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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

津田大介氏の「偽装や文書改竄は日本人のDNA」(大意)…からいろいろ考える

以降、まとめになりました。

津田大介「不都合なものを隠したり燃やしたりするのは日本人のDNAに深く刻み込まれた仕草だ!(意訳)」 - Togetter https://togetter.com/li/1217425


【追記】諸般の事情により、上記リンクは読めなくなったようです。http://archive.is/8JGfB をご覧ください




さて、自分は真っ先にこのツイートにブクマして注意を喚起したひとりであるが…ただ一方的に津田氏を断罪しようとは思わない。ふぇあねす。
というのは…上で紹介したtogetterへのコメントを再構成し、採録しよう。

(略)…ただし、自分はまた別のルートも、津田氏のために論じたい。つまりDNAとは本当にデオリキシボ拡散、遺伝情報のことを言ってるのではなく、文化とか伝統とか国柄とか国や民族の傾向、そういうものの比喩として言われているだけであり、そういう場合はセーフである、という合意を得ても別にいいと思う。(続く)

つまり最近の事件に結び付けるなら、朴槿恵前大統領有罪を受け「あれは韓国人のDNA」、中国の南沙進出は「軍事膨張は中国人のDNA」銃乱射はアメリカ人の… アサド政権の虐殺はシリア人の…こういうのすべて(比喩の意味で)、「〇〇人のDNA」だ、と言ってもいいと。そういうことになれば、今回の津田発言も問題がなくなる。

実際、新聞の社説やコラムレベルでも、「日本人の温泉好きのDNA」とか、「平和憲法で育ったDNA」みたいな話はときに目にする。 
藤子・F・不二雄のDNA、とかそういう言葉は自分も使う(笑)。
というか「イノキゲノム」なる団体まで普通ににあって、そしてついでにゲノムがいかに信頼に値しないかも証明してくれたではないか(プロレスファンだけ笑)。
……いや、ああいういい加減でズンドコな興行は、やっぱりアントニオ猪木の『ゲノム』かな?ある意味で。

【会見全文】日本代表監督就任の西野朗氏「『自分が』という思いで引き受けました」
https://www.soccer-king.jp/news/japan/national/20180412/741814.html
監督の意図と選手がやりたいプレーのギャップを合わせていかないといけない。そのうえでのやり取りがあります。自分自身は選手の気持ち、心理的なところは監督にも伝えて、>日本人のDNAでやれることはもっとあるし、違う角度からっていうところも、そういうコミュニケーションは間に入りながら構築していく。

話題が、それた。

だから、そういうことで、ある国でも民族でも地域でもいいんだが、ある種の傾向…それは生物学的な由来とは限らない。文化、伝統、政治体制、宗教、地政学的条件、気象や気候……なにが由来でもいいのだが、そこから生まれてくる国民性や地域性をいろいろ分析した結果「〇〇国民はXXXである」「XXX民族は◆◆だ」という言い方を、してもまぁ許容範囲だろう、というふうに考えることもできる、ということだ。それが単純なステロタイプなのか、デマゴーグなのか、過度な一般化なのか、そういう論争は当然あっていいが、「そういう主張はアリな前提で、可否を論ずる」と「そういう主張はダメだ」はもちろん全く別物です。そういう主張を最大限に拡大すれば、ぎりぎりで津田大介氏の大飛球も、なんとかグラブに収めることは可能かもしれない。そこまで努力するのもなんだけどさ(笑)。

ただし…津田大介氏の上記のツイートをアリとするなら、街頭で暴れて逮捕されたりする犯罪(容疑)者はともかく、いま出版物として流通して、一部から「嫌〇〇本」と呼ばれている書籍って、タイトルも内容も含めて、ほぼぜんぶが許容範囲に収まっちゃうこともほぼ明白だ。ぜんぶ「文化的伝統を論じているのだ」「体制の問題や、地政学上の必然を指摘したのだ」となろう。

呆韓論 (産経セレクト)

呆韓論 (産経セレクト)

だまされないための「韓国」 あの国を理解する「困難」と「重み」

だまされないための「韓国」 あの国を理解する「困難」と「重み」

韓国人による恥韓論 (扶桑社新書)

韓国人による恥韓論 (扶桑社新書)

マンガ嫌韓流

マンガ嫌韓流

代表的?なものを上に挙げたが、これぜんぶタイトル含めて、津田氏のあのツイートより穏健か、せいぜい同レベルではないか(笑)
誰でもなく、津田大介氏本人が、そのことを認めたほうがいい。認めないなら、上のツイートはOKだが、他はダメだ、の論理をきかせてほしい。


まあ津田氏以外にも、以前から、その種の活動に熱心で、(なぜか)自分をリベラルであると自任しているこのかたがこんなタイトルの本を書いてたけど…

なぜ日本人は劣化したか (講談社現代新書)

なぜ日本人は劣化したか (講談社現代新書)

もちろん、これらも「文化や体制や経済に由来する、国民性やその変化というものがあるのだ。それを大まかな比喩として『劣化』と表現したのだ。それは許容範囲だ」ともいえましょう。
だがその場合は、俗に「嫌〇〇本」と呼ばれる…(以下同文)。




と、いうこと。あとはボールは、津田氏とその周辺にある。どうなさるか。
ちなみにこの話は、きのうきょう考えたおあにいさんとはおあにいさんのできがちがうんでぃ…で、つまりはヘタリアなどから「国民性」の問題、それを一般化することは許されるか、はずっと考えてきたのである

「ヘイト規制」で「ヘタリア」が絶版になる日は来るか? - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20141002/p4

余談 津田氏の「twitterのスレッド機能(リプライツリー機能)は反対!」の意味と理由、今回の騒動でよくわかるっしょ

これも上記togetterのコメント欄再構成から。

直接の関係はないが一言。以前から津田大介氏は「twitterがリプをツリー状に表示するのは炎上をもたらす改悪だ。やめるべきだ」と言ってたけど、要はこういう時に批判が可視化されるのがいやだ、って意味だよ(笑)。
つまりそんな機能が無いなら、数万…いや文字通り100万人のフォロワーがいる自分の発言の影響力は最大に生かせるが、批判は散発的になって無視できる。
しかし自分のコメントを開くとずらっとツリー上に、批判や誤謬の指摘がある、そういう状況はヤバい、と…。「そりゃまぁ彼の立場ならそういうだろうな」と思ったものでした。


(これにもツリーが続いています)


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(これにもツリーが続いています)