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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

今野敏氏と岡田斗志夫の対談。いじめ問題を扱った「慎治」の話も。

もとは
http://www.netcity.or.jp/OTAKU/okada/library/books/mazime/No7.html
にあるのだが、

実際に跳んでみるとHTMLがむきだしで表示されています。

ここに貼り付けると、まだしも読みやすいようです。

ここから


『マジメな話』1998年4月11日版 �1998.Toshio Okada




今野敏 



クリエイターよ、メッセージはあるか






●「小室サウンド」を育てた男!?

今野 『逆シャア』は、ガンダム史上、最高の傑作ですね。

岡田 今野さんは『逆シャア』がトップなんですか? 

今野 僕の中では、映像化されているものでTVシリーズを除くと、あれはトップですね。

岡田 なぜかアニメ関係者の間で、『逆シャア』の評価が高いんですよ。

今野 ただ、終わり方が気に入らなかったんですけどね。でも完成度は一番高いと思っています。僕が東芝時代に担当していた、あのTM(ネットワーク)が曲を作ってくれたしね。

――昔、勤務されていたんですよね。

今野 ええ。三年くらい東芝EMIに勤めてたんです。その時ちょうど彼らがデビューしまして。当時はバンド名が「スピードウェイ」と言って、六人のグループでした。それをたまたま担当していたんです。でも、その頃全然売れなくてね、俺のせいだと言われているんですけど。

岡田 今はすごいですよね。

今野 小室さんがあんなに売れてしまいましたしね。当時はただの音楽オタクだったんですけど。いや、そういう意味でも、やっぱりオタクですね、勝つのは。

 

●ストレートなオタク小説が生まれるまで

岡田 僕は、オタクの地位向上というのを目指してこれまでやってたんですけども、この小説『慎治』みたいに、こんなにストレートに「オタクいいぞ!」とやれると思わなかったんですよ。すごくショックだったんですよね。

今野 僕たち小説家は、シコシコとものを書いているわけですけれども、今マーケットの規模だけで考えると、コミケとかバカにできないですよね。つまり小説というのはだいたい若い女性が読むものであって、そこをコミケあたりはごっそり捕まえてしまっているわけでしょう。小説だけで考えても、「オタク」と呼ばれているものが、すでにかなりの部分を担っているという現状があるんですね。これをね、社会に対する小説の役割とは何か、ということを度外視して考えてみると、本当に怖いことだなあと思いますよ。やっぱり、オタクはバカにできないというのは、もう数字の上でも明らかなんですよね。

岡田 こういう話は、今まで今野さんとしては、わりと書かないようにしてきたことなんですか?

今野 というか、これは書いてもしょうがないと思っていたんだよね。僕の趣味の部分だから。ただ物書きの趣味というのは、どこまでが仕事でどこまでが趣味かわからない部分というのがあるんですけどね。でも、これは小説にならないだろうと思っていたんですよ。だからこれを書かせてくれた編集者というのは、やっぱり偉いですね。

岡田 これを小説にするまでのプロセスは、どんな感じだったんですか?

今野 作品によってプロセスは違うんですけど、これの場合は、たまたま僕の知り合いがアニメショップに勤めていて、彼から「万引きにものすごい腹が立つ」と何回も聞いていましてね。それでその対策なんかをさり気なく聞いていたんです。その話がけっこうおもしろい。そういう「対万引き戦争」みたいなものに興味を持っていたのがひとつ。二つめは、やっぱりいじめの問題が常に気になっていたこと。そこへ「今野さんの趣味を思いっきり書きませんか」と話があって、それならモデラーの話かなあと。その三つくらいの要素を頭の中でこねくり回して……。

岡田 いじめ、万引き、モデラー

今野 そうですね。

岡田 その三つを混ぜながら考えて、雑誌で発表されるまで、時間はどのくらいあったんですか?

今野 そんなになかったですね。春頃に出版社から話があって、いろいろ考えて執筆したのが夏。それで、発表したのが冬です。書き始めるちょっと前に、いわき市ビデオ屋さんで、万引き現場を撮影したビデオを販売したという出来事もあって、それもきっかけになりましたね。

岡田 雑誌に発表された時は、どういうリアクションがあったんですか?

今野 その時はなかったですね。ほっとしましたけど(笑)。

岡田 これであんまり目立ったら、今までのキャリアが……って(笑)。

今野 すべて色モノになってしまう(笑)。

岡田 (笑)。単行本になってからのリアクションはどうですか?

今野 結構早いですね。やっぱりこれだけ表紙にインパクトがあるとね(笑)。

岡田 今野さんが作った、ガンダムガレージキットが立ちはだかっている(笑)。

今野 いやあ、この表紙見たときは僕もぶっ飛びましたよ。僕のを使うという話は聞いていたんだけど、まさかここまで思い切り使うとは思っていませんでしたからねえ……(笑)。まあ、もう行くとこまで行っちゃえって思ってますけど(笑)。今推理作家協会の常任理事をやっているんですけども、そんな肩書どうでもいいやって(笑)。

 

●自分のルールを持って子どもと付き合う

岡田 この小説では、主人公の少年の、いじめに対するリアクションというのが、なかなか画期的に描かれていますよね。最後の方で、いじめにはいじめられる自分自身にも責任があるんだと認める。

今野 本当のことを言うと、あんなに簡単にいじめは解決しないと思うんですけどね。ただ一つの小説の世界を作る上で、テストケースだと思っているんですけど。

岡田 クライマックスの「夢」みたいなもんですよね。

今野 あそこでぐちゃぐちゃになってしまうと、僕たちは何の解決策も提供できなくなってしまう。もちろんこれが解決策だと僕も思ってはいないんですが、テストケースを提供できたとは思うんです。大人と子供のつき合い方のね。今の社会はあまりにも子供を大切にするがために、スポイルしてしまうんですよね。

 この主人公と同じ、いまの十四歳くらいの子供の親って、だいたいは僕たちより上の世代ですよね。いわゆる団塊の世代だと思うんですが、大学時代は学生運動をやって、いまは中間管理職をやっている人たち。その世代というのは、規範を持っていないんですよ。親が規範を持っていないから、子供は何に従っていいのかわからずに、苛立ちを感じている。その点、この小説に出てくる「先生」は、自分の趣味という規範を持っているわけですよね。自分のルールをしっかり持って子供に接すると、子供は自然にわかるはずなんですよ。

岡田 この「先生」っていうのがちょうどオタク世代。

今野 たぶん。僕よりちょっと若いぐらいの設定ですよね。

岡田 いわゆるガンダムのファン層の中心っていうのは、三十五、六歳ぐらいだから。

今野 もっと上だと思うんだけど……。あ、でもそのくらいかもしれないなあ。

岡田 オリジナルが昭和五十四年のオンエアーで、僕が二十一歳ぐらいだったんですよ。大学生でしたが、深くはまって見ていました。だから、もしこれが高校生の時だったら、もっとすごい経験だっただろうなあと思っていましたね。

今野 僕は、ガンダムってそのへんがよくわかっていないんです。自分がはまっているとまわりが見えないじゃないですか。

岡田 ええ(笑)。

今野 僕は、最初のTVシリーズで、はまったわけではないんです。どんどん深みにはまっていったのが、『ゼータ』、『Wゼータ』の頃から。それから劇場三部作とかすべて見て「なるほど、これはすごいアニメだ」と思ってたんですけど。昭和五十四年というと、僕はもう就職していて、見ることができなかったんですよね。

岡田 二十四歳ぐらいですね。

今野 そうです。ちょうど入社した年で、死ぬほど忙しかったんですよ(笑)。

岡田 そんな時に、夕方五時半からやってるアニメなんて見るわけにいかない(笑)。

今野 まず、できませんねえ。

 

●大人として扱われて「大人になる」子ども

岡田 先ほどの話とも関連するんですが、僕はこの小説の中で,オタク的な知識で結ばれる教師と少年との関係がとても印象に残りました。いわゆる師匠と弟子なんだけど、師弟関係ってある意味対等なつき合いじゃないですか。

今野 そうですね。

岡田 そういう関係を足がかりにして、少年が徐々にいろいろな世界と出合い、成長していくのに、びっくりしたんですよ。こういう少年の成長とか青春モノという、すごくがっちりしたものを、おたくをベースにして書けるっていうのは、想像もしてなかった。

今野 今の日本の若者は、基本的に甘えていますよね。なぜ甘えているのかというと、昔のように突き放す大人がいないからなんです。だから、大人になるチャンスをなかなか得られない。子供は「大人」として扱われることで、背伸びをするんですね。そうして社会性も身についていくし、人とのつき合い方もわかってくる。たぶん昔は、そうやって教えていたんだと思うんですね。ボーイスカウトにしても、近所の親父にしても。

岡田 牛乳配達とか新聞配達のバイトなんかをすると、そんなふうに教えられますよね。とにかく、その人が持っている言葉のディティールで全部話してしまうという……。

今野 社会に出るとそうですよね。新入社員が最初に会議に出ると、周りが何を喋っているのかわかりませんから。僕も入社して最初の会議では、話のペースは速いし、専門用語は飛び交うしで、まるで外国に行ったみたいでしたね。だけどそれについていこうとすることで、社会性が身についていったりするわけですよね。

 たぶん、マニアとかオタクの世界がそうだと思うんですよ。例えば僕は高校時代、ジャズがすごく好きになったんです。それは、周りにジャズオタクがいたからなんですよね。僕も、最初はミュージシャンの名前を聞いても、演奏のアドリブだとかモードだとか聞いても、全然わからない。だから一所懸命その体系を勉強しようとしました。もともとジャズとかクラシックというのは、勉強する音楽ですからね。

岡田 そうやって勉強して細かい知識を積み重ねながら、自分なりの歴史観みたいなものを組み立てないとダメですよね。

今野 だから、ひょっとしたらオタクの世界というのは、じつはアカデミックかもしれないですよね。でも、アカデミズムのパロディかもしれないというあたりがちょっと……(笑)。

 

●アニメを見ずにアニメを語るな

岡田 ところが、今アカデミズムの人たちが、『エヴァ』にどっとすり寄っているんですよ。そういうところでアカデミズムの人が頑張るのはわかるんですけど、好き勝手なことを言われるのはあんまり好きじゃないんですよ(笑)。

今野 的が外れていますよね。あれは全部、牽強付会なんですよ。自分なりの論理で読もうとするわけだけど、そもそもそんなに大そうなものではないというのと、いや、もっと奥が深いぞというのがあって。でも、そのどっちにも針が振れないんですよね。

岡田 『エヴァ』を語っているアカデミズムの人たちやサブ・カルチャーの人たちの弱さというのは、つまらないことなんだけどアニメのことをあまり知らないんです。

今野 それは致命傷ですね。

岡田 オウム事件の時、オウム評論家みたいなのがいっぱい出てきて、口々に「オウム事件というのはこういう意味なんだ」と語っていたんですけど、その人たちは別にオウムのことを調べてるわけじゃない。全部報道されていることや自分が知っている範囲内での話なんです。ただふだん自分が言いたくてしょうがないことを、オウムにのっけてしゃべっているだけなんですよ。

今野 そう、それなんですよね。

岡田 『エヴァ』も同じですよね。アニメや特撮のことはあまり知らない。結局自分がふだん考えている学説や、自分はこういう人間なんだということを言いたいだけなんです。「僕は本当はアダルトチルドレンなんです」ということを喋りたくて、『エヴァ』を切り口にする。だからすごいって言うんだけど、それですごいんだったら『ザンボット』はどうなるんだ(笑)。

今野 自分が言いたいことがあると、起こっている社会現象に目をつけるんですよね。でもそれは間違いですよ。エヴァを語りたいんだったら、やっぱり『不思議の国のナディア』を見なくちゃいけないし、『トップをねらえ!』を見なくちゃいけないし、『オネアミスの翼』も見なきゃいけないし。

岡田 『帰ってきたウルトラマン』を観なきゃいけないとか。

今野 そうそう、観なくちゃいけない。

岡田 ウルトラシリーズ東宝特撮といったもののガジェット(仕掛け、工夫)の上に、いまの作品が成り立っている。だから僕はおもしろいなと思うんですけど、そこのあたりを取っ払ってしまって、何だか急に祭壇の上にまつりあげようとしているので(笑)。

今野 ただ、それだけオタクの側と言うか、アニメの側が社会的に力を持ったんですよね。影響力がなければ彼らは歯牙にもかけなかったわけでしょう。僕たちくらいの世代はアニメで育ってきて、原風景としてかなりあるから、抵抗なく受け入れられる。

 

●SFの黄金期は「十二歳」

岡田 僕は昭和三十三年生まれなんですけど、今野さんは何年生まれですか?

今野 僕は昭和三十年です。

岡田 僕より三歳上ということは、中学生や高校生ぐらいでアニメとか特撮を見るのは、まだすごく抵抗があった時代ですか?

今野 ああ、一般的にはそうですね。ただ僕なんかは高校になっても見ていましたからね。円谷が好きで、ちょうど高校の時に『帰ってきたウルトラマン』だったんですよね。

岡田 中学、高校ぐらいで、恥ずかしい特撮とか恥ずかしいアニメが一時期すごいいやだったことがあるんですよね。自分自身をたどっていくと、『ウルトラQ』あたりが境になってくるんですよね。

今野 ああ、シビアなね。

岡田 『ウルトラマン』がカラーで、毎週銀色の巨人が怪獣と、どつき合っているのを見たら、もうダメだと思っちゃって(笑)。どうもこのあたりに、世代の違いがあるみたいなんですよ。僕の場合ですと『ウルトラマン』にちょっと抵抗があって、さらに『仮面ライダー』はもう全然ダメだったんですよ。

今野 僕も『仮面ライダー』は観ていない。

岡田 それで、僕より3つ下の庵野秀明は『ウルトラマン』がOKで、『ウルトラQ』にはそんなに思い入れがなくて、『仮面ライダー』はダメなんですね。やっぱり『ウルトラマン』ぐらいにリアリティを感じている世代には、いきなりバイクに乗って跳び蹴りで、世界平和を守ると言われてもそれは許せない。でも、そこから下の世代になってくると、『仮面ライダー』はOKなんです。でも『戦隊』モノになるとダメという……。どうもそういうグラデーションになっていくんですよ。

今野 その違いというのは、たぶんテレビを一番おもしろく観る時代に、何の番組をやっていたのか、でしょうね。

岡田 SFの黄金期はいつかという話があって、「それは五十年代だ」「いや六十年代だ」「いや、十二歳だ」というのと同じ(笑)。

今野 見事な論理だね、それ。たぶんそういうことだと思うんだ。小学校時代に何を見ていたかというのは、かなり重要なんだなあ。

 

表現者は照れてちゃだめだ

岡田 じつは今日の対談の打ち合わせの時に「今野さんはガイナックスが嫌いなんだそうです」と聞かされまして。今野さんと会ったらまず正拳突きをくらうかもって(笑)。

今野 いや、それはつまり、期待の裏返しですよ。

岡田 もう、申しわけございません(笑)。それで、どのあたりがまずいんでしょうか(笑)?

今野 あのね、あれだけの……言ってしまっていいですか?

岡田 いや、全然大丈夫です。

今野 あれだけの、異常とも言えるほどの表現力とセンスを持っていながら、どうしてメッセージがないんだろうと思ってしまうんですよ。

 『オネアミスの翼』で、主人公は好きな女の子の家が火事になった時に、現場に駆けつけるじゃないですか。あそこでは女の子を助けなきゃダメですよ、やっぱり。燃え尽きたところを見て呆然とする主人公はダメです。

岡田 あの作品を作っている最中というのは、アニメ界が全部宮崎駿さん化していった時期なんですよ。どういうことかというと、ガンダム的なものを否定するというのか、つまり、あまり面倒なことを言うのはやめて、ヒーローはヒーローらしく、とにかくすべて清く正しくというような空気があったんです。

今野 ああ、なるほど。

岡田 僕は、『ヤマト』や『ガンダム』みたいなのが好きだったんですね。ちなみに庵野は『ゲッターロボ』がやりたいって言っていた(笑)。ところがアニメ界に入ったら、宮崎駿という、何だか一番いい子ちゃんのところに、みんな集まっていくんですよ。これはダメだと。僕たちのリアリティというのは、主人公が助けに行くんだけども、何もできないところにあるんだと。

今野 たしかにリアリティはありますけどね。あの『オネアミス』はどういう作品にならなければいけなかったかと言うと、単純に言えば化け物みたいな宇宙船を、とんでもない勢いで打ち上げてしまうドラマでなくては、いけなかったと思うんです。それを妙にリアリティにこだわって、コンピュータみたいな機械がいっぱい並んでいる、普通の打ち上げシーンなんですよ。そこがちょっと残念だったというのはある。主人公が頑張るんだけど何もできないというのは、それは純文学でいいんだと思います。

岡田 ああ、はい。

今野 大人は、恥ずかしくてもいいから子供たちに何か教えなきゃだめだ。そんな気がしたんですよ。

 僕はあの時の、燃え尽きた家の前で呆然と立ちつくしている主人公、それからどうやって愛情表現したらいいかがわからないから強姦してしまう主人公が、そのまま『エヴァ』のシンジ君にだぶっていっちゃうんですよね。

 『エヴァ』の場合はどんどん過激になっていって、表現が先鋭化していくんだけど、本質的には同じものを感じますよね。やっぱり「逃げちゃダメだ」と言っているんだったら、助けなきゃダメですよ。「逃げちゃダメだ」と頑張っているのに、あせってボロボロに崩壊していっちゃったら、これはつらいですよ(笑)。

岡田 単純な、いわゆるカタルシスのあるドラマで、どこまでやらなきゃいけないかというと、まず「これはおちゃらけです」という大前提を振ると、本気になれるというのがありますから。

今野 つまり、照れ屋なんですよ、ガイナックスは。僕は常に「表現者は照れていちゃいけない」と思っていますけどね。

岡田 でもねえ、照れなかったら、いきなり『エヴァ』になっちゃうんですよ。あの作品は照れていないですよ(笑)。

今野 そうか。なんて言うのかな、「こうしろ」と言っているわけではなくて、「こういうあり方もあったのではないかな」という僕の個人的な見解です。作品の根底に流れている「これを教えたい」とか、「これを伝えたい」というメッセージ性の欠落が、寂しいという気がしたんですよ。だって表現力に関して、ガイナックスを上回るプロダクションは、今のところないですからね。

 

●メッセージを伝えるための表現力

今野 ガイナックスを頂点として、今の日本のプロダクションの表現力は、本当にすごいと思う。これに関してはコミケに行ってもそう思うんですよ。みんなものすごくパロディはうまいし、絵もうまい。でもそれだけの才能がありながら、誰も自分でメッセージを作ろうとしないんですよね。僕はね、これが今後オタク文化がコアになっていくか、それから市民権を得ていくかどうかの、鍵だと思うんですよ。

岡田 なるほど。

今野 何か言いたいことがあるから、表現力を手に入れなくてはいけないのが本当なのに、彼らはもう先に表現力があるんですよ。最初から「これを使って何やろうかなあ」と考えているわけです。そこを逆転できるかできないか、ですね。

岡田 でも、例えば小説というのは、ある種不良っぽいものですよね。でもその不良の味というのは一割ぐらいであって、残りの九割は、人に何かを教える人生の師というような、先生的なものだったりするじゃないですか。それが、いつしか小説界の方が先に「純文学」という形で表現力を得て、伝えるべきことを失ってしまった。それで、どんどん変わっていったと思うんですが。

今野 それは、確かにそうです。小説は、かつてはいい意味でも悪い意味でも、良識の拠り所だったんですよね。でもその良識を自ら捨てていった。でもね、僕たち小説家が拠って立つところは、今でもそこしかないと思っています。

岡田 なるほど。

今野 それがなければ、ゲームに勝てっこないし、アニメにも勝てない。表現手段として、見た瞬間に心の中に既成事実として残す技術は、もうアニメとか映像には勝てないです。ただ、そこで最後に残る砦というのは、うまくシラケさせないで何かを教えてあげることなんですよ。

岡田 今の漫画家にしてもアニメの監督にしても、みんな最初に思いつくのはシーンから思いつくんですよ。そのシーンをつなげられるようなストーリーを探す。でも、そういう作業からは「テーマ」なんて浮かび上がってこないですよね。

今野 それはね、そのうち敗北していきますよ、何かに。

岡田 アニメも映画も「何かを教える」ということは完全に失ってしまった。特に『エヴァ』が、それをさらに肯定したところはありますね。結局僕たちが宮崎さん的な立場から離れようとしたのは、世代的にも全部共通だったと思うんですよ。「紋切り型の説教は言いたくない」とか「人に何かを教えられたり教えたりするのはまっぴらだ」とか「もう良識なんてものはないんじゃないか」というような感覚ってありますよね。

 でも本当は「モノ作り」には、そのテイストは一割あればいいわけであって、残りはわりと普通のことを言わなきゃいけないんですよね。

今野 そうだねえ。だからさっきいみじくも言った、純文学が良識をどんどん捨てていったのと同じ現象が、今はアニメにも起きているんでしょうね。だから僕は『エヴァ』を最後まで見て、質の悪い純文学読まされたなあ、という感じがしたんだけど(笑)。

岡田 作り手には、いわゆる良識というものを人に教えたり、伝えなきゃいけないという使命はあるんだけれど、作り手自身、なにが正しいのか信じられないことがありますよね。でも、この『慎治』を読んでいると「ものを作る人間は、それが最良かどうかはともかく、あるモデルケースを提示すべきだ」という今野さんの信念が伝わってくるんですよね。

今野 結局、僕たちの役割はそういうことだと思うんです。本って読まれなくてもいいわけじゃないですか。つまり、衣食住ということがあって、それ以外はいらないわけですよ。

岡田 そうですよね。

今野 そこで小説家として食っていくっていうのは、社会的に何か意味がなきゃいけない。僕の場合はエンターテイメントの作家だから、まず第一におもしろくなくてはいけない。おもしろければ、読者は読んでくれるんです。そこでおもしろくするために、最低限表現力が必要なんですよ。つまり表現力だけで一人歩きするわけじゃなくて、その下に、今の社会に対して思っていることや、こうしなきゃいけないんじゃないのかと思ってることがないと、モノを作るモチベーションにならないですよね。

岡田 なるほどね。

今野 動機があって初めて、ものを作り始める。これが自然な流れだと思うんですよ。セールスがあって、これだけの目標を達成しなきゃいけないから、来年までにこれを作れ、と言われて作るのはね。

岡田 それが、東芝EMI時代(笑)。

今野 ちょっとつらいですよね。

岡田 たぶん、お菓子を作っている人なんかも同じようなところにいる気がしますね。おいしくするのはいくらでもできるけど、今の時代は体にいいものを作りたいと思うんじゃないかな。

今野 なるほどね。

岡田 そういう意味で、この小説は、読んでいて心にいいというか、元気になる。それができるというのが、僕自身はあきらめていたことだったので、とても驚きました。今野 僕は常に、読んだ人に元気になってもらいたいんですよ。もちろん「世の中そんな甘いもんじゃねえぞ」って、リアリティを追求してどんどん書き続けている作家もいますよ。でも、僕は作りごとでもいいから、元気になって欲しいんですよね。今の世の中はそれが必要なんだと思うんですよ。「大丈夫だ、お前はそれでいいんだ、そのまま行けば元気になれるんだ」と言ってくれる人がいないと、社会全体がどんどん絶望していきますよね。いまは、例えば某テレビ局の二十何時間テレビなんて見ていると、なにかしらメッセージはあるんだろうけど、とても空虚なんですよね。だからそうではなくて、読んで感動すれば心に残るはずだから、そのための表現力だと僕は思うんですけどね。

岡田 そうですね。

今野 みんな元気になって欲しいですよ。僕も元気になりたいし(笑)。僕、ずいぶんアムロに元気にしてもらったもん。ブライトさんとかね。

岡田 ちゃんと大人になりましたよね、ブライトさんも。

今野 「殴られずに一人前になった男がどこにいるか」って。

岡田 ちょっと、ヤツも大人になりすぎて、『ゼータ』や『Wゼータ』では俺は戸惑ってしまいましたけど(笑)。

今野 いや、もっと戸惑ったのはね、『逆シャア』で、アムロとブライトがタメ口きいていた時、涙が出るぐらいうれしかったですね。

岡田 アムロ偉くなったと(笑)。

今野 そう。「おい、艦長」とか言ってね。あれは感動したなあ。

 

●人間は技術だ

―― 今野さんは武道をやられるそうですが、格闘技の試合なんかもご覧になるんですか?

今野 あまり見ません。最近、K1とか話題になってますけどね。自分ができないことは興味がないんじゃないですかね。

岡田 そのあたり、モデリングとは違いますね。モデリングは上手な人の作品を見て、「おお、これはすごい」って思うけど。

今野 格闘技の場合、うまいとは思わないんですよ。そのかわり古武道大会などはよく見に行きます。先達の高段者の技とかね。あと、合気道のすごく強い人のビデオはとても好きで、よく見ますね。

岡田 それは、どんな部分を見るわけですか?

今野 モデリングと一緒で、理想型を見るんですよ。例えば今のK1とかアルティメットって、普通の人はできないですよね。あれは強ければいいという世界で、僕はそこには興味がないんですよね。ただ、日常生活を送りながら、この先四十、五十になっても強いものってなんだろう、という関心の方がありますよね。それは昔の技の中にいっぱい残されている。

岡田 格闘技に対する考え方にしても、『慎治』のなかでモデリングを通して語っておられることも、同じなんですね。つまりは何かモデルを提示して、みんながそれを実践できるようにする。

今野 そうですね。僕は、モデリングも武道も射撃も、ひょっとしたら小説も、技術だと思うんですよ。人間という生き物の最大の喜びは、技術を身につけていくことだと思うんです。例えば昨日できなかったことが今日できるようになるのが楽しいわけですよね。そうじゃないと、技術もその体系も意味がないですよ。殴り合っているのを見て楽しんでいても、その技術は身につかないですからね。

岡田 なるほど。ということは、小説が果たす役割も「生きる技術」みたいなものを教えてあげるというか、実用的なものでなくてはダメだと考えていらっしゃるのでしょうか?

今野 いや、そうでもないんだけど。ただ、人間はどういう時に元気になるかというと、自分に自信がついた時ですよね。そのためには、過去に自分はあんなことができたから、今度はこういうことができるという実体験がないとね。

岡田 こうすれば頑張れるみたいなもの……。

今野 そういうものを提示してあげたいとは、常に思いますよね。ただガンバレー、ガンバレーって言われても、人間ってなかなか元気にならないじゃないですか。

岡田 別に『慎治』を読んでモデリングをやらなくてもいいんだけれど、この中で掲げられてるのは、今自分がいる世界だけを見るのではなくて、他の世界もあるんだよってことですよね。いろんなところでやってみて、苦しかったら逃げてもいいんだと(笑)。逃げちゃダメ、じゃなくて。

今野 うん、そうです。そう、逃げちゃダメじゃなくてね(笑)。他の所で頑張れるかもしれないし。

 いじめというのは、この主人公もそうなんだけど「学校に通わなくちゃいけない」という足かせが、ものすごくきついんですよね。例えば町中でケンカしても、相手と二度と会わなければ平気なわけですよね。悔しいなあで済んでしまう。でも学校だと、殴られたヤツに、明日も明後日も会わなくちゃいけないんですよ。そうやって続くことが、きついんですよね。しかも閉鎖された社会だから、例えば一度シカトされちゃうとずっとその状態が続くんですよ。仲間外れにされたらどこかに行けばいいと僕たちは思うんだけど、学校に通ってる時は、そう思えないんですよね。

岡田 思えないですね。

今野 そのうちに学校の閉塞感でニッチもサッチもいかなくなる。その時に「学校以外でも世界はこんなにあるんだよ」と、誰かが見せてあげればいいと思うんですよね。でも『慎治』の影響でみんなが勘違いしてオタクの家庭教師をつけるようになると、怖い世の中になるなあ。

岡田 怖いですねえ(笑)。でも模型教室というのは、ひょっとして開かれるような気がするな。

 

●止まらないオタク話

岡田 今野さん、いま空手は何段ですか?

今野 空手は二段で、棒術が今中伝免許四段です。

岡田 いつから始められたんですか?

今野 大学の時からです。中学校の時剣道やってたんですけどね。

岡田 すごいですよね。格闘技やってアニメ見て、モデラーもやって東芝EMIでTMネットワークの担当だったんですから(笑)。

今野 肉体派オタクですよね(笑)。でもモデル作りを始めたのは、東芝を辞めてからなんですよ。会社を辞めて、何かを作りたいなと思ったんですよ。ちょうどその頃、松本零士さんが好きで、アルカディア号が欲しかったんですけど、当時はプラモデルがなかったんですよ。じゃあ作っちゃえ、と。二十五、六歳だったかな。バルサ削ってね、アルカディア号を作ったんです。それまでモデリングの技術なんてもちろんないし、本も読んだことがなかったのに。

岡田 うわあーっ。すごいですね。

今野 小中学生の頃、普通の男の子程度に作ってはいたんですけどね。

岡田 どんなものを作っていたんですか?

今野 よく覚えていないんですけど、わりとSF系が好きでしたね。空飛ぶ兵器とか。いわゆる昔のイギリスITCのスーパーカーみたいなものとか。

岡田 いま、そういうのはすごく高いんですよ。僕はそういうの買うときはいつも下北沢か国分寺の絶版プラモデル屋に行くんですよね。僕は大阪にいたから、そんな店があるだけでも東京は素晴らしいと思います(笑)。壁いっぱいに絶版キットがあって、値段は3万円とか書いてあるのを見て、あーあってため息ついて(笑)。

今野 僕は残念ながらキットに対する、そういうフェティシズムはないんですよ。最初からフル・スクラッチやりたいと思って始めたから。

岡田 なるほど。

今野 最近はフル・スクラッチやると時間がかかりすぎるので、ガレージキットを作っています。ビークラブショップのオールザットガンダムシリーズというやつ。だからスケールは全部それに合わせているわけですよ。もう、ガンダムしか作らない。

岡田 そうですか。それは信念ですね(笑)。

今野 信念というか、ほかは作っている暇がないじゃないですか(笑)。

岡田 ああ、なるほど。でも、いいなあ(笑)。

今野 アナハイムエレクトロニクスで、ガンダムという商品名をつけた機体は全部作ろうと思っているんですけど、そうすると二十体以上あるんですよね。一生のうちに作りきれるかどうかわからないですね。

岡田 そうですね(笑)。一体をフル・スクラッチで作るのにどれぐらいかかるんですか?

今野 それに全部時間をつぎ込んだとすれば、二、三ヶ月だと思います。でも暇がないじゃないですか。ちょこちょこっと作っては仕事してるから、一年以上かかっちゃいますよね。

岡田 ああ、そうか。でも作っていると、これを型どりしてワンフェスで売ってみたいとか思いません?

今野 思うんですよ。

岡田 やっぱり思うでしょ。

今野 ただねえ、敷居が高い(笑)。今ね、ホームページ作って、自分の作ったモデルを載せているんですよ。それで、溜飲を下げているというのはありますね。僕自身はまだまだ未熟だと思っていますから。

岡田 そんなことないですよ。僕ね、今野さんのオリジナル小説つけて売ったら、すごくうけると思いますけど(笑)。

今野 そうかなあ。でもオリジナル小説を書く暇は、もっとないよなあ(笑)。

 






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