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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

士族階級でもない人々が「侍ジャパン」とかの名前を付けることについて(そこから発展してもろもろに)

侍ジャパン」が苦手だ。 - いつか電池がきれるまで http://fujipon.hatenablog.com/entry/2017/03/16/120000

そもそも、大部分の日本人(そして、代表チームの選手たち)の祖先は「侍」じゃなかったはずだし、侍がえらい、すごいというのは身分制度を肯定していることになるのでは。
多くの時代において、侍というのは、農民や商人からの年貢や税で生きてきたにもかかわらず、血統的に侍の子だというだけでの理由で、「偉い」とされてきた存在なわけです。
黒澤明の映画に出てくるような、弱者を助ける「カッコいい侍」というのは、「侍の歴史」のなかの、ごく限られた期間の限られた地域に出現したものでしかありません。
むしろ、いま生きている大部分の日本人の祖先は、「侍に搾取される側」だったのに、なぜこういう「侍ジャパン」という愛称を抵抗なく受け容れられるのか?

ブクマのなかで、こんなふうに書きました。

http://b.hatena.ne.jp/entry/fujipon.hatenablog.com/entry/2017/03/16/120000
サムライの美称化は基本的に開化期の海外、欧米の評価やからねえ。彼らの立居振舞をプラスもマイナスも見て、結果的に当時の「文明」がポジティブなものとした/ おいら中韓の硬骨漢見て「士大夫」と感じることある


実は最初紹介した記事でも、こんな記述があります

僕だって司馬遼太郎歴史小説を読みますし、『真田丸』も熱心に観ていました。
浅田次郎さんの『壬生義士伝』も大好きです。
こういう「侍コンプレックス」みたいなのは、僕が1970年代から80年代に「徹底して戦後の平和教育を押し進めようとしてきた先生たちに教えられてきたから、なのかもしれませんね。

実は自分のブクマは、字数の関係で引用できなかったけど、もともとは司馬遼太郎の言葉によるものでした。

『歴史の中の日本』の「河井継之助」より(孫引き)

 ……幕末期に完成した武士という人間像は、日本人が生みだした、多少奇形であるにしてもその結晶のみごとさにおいて人間の芸術品とまでいえるように思える。しかもこの種の人間は、個人的物欲を肯定する戦国期や、あるいは西洋にうまれなかった。サムライという日本語が幕末期からいまなお世界語でありつづけているというのは、かれらが両刀を帯びてチャンバラをするからではなく、類型のない美的人間ということで世界がめずらしがったのであろう。また明治後のカッコワルイ日本人が、ときに自分のカッコワルサに自己嫌悪をもつとき、かっての同じ日本人がサムライというものをうみだしたことを思いなおして、かろうじて自信を回復しようとするのもそれであろう。

繰り返しになるが、「サムライ」が特に、英語圏をはじめとする海外圏で美称の響きがあるとしたら、実際に江戸期にサーベル二本を腰にたばさんだサムライや、メイジ・レストレーション後にちょんまげを切って外交舞台にやってきた元サムライを実際に見聞きした(あるいは新渡戸稲造プロパガンダ経由かもしれんが(笑))人々が、その野蛮な人命軽視や、百姓の上に寄食した支配・搾取階級であることを踏まえたうえで、ことにあたっての言動や立ち居振る舞い、出処進退を見聞きして「You are SAMURAI!」に結果的にポジティブな意味が付加するようになったのでしょう。それはありがたい話でしょうな。
もちろん、当時は帝国主義の最終段階で、西洋人たちもその価値観で見たうえでの「ポジティブ」なわけですが(笑)。

同時期に?「マンダリン」という言葉も西洋圏に伝わった。

wikipedia:マンダリン (官僚)]
官僚のマンダリン (Mandarin) とは、中国(主に明朝から清朝)やベトナムの官僚を、西洋人が呼んだ語である。
(略)
語義[編集]
中国では、隋王朝から科挙が実施されており、その競争は熾烈を極めた。科挙に及第する事は、歴代中華帝国において、低い出自から国務大臣級の地位を手にするほぼ唯一の手段だからである。受験者たちは、幼少の頃から科挙の試験科目(四書五経の暗記、詩作や歴史など)を頭に詰め込んだ。及第して官僚になった者たちは、科挙の試験科目に凝り固まって特権意識を振りかざし、民衆の生活に関る事柄を軽んじた。これは歴代王朝において何度も問題になってきた。
このような歴史からか、西洋では、公務員試験に合格する為に填め込み教育を受けている者や、時代遅れの発想を振りかざす官僚を諷刺して「マンダリン」と呼ぶ。

マンダリン、には決してネガティブな意味ではなく気品や教養ある「大人」の意味もあると感じているが、一方でネガティブでも確かにあるんだすね。


もともと前近代の文化や文明は、多くが支配階級から生まれて、それは仕方ないんとちゃうか?な話。

英国のジェントルマン。
大陸欧州の騎士道。
中国韓国の「士大夫」。
エジプトのピラミッド。
イスラーム法学。
ルネサンス
古代ギリシャの民主制。
インドの哲学と数学。
アメリカの開拓者魂。

・・・・・・・・・・・・・・だいたい、どのへんも、支配階級が一般庶民、名もなき大衆や先住民、異種族から税金と労働力を搾り取って生まれたものだと言っていいんじゃマイカ

そしてそれは、そもそも生産性というものが、近代――――エネルギーを地下から石炭石油にとって取り出すことができ、窒素を空中から固定して、食料の生産量を増やせた時代――以前は少なく、結果的に一部の人間しか、文化文明の大前提である「衣食足りて礼節を知る」状態になっていないので、それは仕方ないんじゃないかな、と思うのです。


司馬遼太郎のあとに田中芳樹氏を紹介しますが、ツートップだな(笑)
これ、どこで語ったかちょっと原典を指定できないのだけど、ほぼこういうようなことを言っている。
「よく、民衆の歴史こそを書くべきだとかみたいなことを言う人がいますけどうんざりだ。ぶっちゃけ、その民衆こそが関羽張飛が活躍する三国志や、漢楚の興亡といった『英雄』たちの物語を好んで、語り継いできたんじゃないか」
とね。

氏が、創竜伝などでフィクションに交えて表明している時事的評論や「ジェシカ・エドワーズ論法」を、このブログではしばしば(好敵手として?)批判しているが、その田中氏にしてから、いわゆる俗的な「民衆史観」にはこんなふうに反論していた、という話。まあ「銀河”英雄”伝説」の著者としては、けだし当然ともいえるかもしれません。

少数民族や非迫害側の歴史も「お前らやお前らの直接の先祖がその当事者か、あん?」と言えるかも。

はい、「文化の盗用」という言葉が出てきたね。

それはおいて、上のブクマでも指摘する人がいたけど

おまえら、ほんとにマオリの血を引いてるやつが何人いるんやと。
マオリにおいては、戦士でなければ奴隷なのです」と、K-1に出ていたToAという選手が言ってたぞ(いろいろあって、現在彼は刑務所にいるが…)。
お前らのうち何人が、当時の戦士階級身分だったのだ?
と言ってもいいのだが、まあ言ってもしょうがないな。

これは、東北出身だというだけで「中央権力にあらがった、まつろわぬ民の反骨心」とか「明治新政府に迫害を受けた旧幕諸藩の怒り」などを自称する人々(の一部)も、「サムライジャパン」とあんまかわんなかったりするような(笑)。本当に直系の子孫であることを証明すればまあよし。四代続いてりゃ認めてやんよ。こちとら江戸っ子でい。



ジャイアント馬場プロ野球出身なのに、スモーのシコ(四股)を踏んだ、という。




佐高信氏と呉智英氏と…とばっちりで藤沢周平司馬遼太郎

過去の文章だが、ブログには載ってなかった。ここに収録しておこう。

佐高批判  「だろう」で済めばジャーナリストはいらない


佐高信氏が半年前に出した本が、「司馬遼太郎藤沢周平」。両者を比較し、前者を貶め後者を持ち上げた例によって例の如し、の本である。

司馬遼太郎と藤沢周平―「歴史と人間」をどう読むか (知恵の森文庫)

司馬遼太郎と藤沢周平―「歴史と人間」をどう読むか (知恵の森文庫)

本を批判するときの罵倒語として「トンデモ本」と言うのは「と学会」に悪い気もするが……でもこれ、ホントに笑えるんだよ。

 
※このページ数はハードカバー版です。
p12「(司馬好きだった人が解雇、息子の死をきっかけに山本周五郎の作品を好むようになったというエピソードから)おそらく、山本周五郎の小説も耽読していたに違いない」
p13「司馬遼太郎から山本周五郎、あるいは藤沢周平へという変換はあるのだろう。しかし、その逆はないのではないか」
p26「ある種のジョークとして、「江戸城は誰が作ったか」という話がある。太田道灌と答えると正解で、大工と左官がつくったというと笑われるのだが、しかし、藤沢は笑わないだろう。井上も笑わないのではないか。太田道灌と答えるのにためらうのが藤沢であり、ためらわないのが司馬遼太郎だろう。」
p29「(藤沢は司馬の小を殆ど読まなかったと言いつつ)「この国のかたち」や「街道をゆく」は「人後に落ちない愛読者だった」と続けているのだが、それは藤沢の心遣いであって、『読めなかった』ということだろう。
p136「(藤沢が)選挙にかつぎ出されることがあったとしたら(略)「ハッタリはいやだ」と毎日ケンカをし(略)たに違いない」


……こういう人に対しては、『電波の受信はほどほどに』と言うしかない(笑)。だろう、だろう、ダロウ。狂言でマヌケな事を繰り返す”太郎冠者”ならぬ”ダロウ冠者”とでも言うべきか。

……いかん、佐高氏のオヤジギャグセンスが移りかけてる(^^;)。

                                        • -

ところで、最初に挙げた「江戸城を作ったのは?」というネタに対しては、既に呉智英氏が面白いコメントを発している。
(「インテリ大戦争津村喬批判の項)

インテリ大戦争

インテリ大戦争

「これは、十数年前には日共系の人々の間でしばしば論議になった「ピラミッド問題」と同種のものだ。つまり、民衆の文化・良い文化と支配者の文化・悪い文化という公理があって、ピラミッドはどうか、という問題である。ピラミッドは王族のために作られたことは否定できず、さりとて、一方で日共は、資本家たちが営利追求のために京都や奈良の文化遺産(多くは、日本の王族のものだ)を破壊することを非難しているし、ピラミッドは残すべきか、ブチこわすべきか、という問題だった。そこで、折衷的に言われたのが、「作ったのは民衆だ」というリクツである」

ここからが面白い、呉智英氏の面目躍如である。

このデンでいけば、侵略用の兵器は、特に近代の総力戦では「作ったのは民衆」である。次にもう一歩踏み込めば、「だから侵略兵器製造は正しい」とするか「民衆は一義的に善・悪と言えない」とするか、という”危険な”選択問題に逢着したであろう。前者を選択するわけにはいかないし、後者を選択すれば、”民衆史”重視(程度・形態の差はあっても、日共も当然これという公理が崩れてしまうから”危険”なのである。そこで、あまり深く考えず、ま、とにかく、民衆は歴史の主役なんだもんね、という感じでウヤムヤにし続けてきたのだ。(因みに言っておけば、本家のマルクスやしーニンは、こんなバカなことは言っていない)」

わはははははは。ということです佐高さん。

故藤沢氏の気持ちを考えれば、こんな硬直したイデオロギーの宣伝の為に佐高氏に勝手に自分の作品を使われて、しかもレベルの低い評論を散々させられたのちに司馬遼太郎を貶める材料に(無理やり)されて、大迷惑と感じた「だろう」(笑)。

上のような佐高信氏の批判は、当ブログではタグをつけて一覧にしています。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/searchdiary?word=%2A%5B%BA%B4%B9%E2%BF%AE%5D