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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

「プロレス”伝説”(偽史?)は、源流を探ればたった3人の男にたどり着く?」…斎藤文彦「昭和プロレス正史」はプロレスが「どう語られたか」の本らしく期待

昭和プロレス正史 上巻

昭和プロレス正史 上巻

昭和プロレス正史 下巻

昭和プロレス正史 下巻


(上)は昨年発売されていたけど、不幸な誤解があって、
ああ、タイトルから想像するに、週刊ポスト連載の単行本かー。正直、あの連載はなァ・・・・・・と思って手に取らなかったんだ。

ここではっきり言っちゃうが、フミ・サイトー氏は日刊SPA!のプロレス講座、WWEヒストリーはめっちゃ面白いねんで?
必読と言っていいコラムやで?
https://nikkan-spa.jp/spa_comment_people/%E3%83%95%E3%83%9F%E6%96%8E%E8%97%A4

しかし、それがメジャー舞台、週刊ポストに連載を持った時に…「まだ序盤なので、これから面白くなるはず!」と思いながら読んでいたのだけど…正直うーんでした。
しかしまあ、週刊ポストは「プロレス一見さん」にも配慮した書き方をせざるを得なかったのだろうし、こっちはWWEのディテールは知らないので日刊SPAコラムを面白がり、ポスト記事は(自分にとっては)周知の点だったので面白くなかった、だけかもしれない。

しかしだ、週刊ポスト連載は面白くなかった云々はとりあえず枝葉というか、無関係の話だ、そもそも別物なんだから(笑)


さて、すっかりこういうイベントもおなじみになった出版記念のトークライブですが

活字プロレスの歴史にちゃんと向き合おう 斎藤文彦『昭和プロレス正史(上)』刊行記念トーク(上) http://www.bookaholic.jp/post-2962/
フミ・サイトーの原点はあのコラムニストだった 斎藤文彦『昭和プロレス正史(上)』刊行記念トーク(中) http://www.bookaholic.jp/post-2966/
世界がすべてヤフー化される前に語っておきたいこと 斎藤文彦『昭和プロレス正史(上)』刊行記念トーク(下) http://www.bookaholic.jp/post-2971/


この「上」で語られているこれがおもしろい。

斎藤 日本のプロレスに関する活字の記述は、出典の出典の出典を突き止めていくと、田鶴浜弘さん、鈴木庄一さん、もっとうんと若いんですけど櫻井康雄さん。この3人に絶対たどり着きます。でも、その3人がてんでばらばらなことをお書きになっている場合も多いんですね。それはもしかすると精査可能なんじゃないか

(略)
さかのぼってもたかだか60年ちょいなので、その気になれば調べはつくだろうと。プロレスに関してはありとあらゆる活字は調べられるんじゃないかな
(略)
それはフランク・ゴッチジョージ・ハッケンシュミットの戦いであったり、力道山ルー・テーズの友情物語であったり、「プロレス・ニッポン/世界をゆく」と題されたアメリカで活躍した日本人レスラーのことであったり。そういう逸話……この本の最初にも書きましたけど、「活字プロレス」というジャンルがあるとしたら、僕はそれをお作りになったのは田鶴浜先生…
(略)
斎藤 この本の頭のほうにもありましたけども、「力道山がプロレスというものに出会った」エピソードとは、銀座と新橋の間にある銀馬車というナイトクラブで、相撲をやめて飲んだくれてた力道山とハロルド坂田が喧嘩をして、「お前は強いからプロレスラーになれ」って言われ、ボビー・ブランズ一行がジムとして使っていた飯倉のほうの建物に行って、そこで力道山がプロレスを教わったという「物語」です
(略)
フィクションとファクトが入り混じる活字プロレスとしては、「ナイトクラブで力道山とハロルド坂田が乱闘した」ほうがいいわけですよね。そっちの話をアダプトしたものが二次使用され、伝聞の伝聞の伝聞ということになっていって、プロレス史実として定着していく……田鶴浜さんが書かれたものでも同じエピソードで5バージョンくらいあったりします。櫻井さんがお書きになった『激録力道山』の…小説的な場面になっています。それはそれで櫻井さんワールドというか、東スポ的なプロレス話として生き続けるのでしょう。でもそれは実録「小説」なので「本当のことを知りたい人はあんまりそっちばっかり信じちゃダメよ」と……

ここで自分の関心ごとはいいつくされている。
当方の反応ツイート



一例をあげる。
力道山ジャイアント馬場を英才教育のエリートとしてほめて育て上げたが、猪木は自分の付き人として無理難題をふっかけ、いじめぬいた。
猪木は差別待遇だと思ってときには屈辱感に震え、夜逃げも考えるが、それは力道山が「馬場は天性の巨体を生かして強くなるべきだからエリート教育をした。猪木は、雑草の強さ、精神を鍛えることを目指した。それゆえに厳しく当たったのだった!愛情は一緒」

という、いい話だけどデタラメに決まっている(笑)話があるのね。
昭和世代は「プロレススーパースター列伝」でみんな知ってると思うのだけど、この牽強付会で、冷静に考えるとあり得るとは思えなくて、それでも異様な感動と迫力で「サスペンション・オブ・ディスビリーフ(疑念の一時的停止。過去記事の検索を推奨)」をもたらすストーリー、実に梶原一騎らしい「カジワラマジック」だと思ってきた。

ところが…こういう見立てもドーモ、上の「プロレス神話創作者三人衆」にオリジンがあるっぽいのよ。何かで読んで、それはプロレススーパースター列伝 より前っぽいのよ。
(確実には調査してません)


あの言葉の魔術師、寸鉄人を刺したナンシー関はかつて「人間風車」とか「荒法師」の命名や、アンドレは木こり出身、などの伝説を「もはや文学である」とまで称賛した。それは彼らへの称賛だったのだ、思えば。

「外国語を日本語に訳す時、直訳が最も正確に意味を伝えるとは限らない。日本の歴史や文化、状況を相対的に見て、時には辞書を無視することで名訳は生まれる。
 プロレス用語もそうである。『ベア・ハッグ(熊の抱き締め)』が『サバ折り』となるのは、相撲を国技とする国である以上当然である。そうでなくとも、あの技から『熊』ではなく『サバ』を連想したところに日本を感じると言ってもいい。それにもまして私が好きなのは『吊り天井』という名前だ。英語名は『リバース・サーフボード・ホールド』。しかしあの技は『吊り天井』以外の何物にも見えない。サーフボードがどうしたなどというカリフォルニアなタワ言に一切耳を貸さなかったところが素晴らしいと思う。『ボストン・クラブ』。カニだって言ってるのに『逆エビ固め』である。日本の文化は曲げられん、という気骨を感じる。『オクトパス・ホールド』を『タコ固め』と訳していたらと思うとゾッとする。『卍固め』だからこそ、猪木の名勝負もあり得た。技の形態を見るに『タコがからみつくように固める』は正しい。『どこが卍なんだ』というのもある。しかし言葉は文化である(山城新伍か)。あの技に『卍』を見た人に感謝する。/『アトミック・ドロップ』を単に『尾てい骨割り』としておきながら『ジャーマン・スープレックス・ホールド』を『原爆固め』としたところなど、その目の確かさに感服する。『ダブルアーム・スープレックス』を『人間風車』と訳したのは誰だ。もはや文学である」(『何をかいわんや』)

http://suqule.exblog.jp/19084226/ から孫引き

「何があったか」の歴史と「どう語られたか」の歴史は、並行して研究したい


千利休など、歴史上の人物の「イメージ史」を追った四部作リンク集CommentsAdd Star
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【4つの記事が連動しています】

明智光秀は「常識的、良識的な保守派」というイメージの真偽について(Togetter)

http://togetter.com/li/523680

■歴史上の人物の”パブリック・イメージ”を確立させたフィクション史について〜明智光秀を例に

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130625/p2

■(続報)「美の世界で秀吉と戦った千利休」というパターンの元祖は野上弥生子「秀吉と利休」か

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130627/p3

■「千利休の描かれ方の歴史」さらに続報。元祖は海音寺潮五郎? そしてさらにその前史が・・・

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130629/p2



また、この日の記事はなぜかそういうテーマが集中している。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20151222


こんなのもあったね
三国志」日本での曹操人気、中国の人に経緯を説明するのは難しい… - Togetterまとめ http://togetter.com/li/910387

つまりは


笑う長嶋

笑う長嶋


杉江松恋氏も(中)でこう書いている

http://www.bookaholic.jp/post-2966/
杉江 プロレスは戦後の時間をずっと素描してきてますから、ひとつの文化史として位置づけられてもいいと思います。その記述をするために大事なことは、ひとつひとつの事件の謎解きよりも、そのときどきの流れで生み出されたものがどういう風に受容されて、当時の観客や、興行という出来事の中で位置づけられていったのかということを俯瞰する視点なのではないかと。