夢枕獏「大江戸恐龍伝」が完結した。
- 作者:夢枕 獏
- 発売日: 2015/11/06
- メディア: 文庫
- 作者:夢枕 獏
- 発売日: 2015/11/06
- メディア: 文庫
- 作者:夢枕 獏
- 発売日: 2015/12/08
- メディア: 文庫
- 作者:夢枕 獏
- 発売日: 2015/12/08
- メディア: 文庫
- 作者:夢枕 獏
- 発売日: 2016/01/04
- メディア: 文庫
- 作者:夢枕 獏
- 発売日: 2016/01/04
- メディア: 文庫
なげー!!な長編だ。というか、本人がいうには、「小学館の歴史始まって以来の超大長編なのである」とのこと。
小説だとそうなるのかな?
それについて、小学館のPR雑誌「本の話」2016年2月号で…抜粋する
・物語は長いほうがいいに決まっている。そういう信念がある。
・どうして、そういう(自分が好きな)物語にはラストがあるのか。本を読んでいて、残りページが少なくなっていくのが悲しくて悲しくてしかたなかった。物語に終わってほしくない。
・永遠に書き続けられて、永遠に終わらない物語・・・これが物語の王道であると思う。
・ぼくが原稿用紙のマス目を下手な文字で埋めていくのは、なにか言いたいことがあってそれを小説で表現しているわけではない。
・ぼくが書きたいのは、物語そのものなのだ。
・まず一番に物語があって、いいたいことやテーマはその後にくっついてくる
…てめえ(笑)。
それはいいんですけどね。
餓狼伝はですね……
また、これを助長した編集者Xがいる!!(また「プロレススーパースター列伝」風)
これ、なんども紹介したけどね、
本人がかく書いている。(大帝の剣「妖魔復活編」あとがき)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20060212#p3
おれは怖くなった。
いくらでも広がっていきそうになる風呂敷を、なんと、このおれは、押さえながら書いているのであった。(略)ようするに、思いつきの垂れ流しになってしまうのではないか。
【註:そうしたら、ある編集者が】
「かまうことはありません。大風呂敷、結構ではありませんか。いくらでもがんがん広げてしまえばいいではありませんか」
どん。
「しかし、そうなるとプロとして結末の責任をどうとってゆけばいいのか、非常にむずかしくなってしまうのではありませんか」
(略)
「これこれという作品をごらんなさい。だれそれさんのあれはどうですか。それに、あの作品があるではありませんか。それらはみな、どれも、伝奇小説としては傑作と呼ばれているものです。しかし、どの作品も例外なく結末が書かれていないのです」
言葉の正確な意味においての、確信犯でした(笑)。
いや、おれの拙い要約では、弁護人陳述の迫力が伝わらない!
— gryphon(まとめ用RT多) (@gryphonjapan) 2018年5月14日
もういちどhttps://t.co/2tSaMK61Mcに関連して、「大帝の剣」妖魔復活編あとがきのアレを、それする!!どやっ!! pic.twitter.com/TQJcblMFk7
しかし、夢枕氏はけっして怠けているわけではない。執筆ペースでいえば、たとえば佐藤大輔氏より勤勉だろう(比較対象がよくないか?)
夢枕氏が自分の基準で「長編」としているのは
「魔獣狩り」
「新・魔獣狩り」
「荒野に獣慟哭す」
「涅槃の王」
「大帝の剣」
「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」
「獅子の門」
「宿神」
「東天の獅子」
そして「大江戸恐龍伝」。
以上は、「完結した長編」であり、未完の長編は入れてない。
それに、映画がまもなく公開される「神々の山嶺」とかは上下なのに、夢枕基準では長編とは言わない。「空手道ビジネスマンクラス練馬支部」もあんなにぶあついのに、一冊じゃ基準外。長編とも呼ばない。
こいつ・・・・・・・・・・・・
で、本人の「大江戸恐龍伝」宣伝
なんと、江戸の町に恐龍が出現する。これを南の島からつれてきたのが、かの平賀源内である。もちろんこの恐龍は逃げ出して大暴れ。
(略)
平賀源内、恐龍、中国古代史、宝探し・・・こういう物語が好きな人は、もうたまりませんよ。
長くて悪いか。もちろん、いいのである。
そしてこのまとめにつながる
togetter.com