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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

「ハイヒール禁止論」は政治思想、法哲学の例題(或いはパロディ)として面白かった。

ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。 http://anond.hatelabo.jp/20170516141639

というのが話題になってて、こりゃ面白かった。
で、なぜ面白いのかについてひとこと・・・・・・・まずその前に賛否をいうけど、「ハイヒールを滅ぼす」ことには反対ですね。

増田こと匿名ダイアリー氏はこう主張する。

ほんとに歯がゆくてムカつくのは、良識ぶったリベラルの奴らだわ。
  

「女性にハイヒールを強制するのがダメなのであって、ハイヒール自体に罪はない」
「本人が好きでハイヒールを履くのと、社会からそれを強制されるのは違う」
とかなんとか……。
  

お前ら、いい加減にしろよ!
そんな生ぬるいことを言っていたら、マナーなんて変わらんっつーの。
法律でハイヒールを厳しく規制して、公共の場所で全面禁止にするぐらいの対策をとるべきだ。

女の願望とは、「自分自身のために美しくなりたい」というものであるらしく、その主体性を尊重するのがリベラルだったりフェミニズムだったりする。
だが、私はそれを尊重してはいけないと思う。それは政治的に正しくない願望だ。
化粧もハイヒールも、女性を縛り付ける旧態依然とした差別である。そのようなファッションをすることは、本人の意思がどうあれ、女性差別を正当化するというメッセージを持つ。
よくあることだが、これは、被差別者がなぜか自分の受けている差別を肯定してしまう、という現象である。
女性本人の自由意思にもとづくならば、彼女は女性差別を喜んで享受する自由があるのだろうか? これは難しい問題だが、我々はこういう類の「差別を受ける自由」を無邪気に擁護してはならない。


あ、長々と書く必要はなさそうだな。端的に反対論も語れそうだ。

【なぜ(増田の)ハイヒール禁止論に反対するか】
あなたは『ハイヒールは女性差別の正当化のメッセージだ』という。そうではないと考える人もいる。どっちが正しいかは、公的に介入、判断することではないし、そもそもどちらが正しいかは究極的には決めようがない。
 
・あなたは『ハイヒール滅びよ』と言い続けていい。それで当の女性たちが「なるほど」と思って履かなくなればいいだけ。法で禁止すべきことではない。

この2点だ。
多くの「ポリコレ」論議も、端的にいえばこの二つ(別にふたつに分けなくてもいいか?)の反論を免れない。
言い方を変えると「自由の敵にも自由を与える」というアメリカ的スタンスが、「闘う民主主義」を標榜するドイツ的スタンス(…とクリアに分かれるとも言えないが)より、思想的な優位性……とは言うまい、個人的には前者を好み、そういう社会であってほしい、と思う次第だ。
少しばかりズレはあるが重なる部分もあるので、そのズレは承知で、この画像も貼っておこう(面白いし)


この議論の少し近くにはフランスの「ライシテ」発で、今や欧州に拡大していっているブルカ、ヘジャブを規制していく流れがある。フランスはもとは十字架やダビデの星も規制した「政教分離」の原則だったが、「ブルカやヘジャブは女性抑圧の象徴だから」というかたちでの規制論もいつしか含有、変形していった感あり。(逆にフランスが「あくまでライシテだ」と踏みとどまる主張をするという逆説も)

寛容の国オランダもブルカ禁止へ王手|ニューズウィーク日本版 http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2012/01/post-2418.php
『オランダ政府は逆に、ブルカやニカブの着用は男女の平等に逆行する行為と見なしているらしい。「この法案を通じて、政府は社会に参画している女性の障害を取り払おうとしている」としている。』 


ベルギーでブルカ禁止法案成立 http://bunzaemon.jugem.jp/?eid=10940
『今回の法案を推進したデュカルム議員は「ベルギーは多数の女性を隷属状態に置いているくびきを外す最初の国となる。フランス、スイス、イタリア、オランダが追随するよう望む」と…』


ブルカ禁止を支持する意外な判決|ニューズウィーク日本版 http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2014/07/post-3325.php
『…欧州人権裁判所……は先週、ブルカで顔を覆い隠す行為は治安維持や人々の共生を難しくする恐れがあるというフランス政府の主張を認め、着用禁止は思想・良心・信教の自由を侵害していないとの判断を示した。 国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは「国家は人々に何を着るべきか指示すべきでなく、個人の選択の自由を認めるべきだ」と反発している。』


従業員のスカーフ禁止容認判決で、イスラムと欧州の対立深まる|ニューズウィーク日本版 http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/03/post-7180.php
『……「政治的、思想的、宗教的な意味を持つものを目に見える形で着用すること」を禁じる社内規定は、差別にはあたらないとされた…』

「物理的、科学的、医学的、統計的に危険だから禁止」ならワンチャンあるで?

ということで反対ではあるが、ひとつの思考実験として別の側から論じよう。
元の記事につけた、当方のブクマ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/337832653/comment/gryphon
こら、思考実験としては面白いな/付け加えるなら健康や事故、怪我の可能性を統計で示して「医学は民主主義と自由を越える」(疫病予防を見よ)というルートでも攻められる

・・・・・と、これを本当にやるなら「ハイヒールが原因でのけがが多い」ということを統計とらなきゃいかん。統計とってみたら「ハイヒールが理由のけがなんて無いよ、ごく少数だよ」という話なら、雲散霧消しますよ?
その前提だが、なんとなく自分の印象論では、けっこう無視できないほどの数があるんじゃないか、と想像している。その鋭いかかとで踏んづけて、他者にけがをさせることも含め。


そうなってしまうと、もろもろの健康被害や事故リスクをもたらす行為(喫煙、牛や豚の生肉食、ノーヘル・ノーシートベルト運転などなど)と同じように規制への道が開ける。もちろん健康被害やリスクも「好きでやってるんだほっとっけ」で外からの規制を拒否する論理は構築できるが「健康保険はみんなで負担してるんだよ!」という論法で他者や公の介入を正当化するロジックもあるしね。



そんなことを考えさせられるパロディ的な事例として、「ハイヒール禁止論」はおもしろうございました。
何かに似てると思ったら、壮年期の呉智英氏が次々持ち出したこういう例(思考実験であることも、新聞などで氏が見つけた実例であったりすることもある)

サルの正義 (双葉文庫)

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危険な思想家 (双葉文庫)

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犬儒派だもの (双葉文庫)

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また、こんな言葉を思い出したのでした。



みなさんのブクマは現在400越え。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20170516141639