この前書いた話の続き。
柳澤健、「プロレスから格闘技へ」3部作 第2弾!
- 作者:健, 柳澤
- 発売日: 2020/03/10
- メディア: 文庫
単行本刊行時に話題沸騰!
プロレスから格闘技への過渡期に痛烈な一閃を浴びせ、
「UWFブームの震源地」となった一冊を渾身の文庫化!文庫版特典 クリス・ドールマンとの一問一答
目次
序章 北海道の少年
第1章 リアルワン
第2章 佐山聡
第3章 タイガーマスク
第4章 ユニバーサル
第5章 無限大記念日
第6章 シューティング
第7章 訣別
第8章 新・格闘王
第9章 新生UWF
第10章 分裂
終章 ヴァーリ・トゥードあとがきにかえて~VJT95以降の中井祐樹
文庫版のためのあとがき
クリスドールマンとの一問一答
[特別付録]1981年のダイガーマスク
この前の話の続き、というのはこれな。
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当初、この文庫の元本が出た時、某御大がお怒りでな。いろいろ「反論」したばってん。
(略)
そんなかで、「”彼”に聞いたら、取材者にそんなことは言ってない、と言ってた」とか「そもそも”彼”に取材したのか疑わしい」的なことをね・・・・・・
いや、あのへんて読めば、だいたい内容わかるじゃん、会ってないのに創作出来たらそっちのほうがすごい、的なことはさ
(略)
しかし、取材した側からすりゃあね。「はい、わかりました。じゃあ、その時の一問一答の再現ね」
とかえってくるんですよ。これって、現在、ひとつの完成形を見ている「週刊文春スタイル」でもあると思うが…著者はそれを80年代に構築していったメンバーの一人なんだから…
この見立ては、結論としてそのまんまずばりと当たっていた。
……2015年5月19日にアムステルダム郊外で私が行ったインタビューが、ドールマン自身によって否定されたことは悲しい。そうか、UWF大阪球場大会で前田と戦った試合もリアルファイトだったのか、知らなかった。
幸いにも音源が残っているから(2013年当時、私はまだカセットテープを使っていた)ドールマンとの一問一答を431ページに記しておこう…
ここで、ちょっと長めに、余談を語る。
こういう仕事をしている人の、「インタビュー音源」はどう保存されているか?である。多くは著名人、有名人であり、また多くは物理的に、語りの100%を活字にはできない。せいぜい10%か、いや20%か……
この件、以前書いているので、再度紹介したい。
(略)…インタビューというものを生業にする人は、
「このやりとりの音源は資料価値(商品価値)があるんじゃないか?残しておくべきでは?」
「このとてもはずんだ会話、撮影しておけばトークショー番組として成立したな…」
というところを、今後は考えておくべき必要があるんじゃないかなあ。この問題意識は、ずーっと持ち続けている。まもなく1000本になろうという自分のtogetterまとめの初製作は、このテーマでした。やり方がわからないまま、試行錯誤したっけ。
ジャーナリストの貴重な取材資料を、どう保存し後世に残せるか(猪瀬直樹氏) - Togetterまとめ
togetter.com
猪瀬直樹が木村政彦やシャープ兄弟にインタビューしたときの音源や映像がとりあえず物理的には残っているらしい。探せばあるらしい。
力道山を書いたとき(『欲望のメディア』)に、米国でシャープ兄弟にインタビューしたがそのとき現地でテレビクルーを雇って撮影したビデオがどっかにあるはずだが…、と覚束ない。 RT @gryphonjapan @inosenaoki 膨大な取材記録の管理状況はいかがなでしょうか。
— 猪瀬直樹/inosenaoki (@inosenaoki) September 24, 2010
「カセットテープ」などで録音するのもよしだが、今はMp3音源などになっているはず。ぜひとも「消去」はせず、バックアップを残していてください。
その肉声は、いつかお宝になる。斎藤文彦氏も、最近出した本でブルーザー・ブロディの音声をどこかのサーバーにおいて、本にはQRコードを付与して「ここから彼の音声(英語)が聴ける」というのをやっていたですよ。技術が進歩すれば、いろんなことがあとからできるようになるのだから。
これか
- 作者:斎藤 文彦
- 発売日: 2018/07/10
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
ともあれ、今回はその音源が残ったことは本当に貴重で…
1・Aさんにインタビューした、それをもとに記事を書いた。
2・そのあと、それは事実ではない!という主張をする人がいて
3・その人が「Aさんに自分も尋ねたら、そのインタビューを否定する手紙を送ってきた」と現物を見せた…
場合、もしインタビュー音源や、一問一答の再現ができなかったら、その手紙のほうが、信用度がある、という話にもなりかねないのであった。そこらへんに対して、反撃の弾を持っているのが、自分が言った「文春流」なのだが…
そもそも、前田はどんなことを言ったのか。
それは、この本でございます。
- 作者:前田日明
- 発売日: 2017/12/08
- メディア: 単行本
- 作者:前田日明
- 発売日: 2017/12/08
- メディア: 単行本
この本は、いくつか評判が、吉田豪氏の書評などを含め活字やネット上のテキストになっているけど、ほぼ満場一致で「読みにくいよ!!」と言われるという稀有な本だ。読みにくさの「リアルワン」、シュート野郎である。しかし、前田日明になにやら信頼されて、その肉声を聞けるというのは、それはそれで非常に貴重な立ち位置である。だから今回、前田が受け取ったというドールマンからの返信を、この本で公開したこと自体は重要なスクープだとは思う。
これな。
訳文
マエダさんからの要請でお答えするのですが、わたしがインタビューでUWFでの二試合とそ のほかのリングスでの試合が(勝ち負けを)前もって決めた試合だったということは絶対にあ りません。わたしは日本でフィックスされた戦いをしたことはありません。すべてリアルファイトです。そのインタビュアーはあてにならず、ウソつきです。彼は間違ったことを言い、わたしの言葉をねじ曲げたのです。マエダさんとわたしは本物のファイターであり、ペテン師ではありません。
今回の文庫では、まさにこれへのダイレクトなリアクションになっている。
重要部分だけ、厳選して抜粋しよう
―(※UWFに初参戦したときに)リアルファイトではない。マエダに勝ってはいけないという話は、いつ頃お聞きになったのでしょうか?
ドールマン Ah...., How did you know?(どうして知ってるんだ?)
―みんな知ってます(笑)。
ドールマン ヤン・プラスが電話で伝えてきた。私自身はもちろんリアルファイトでやりたかった。打撃と組み技をミックスするスタイルは好きだし、私はレスリングも柔道もやっていたから、リアルファイトで戦う準備は整っていた。UWFからは、マエダのボディは蹴っていいけれど、頭を蹴ってはいけないと言われた。
―アマチュアアスリートだったドールマンさんは、フィックスト・ファイト(=結末のきめられた試合を戦うこと)と戦うことに抵抗はなかったんですか?マエダが勝ち、自分が負けることが最初からわかっている試合を。
ドールマン I didn't like it. 好きではなかったよ(笑)。しかしマエダとの試合は、 私にとっていい経験になった。私は契約に合意した。ゲームだし、グッドマネーだし、納得してやったことだ。私はずっとアマチュアで、多くの競技で結果を残してきた。 勝つことも負けることもあったが、そこにお金は発生しなかった。キャリアの最後にマネーをもらうのは悪いことではないんじゃないかな。当時はもう44歳になっていたし。
―大阪球場の前に、どこかの道場で前田とリハーサルを何回かやったんですか?
ドールマン 一度だけ。試合の数日前、大阪のどこかのスポーツホールだった。
―前田選手にキックやレスリングの能力はありましたか?
ドールマン 打撃も寝技もよかった。オールラウンドレスラーとしてのベーシックを持っていたと思う。
―UWFとリングスのスタイル、違いはなかったですか?
ドールマン オールモストセイム。ほとんど変わらない。
―リングスで、結末の決められていない試合はあったのですか
ドールマン リングスでも多くの試合で結末は決められているた。ただし、打撃には本当に注意しておかないと、予定通りのフィニッシュにならないケースもあるんだ。例えばデニス・ラーフェン(リングスオランダ)は、自分が勝つはずだった試合で、うっかり相手の蹴りを食らってしまいKOされたことがある。(注.1996年6月20日のビターゼ・アミラン戦のこと)。だから、リングスの試合はものすごく難しいんだ。
よくある「そこまで言って委員会…と思ったら、そこまで言っちゃだめだったん会?」話(結婚式などでよく起きますね)
ま、並べたら過去記事の推測は99%正しいと思う
「これぐらいはもう、公然の事実みたいなもんだろう。ここまで言ってもセーフだろうな」
「え、このへんのことも、あいつにとっては言っちゃだめのNG扱い?あいつ怒ってるよ、まいったなー…そんなことは言ってないよ、ぐらいに取り繕っておくか」
みたいなことは、あってもおかしくないかもしれない(推測です)
ありますねー。とくにプロレス格闘技界の思い出話だと、相当にみんなですり合わせでもしてないと、おおらかな人が「これぐらい言ってもだいじょぶだろー」と、柳澤健とか吉田豪とか堀江ガンツとかにぶっちゃけるけど、それがこっちでは『まだケーフェイだよそれ!!」となることの、なんと多いことか(チコちゃんのナレーター風)。
一般人の結婚式でも
「結婚おめでとうございます。私と新郎は中学時代からの悪友でして、一緒にさんざん悪いことを……」
「エリカ、おめでとう。わたしは、新婦とずっと仲良しで、特にコスプレという趣味が共通してまして……この日のために、特別編集のスライドを用意してきたんですけど……」
みたいに、もうその先は悪い予感しかせんのう、な展開が…。
ことほどさように、ケーフェイの範囲は、意外と個々人でズレがあり、やはりハイスパット(打ち合わせ)は必要なんです。そういうのなしに試合を組み立てるのがプロだ、なんてのはオールドスクールだぜ。
そのへんでうっかりしゃべってしまったら、プロレススーパースター列伝世界では太陽仮面ソラールのように腕を折られるところだが、現実には無理があろうがなかろうが、そんなことは言ってないよ、とか言いつくろう必要があるようなのです。
…静まりかえった結婚式場
JODAN JODAN JODAN
お二人のために 万歳しましょう
www.youtube.com
みたいな。
ドールマンは前田との友情を失っているわけではない。前田が「掟」から、この功労者を解放してあげるべき
インタビューは、別に一部の暴露系メディアのように、怒りや恨みを募らせて告発してるわけではない。
前田が好きだったこと、技術のベーシックを備えたファイターだったこと、UWFやリングスの扱いに満足していること、とてもタフで、大手術を受けたのに痛みに耐え何事も無いふりをして頑張っていたこと…
そういうことをきっちりと称賛した上で、でも、UWFの試合はリアルファイトじゃなかったし、リングスはそれと「almost same」だけどね!!と、言ってるだけじゃないすか…。あ、あと、「私もコーサカが一番強かったと思う」とかは言ってるけどさあ(笑)
90年代、アミューザ全盛のときなら、そりゃ大騒ぎだったでしょうけどねえ。そこから20年すよ…。
たしかにドールマンは、そういうのをのみ込み、表には出さないインナースクールに一度は入ったのだろう。それは昔は、「墓場まで持っていくたぐいの話」だったのだろう。
しかし、それは、さすがに今はどうか…
それは、時代の変化もそうだけど、リングス内、UWF内の論理としても、ドールマンは本当に献身的に前田を助けていたではないか。そしてそれは、構造として、アマチュアスポーツ時代に培ったドールマンの実績を、UWFやリングスのファイトによって、彼に勝ったファイターが吸収することで成り立っていた。
そのリングスも終わったいま、そのインナーサークルの掟からドールマンを「名誉除隊」させてあげてもいいのではないか。
あれらの試合が、そういうものであっても、リングスにはのちに世界を席巻する強豪が(結果的に)集まり、また、その経験を肥やしに全ガチ団体(という視点でも見られる)アウトサイダーを立ち上げ、そこから朝倉兄弟や金太郎、吉永啓之輔に佐野哲也…らが世界にはばたいた。
それだけで、おつりが十全にくるではないか。
あるいは、平直行のこの本での描写。
m-dojo.hatenadiary.com
…会場に入ると廊下で偶然、リングドクターの野呂田秀夫先生とばったり出くわした。
僕は今度 UWF や日本の総合格闘技に関する本を書くことになった、と伝えた。
「そうか。あのね、前田は私利私欲がないんだ。リンクスの頃、膝がすごく悪かった。でも団体のために試合を欠場することはできない状況だった」
(略)
前田さんの膝は日に日に悪くなりただ立つだけでも辛い状態だったそうだ。立っていても膝がまっすぐにならない。そこまで前田さんは頑張っていた。自分のためではなく、 みんなのために。野呂田先生は真剣な顔で僕に言った。
「これ書いてくれよ。あいつは誤解されている。いいやつなんだ、漢だよ。本当はあいつも”格闘技”をやりたかったと思うよ。みんなのために我慢したのかもしれないよ」
…結果として過渡期に怪しい試合やリアルファイトではない試合があったから今の総合格闘技は存在する。
現在の基準で過去を批判するのは簡単だ。だがことの当事者たちはもがき、苦しみながら目の前の現実と戦わなければならない。過去の礎により、今は創られている。あの時代の出来事のすべてが今の礎になっている。
この、前田にも認められているらしい平直行の本が、「1984年のUWF」のラストシーンと、ほぼ重なることは読んでお分かりになると思うのだが…そういう、穏やかな「名誉除隊者」として、功労者クリス・ドールマンを遇しても罰は当たるまい、というのが、前田日明反論書と、今回の文庫特典を読んでの感想でした。
リングスオランダの総帥 クリス・ドールマンの近影。さすがに爺さんになったが現役のストリートファイターのヤバ味がある。https://t.co/NjeCytkatP pic.twitter.com/AmIQzZ420h
— おかしめじ (@okasimez) March 11, 2020
(了)