ヴィンランド・サガ、アニメ最終回でございました。
— 幸村誠 (@makotoyukimura) December 29, 2019
すごいアニメだった…。トホーもない仕事だった。自分の漫画のアニメをさ、こんなに立派に作ってもらえるという。なんだろうね…漫画家みんなが夢想する「こうだったらいいな」という、その通りの事が自分に起こった。夢のよう。
⚔第予告映像公開⚔
— TVアニメ「ヴィンランド・サガ」公式 (@V_SAGA_ANIME) December 26, 2019
第24話「END OF THE PROLOGUE」は12/29(日)24:10よりNHK総合にて放送予定
※関西地方も24:10より
※放送日時は変更になる可能性がございます
▼あらすじはコチラからhttps://t.co/NYpmJm5GQi#VINLAND_SAGA #ヴィンランド・サガ pic.twitter.com/vLqkrL8i7s
ということでアニメ版は最終回、アシュラッドがクヌートの父王とある意味で差し違え、クヌートがイングランド方面軍を掌握する。そしてトルフィンは自分の目標だった「父の仇であるアシュラッドを決闘の形で倒す」が突然消滅し、人生を見失う…というところで終わり。アニメで全編通してみるのは個人的にもひさびさ。この続きは作られるのかな。
さて。
これは今回のアニメではなく、原作でもそう思ったんだけど…タイトル通りですわ。
しかし、乱入した敵の刺客が、とかならともかく、殺したのは「自分が従士として採用し、その身分で王の本陣に来た男」である。
それも突然、剣をふるって王の首を刎ねる。
いちおう、言動的には「突然乱心した」ようにも見えるものが、さりとて直前の発言は理路整然とし過ぎているしねえ。王と王子の不仲は以前からささやかれていた。
「王子がアシュラッドに命じて王を暗殺させた」ように見えてしまうねん。もちろんその疑問を払しょくさせる効果が「クヌートが手ずからアシュラッドを成敗した」ことにはあると思うが、口封じにも見る訳でな。いや、そもそも、本当に「乱心し王を殺した部下を、クヌートが成敗した」であっても基本的には王子の責任論問われねえか?
だからあの政権交代劇は、なんか穴、瑕疵がありすぎるのだ。
・・・・・・・・・・・まあ、もちろん、それは劇中でもすべて手当てがしてあるんだよね。
もともとアシュラッドも、犯行のたぶん10秒前までは、まったくもってこんな展開を予想も予定もしていなかったのだ。
アシュラッドの秘密の故郷、ウェールズ侵攻計画の発表→、それをアシュラッドが「忠言、諫言」のふりをして反対→、賢王と見られたい欲望が強いスヴェン王が、その諫言を称賛しつつも「アシュラッドはウェールズに特別の思いがある」ことを見抜き、それをネタに裏切りを誘う→だが不用意に、アシュラッドの一番敏感な、逆鱗に触れる言葉を発した王への殺意を、一瞬でアシュラッドは固める…
……これすべて、政治的即興劇。
こんなアドリブの応酬に、設定の緻密さを構成しようもありゃしない。
だからこそ、この政治劇の舞台にあとから登場し、主役兼幕引きを行うように、これも突然誘われたクヌートに必要なのは、この時は自分の無罪や正当性を訴える整合性とかではなく、「威厳」と「雰囲気」”だけ”が必要だったのだ。
そして、それ以外で豪族たちを動かす「利害関係」にしても、この結果、誰もが内心うんざりしてた「ウェールズ討伐」は取りやめなのだから、クヌートの継承に異を唱える動機などない。
数日たって、飲み会を開いた時には酒の肴として
「いやー、でも考えてみればよ、アシュラッドはもともとクヌート様の従士だよな」「案外、父親にやられる前にやれ…だったりしてな」「じゃあアシュラッドは殺され損かよ」みたいに盛り上がるのだろうし、それはその後の正統性に影を落とすかもしれないが、それはクヌート自身が統治者の才能を示せばそれで収まる類。
豊臣秀吉や徳川家康の、先の王の跡取りを差し置いての天下取りに似た構図なのだろう。
…というわけでまとめると
・ヴィンランドサガ、アニメ版最終回の『アシュラッドが父王を突然殺したのでクヌートが継承する』は、理屈からすると大きな穴がある
・だが、状況の即興性やそれぞれの個性、群臣の利害関係、などによって、そのリクツの穴が埋められることも十分納得できる展開
・むしろ、その部分を自らの威厳や雰囲気で封じ込めたことが、クヌートの才能を示すことになっている…
わけで、なんというか…流れの論理性に穴があることは決して、話の整合性そのものをぶち壊すわけではない。「その論理性の穴を何で埋めたのか」を提示することによって、逆に大きなプラスにもなる、ということでしょうか。