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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

9月1日。自殺が多い、とも言われるので今野敏「慎治」を再紹介。図書館へ、動物園へいらっしゃいの先駆けとして…





9月1日。
どうなんだろ、ここでほんとに新学期始まるの多いのかね。当方の地域は、夏休みを週に合わせて月曜からにするパターン多いので、もうこの前始まってる。
ただまあ、ともかく、数年前から図書館や動物園などが、1日から新学期というのを前提に、新学期で再度学校に行かねばならない児童生徒に「本当につらいなら学校ではなく、図書館、動物園にいらっしゃい」と呼びかけるのが相次いでいる


これが、あまりにも「テンプレ」になっている気がしないではないけど、一方で、9月1日(というか新学期初日)に児童生徒の自殺が多いというのが統計的な事実である以上、それへの対応は必要になってくるのも事実だ。
このへんはセンチメンタリズムや道徳論を超えた、対症療法が必要な問題であり、もうテンプレやん、とかそういうことをいう余地もない恒例の行事として、むしろ定着させるべきものでしょうね。


で、このつらいことがあったら逃げてもいい、特に学校なんて休んでいい…というのは、民俗学的にいえば(おおげさ)かなり最近のイデオロギー、戦術だと思うのです・・・・・・いや民俗学は風呂敷広げすぎで、「個人史」ということにしておくが、個人史として上記「逃げてもいい」戦術、イデオロギーや教育論は、90年代半ばに初めて知った思想です。それまでは登校拒否というのは、スパルタ的なアプローチでも、金八的な優しく包み込むアプローチでも「克服すべき」ものだったような。
ヨイトマケの歌ですね。
 

で、自分がこの戦術を知ったのは、小説仕立てのこの作品でした。2012年の記事だけど、9/1の「テンプレ」として堂々再度紹介しよう。

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120705/p2
(略)
…渦中にいる年齢の子・・・はこのブログなんか読んでいないと思うけど、その関係者などを通して、口コミで伝わるかもしれないので、けっこう有名な、とある古典(といっていいと思う)を紹介したい。
あ、5年前に中公文庫にうつっているのか。

慎治 (中公文庫)

慎治 (中公文庫)

中学生の慎治は同級生の執拗ないじめで、万引きを強要されるまでに追い詰められた。自ら命を絶つことを考えるようになる慎治。一方、その万引き現場を目撃した担当教師の古池は、慎治をガンダム・スクラッチ・モデル制作の世界に誘う。初めて自分の居場所を見つけた慎治。しかし、万引きの後始末はもつれにもつれ…。新しい世界を垣間見た慎治の「再生」が始まる。

自分は浅羽通明のメルマガに書かれた書評で、この本を知ったんだよな。
ちょっと教育界を描いたエンターテインメントの歴史に詳しいわけではないけど、この作品(1997年発表)が画期的だったのは

・教師が金八先生や「ルーキーズ」のような熱血献身教師ではない。むしろ「俺は面倒が嫌いだ。オマエにいじめで自殺でもされるとその面倒が増える。だから(消極的に)助ける」というハードボイルドな感じで接すること(最初はね)
 
・「いじめが苦しいなら、とりあえず逃げりゃいいじゃないか」という答えを用意したこと。これは教育学とかの世界では論じられていたかもしれないし、今ではけっこう一般化された認識だと思うが・・・たぶん最初に発表された当時、エンターテインメントの中では非常に珍しい視点だったんじゃないかと思う。
http://blogs.yahoo.co.jp/wsunqk3eqif7eb/33478046.html
から孫引く。

さあな・・・。戦うのが一番だ。言ったろう。それで相手を殺しちまってもしかたがないって。でなければ、殺されちまうんだろう?」
慎治はしばらく考えていた。やがて言った。
「いや・・・・。やっぱり、僕にはできそうもありません。」
じゃあ、逃げるんだな。それがてっとり早い
「逃げ場所なんてありませんよ。毎日学校には来なきゃならないんだし・・・」
学校なんて来なくていいさ
「え・・・・」
おまえ、生きるか死ぬかの瀬戸際なんだろう?学校なんて来なくていい
「先生がそんなこと言うなんて・・・」
それで勉強が一年遅れたとする。一年なんて長い人生からすればどうってことないんだ
「でも・・・・。親がうるさいし・・・」
だからな・・・。そうやって、あっちもこっちも立てようとするから追い詰められるんだ。死ぬつもりだったんだろう。なら、親が何言おうがいいじゃないか。何が大切で何が大切でないか、わからなくなっているのが、今のおまえだ・・・
「親に叱られたりするの嫌だし・・・」
なら、学校に行っているふりしろよ
「え・・・」
おまえ、本当は死にたいわけじゃなくて、別の世界に逃げたいんだろう?」
「そうかも・・・」

 
・そして、学校の成績や、生徒のクラス内序列(スクールカースト)とはべつの世界があるんだ、というのを、オタク趣味である「ガンプラ」の世界を描いて例示したところ。これも、今2012年のガンダム趣味の一般化と、当時(1997年。余談だが、主人公の名前は同年代の伴奏者である「エヴァ」からとられたという)ではかなり違っていたはずで、さらに一般的な小説に「ガンダム」「ガンプラ」が出てくるところは非常に斬新だった・・・と記憶している。自分の感覚なので、客観的にそうであったかはちょっと調べないと判らない。
もっとも「ジャンルがガンプラというオタク趣味なだけで、渋い大人が迷えるいじめられっこ少年を導いて”男”に育てるというハードボイルドの焼き直し」という論評も読んで、それはそれなりに納得いくのだが、ならその『焼き直し』ぶりを評価したいところだ。


うーん、まあね、これがいじめ問題の唯一無二の処方箋かというと・・・ちょっと違うかも、というひっかかりがあるが・・・もともと唯一無二の処方箋なんて無いか・・・処方箋のひとつ、であることは間違いないと思うし、この本で救われる子は常に一定数いると思う。
いじめが一番悩みとなる世代の子、あるいはその親御さん。
ひとつの選択肢、としての「慎治」という小説があるよ・・・ということだけでも、心にちょっととどめておいてください。

本当は、これを知った浅羽通明のメルマガ、そして本自体からもっと印象に残る言葉を紹介したかったんだけど・・・また例によって、どこにあるかが分からん!
現物を見つけたら、また紹介することができるかもしれない。

この本が出た後の、著者と岡田斗志夫の対談。

岡田 別に『慎治』を読んでモデリングをやらなくてもいいんだけれど、この中で掲げられてるのは、今自分がいる世界だけを見るのではなくて、他の世界もあるんだよってことですよね。いろんなところでやってみて、苦しかったら逃げてもいいんだと(笑)。逃げちゃダメ、じゃなくて。
今野 うん、そうです。そう、逃げちゃダメじゃなくてね(笑)。他の所で頑張れるかもしれないし。
 いじめというのは、この主人公もそうなんだけど「学校に通わなくちゃいけない」という足かせが、ものすごくきついんですよね。例えば町中でケンカしても、相手と二度と会わなければ平気なわけですよね。悔しいなあで済んでしまう。でも学校だと、殴られたヤツに、明日も明後日も会わなくちゃいけないんですよ。そうやって続くことが、きついんですよね。しかも閉鎖された社会だから、例えば一度シカトされちゃうとずっとその状態が続くんですよ。仲間外れにされたらどこかに行けばいいと僕たちは思うんだけど、学校に通ってる時は、そう思えないんですよね。
岡田 思えないですね。
今野 そのうちに学校の閉塞感でニッチもサッチもいかなくなる。その時に「学校以外でも世界はこんなにあるんだよ」と、誰かが見せてあげればいいと思うんですよね。でも『慎治』の影響でみんなが勘違いしてオタクの家庭教師をつけるようになると、怖い世の中になるなあ。
岡田 怖いですねえ(笑)。でも模型教室というのは、ひょっとして開かれるような気がするな。

この本が唯一無二の解決とは思わないけど、
その後、ベストセラー漫画「銀の匙」でも校長先生の立場から堂々と語られたり、図書館ゃ動物園の呼びかけがあるように、この考え方は定着し、あちこちで見るようになりました。
いいことです。

この作品、低予算で実写映像化できそうです。やりませんか?

・・・・・・いや、サンライズの許可が必要だろうけどさ(笑)