうえんち を連載中の #夢枕獏 先生がWEB連載「がんばれ!格闘技」(日刊大衆)をスタート!! 5/14更新記事は「バキ外伝-ゆうえんち-」について!! →https://t.co/BzoFE3OhLX
— 週刊少年チャンピオン編集部 (@Weekly_Champion) May 14, 2020
ぜひチェックしてみてください!! pic.twitter.com/J8uaF0OGv2
というか、そもそも、夢枕先生が日刊大衆にはたらきかけて、「がんばれ!格闘技」というサイト内ページを立ち上げてもらったらしい。
「コロナと闘っている格闘技を応援したくて、ぼくの『餓狼伝』を出版していただいている双葉社にわがままを言って、がんばれ!格闘技というサイトのようなものを「日刊大衆」というウェブサイト上の“雑誌”の中に、立ちあげていただきました。
今、格闘技界がどのような状況にあるかを、この場を通じて多少なりとも発信してゆけたらと思っています。
私も原稿を書かせていただくことになっておりますので、興味のある方もない方も、お時間があればぜひ。一ヶ月くらいはなんとか続けたいと思っています。
ここを乗り切って、また、格闘技会場で会いましょう。
「がんばれ格闘技!!」
立ち上げの際のメッセ―ジはこちら
なんたる、神っ・・・・・・・・・
圧倒的、感謝っ・・・・・・・・・・・・
で、そのエッセイの第二回。
taishu.jp
……今、ぼくは少年漫画誌『週刊少年チャンピオン』に、格闘小説の連載をやらせていただいている。同誌の人気連載漫画、板垣恵介さんの「グラップラー刃牙」シリーズの外伝で、タイトルは「ゆうえんち」である。
バキシリーズの最凶死刑囚編がアニメ化されるのに合わせて、依頼が来たのである。
これは断る手はない。喜んで書かせていただくことにした。
主人公のバキ、範馬勇次郎、花山薫以外のキャラクターであれば、いかようにでも使っていいということであった。なんというおもしろい仕事か。もちろん、多くのファン(ぼくもそのひとり)がいて、それぞれのキャラにみんなの思い入れがあるわけだから、いかようにもと言われたって、わきまえておくべきはわきまえて‥‥…
むかーし、バク先生はどこかから「〇〇の小説化をしませんか?」と言われて「一から創作できるのが小説家の醍醐味なのに、他人の設定やキャラクターをお借りして書く必要もないから」みたいなことを言って断った、みたいなエピソードをどこかで読んだ気もするのだが…結局は、その作品次第なのだろう。
そもそも、コンデコマやシャーロック・ホームズを登場させるのも、一種のキャラクターの拝借だしね。
にしても、これだけの実績のあるプロ作家が「二次創作」を敢えてやってみて(最近はそういうの増えてきたね、一流作家がガンダムもの手掛けるとか。)、その際の創作作法をこうやって書いてくれるのもありがたい話である。
2ページ目には、イマジネーションを言葉で描写する作家が、アクション小説の挿絵をどのように絵師に描いてもらっているのか、というのが、自筆の指示の元画によって示されているのもたいへん興味深い。
これから、この連載読んでいきましょうよ。
そういえば、最近夢枕獏のエッセイ集読んでいないな。最新のやつって何だろう。あとで探しておく。
夢枕獏の連載が、長くなる理由
一年ほどで終わるつもりが、長くなってしまったのはいつもの通りだ。
これには理由がある。
Aというキャラを立てたいときには、やられ役のBというキャラが必要であり、このBの強さを立てるには、Cというキャラが必要でーーとやっていくと、主人公・葛城無門と闘うキャラを四人出すとすると、単純計算で、八人のキャラが必要になってしまうということになってしまったのだ。しかも、書いてゆくと、ことはそんなに簡単なことではない。あれもやりたい、これもやりたいということで、書きたいことがどんどんふくれあがってしまい、ついに三年目突入ということになってしまった。
もともとやっていた連載が十本。これに『チャンピオン』の連載と、新聞の連載が加わって、現在十二本の連載を平行してやっているのだよ。その中にはもちろん『キマイラ』も『餓狼伝』も『陰陽師』も入っている。年内に始める予定だった三本の連載を先送りにして、毎日毎日原稿の日々なのである。もう六十九歳だよ。どうなっているんだ、おれ。
「ああ、幸せなおれ」。夢枕獏、格闘小説誕生の舞台裏! | 日刊大衆
なにこの、やられ役バイバイン理論。
指数関数的に増えるじゃん。
パンデミックじゃん。
まあ、その冗談はともかく、上弦の月を食べる獅子はともかく。
「69歳だよおれ」には感じ入った。
「創作って、なんで完結しなければいけないんだ。物語が俺は好きだ。だから永遠に読みたいし、書きたい。終わらせなきゃなんて発想から作家は抜け出さなきゃ」と公言するかの方、いまの連載中の作品が全作未完になったって悔いなし、なのだろうけど、読者はねえ・・・・・・・・・
美内すずえと、さいとう・たかをと、そしてみなもと太郎と、同じカテゴリーにそろそろ分類するよ、心の中で(笑)
夢枕先生の「そもそも物語は、なんで終わらせる必要があるんだ。風呂敷は広げたら、広げっぱなしでいい」理論についてはこちら
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……ぼくは、病気です。
言葉を書く、物語を書かずにはいられないという病気です。
毎日物語を書いて、飽きません。
無人島でも書く、地球で最後の人間になっても書きます。これは、ほんとうのことです。賢治もそうだったんだと思います。
西行の物語を書いていて、わかったことがあります。
(略)
作品は、音楽であれ何であれ、人に向けられて発信されるものですが、最後の最後では、それは、自分に向けられたものなんですね。
それが違うというのなら、神でもいいんです。
作品は、神への供物です。
そうでないのなら、それはもう、風や水のように、自然じねんのものとして、宇宙にただようものですね。
そういうものでいいんですね。
ぼくの場合は、物語です。
人間というのは、いえ、脳というものは、どうしても物語を作ってしまうようにできている。
人間の社会というものは、まさしくそういう物語、ファンタジーによって支えられています。(後略)