INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

(釣り)気鋭の歴史学者・磯田道史氏が毎日新聞で「風立ちぬ」を徹底批判!あまりの過激さに、毎日新聞のサイトには不掲載…(「吉村昭が伝えたかったこと」書評)

最初に「釣り」と書いておく、いさぎよさ。
いや、釣りとはいいつつ、釣り師にも三分の理はありますよ。
こういう主張を今、新聞に掲載して公にする……宮崎駿監督「風立ちぬ」へのDisだ!!と読んで、何か不都合でも?

創作を交えれば、ドラマチックでない話を人為的にドラマに仕立てられる。いわば創作…は、天然ではなく養殖物、人造の美男美女のごとく、感動的なドラマを製造した人造物語である。しかし、記録文学はそうはいかない。(後略

(この本の書評にて。毎日新聞2013年9月22日)

歴史は繰り返す―東日本大震災後、呆然とする日本人が手にとったのは、『三陸海岸津波』そして『関東大震災』。両書の検証を中心に、徹底した取材と史実の綿密な調査に基づいた傑作歴史小説を数多く遺した吉村昭の、人となりと作品を各界識者が解説。揺るぎない眼で歴史を掘り起こした作家から我々への貴重なメッセージ。作品検証・インタビュー・完全ブックガイド。

いや不都合はある。途中省略した部分は2字の省略で、『創作「小説」は』というのが原文だ。これは宮崎駿Disではなく、司馬遼太郎Disでした。
いやだから名指しすんなよ。それに磯田氏、司馬遼太郎への敬愛も隠してないぞ。

歴史の愉しみ方 - 忍者・合戦・幕末史に学ぶ (中公新書)

歴史の愉しみ方 - 忍者・合戦・幕末史に学ぶ (中公新書)


最初からこのブログ記事は道を誤っている気がするけど、とにかく伝えたかったのは
・「吉村昭が伝えたかったこと」という本が出版された。
・この書評を磯田道史氏が書いている。これがイイ。
・そこでは記録文学(史伝)に創作を交えること、の是非について論じられている。
・しかしなぜか、ふつーは書評をネットに載せている毎日新聞公式サイトに、これが載ってねー!!!なぜだ!!!!????問題があったのか??
http://mainichi.jp/feature/book/archive/

ということです。とくに最後のは、それを皆さんに読んでもらいたかった自分的には大ダメージでした。というか全文にリンクを貼りさえすれば「どこが『風立ちぬ』批判なんだよ」ということでちゃんちゃん、だったんだけど。
軌道修正を余儀なくされました。



それはそれとして。
「天然ではない養殖物の感動ドラマ、人造物語」というのは具体的な作者でいうと何か?という話で・・・磯田道史氏はともかく、吉村昭という人自身は、やはり司馬遼太郎を批判的に捉えていたようであります。
司馬遼太郎賞を辞退した一件でそれが分かる。

http://blog.livedoor.jp/ysmra/archives/23017006.html
ところで、吉村昭は「第1回司馬遼太郎賞」の受賞者に推されながら、辞退したという(*)。
 評論家の大河内昭爾氏は「ある高名な歴史小説作家の名前を冠した文学賞の主催者から、吉村昭に受賞の打診が来た時、私は相談を受けた。吉村昭はその作家の作風に自分とは相容れないものを感じていたため、受賞に戸惑いを感じたようだ」と記している。(「拒否する作家」吉村昭との五十年(『新潮45』2009年8月号所収))

*評論家・末國善己氏は『文藝別冊 吉村昭』所収の「“史伝”の復権」の中で、吉村昭が辞退したと明記している。一方、大河内氏は上記のとおり賞名の特定は避けているものの、内容から見ても、氏の言う文学賞司馬遼太郎賞だと考えられる。


ただ、自分ははっきり、小説としては司馬遼太郎のほうが好き。吉村昭氏は、まさに事実にこだわった淡々とした記述に平板さを感じるし、ノンフィクションならノンフィクションでもっと書き様があったとは思っている。


ただし、その事実を調べる、記録を集める執念と技術と努力はすばらしく…要は、「どういう風に私は調べたか」というエッセイが吉村昭氏は一番おもしろい。

時間がないのでもうこのへんで終わるけど、ベストオブベストは

史実を歩く (文春文庫)

史実を歩く (文春文庫)


生麦事件で、文章の一節に「陽炎」と記述するまでの経緯といったらね・・・

http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20090908/p1
生麦事件』に、島津久光の行列が生麦村にさしかかったときの場面を描くくだりに次のようなところがある。

「馬上の四人が帽子をかぶっているのがかすかに見え、外国人のようであった。先払いの後につづく駕籠のかたわらを歩く徒士(かち)が、駕籠の中に声をかけ、先導役の海江田武次が身を乗り出し、前方に眼を向けた。馬も人も、陽炎にゆらいでいる。」

生麦事件(上)

生麦事件(上)

生麦事件(下)

生麦事件(下)

 この「陽炎にゆらいでいる」という一句を書くために、吉村さんは現場検証をし、その日の天候を記した史料にあたった。そして、文久二年八月二十一日、この時刻には、(今でいえば神奈川県鶴見区の)生麦では陽炎が立っていたにちがいないと推断して「馬も人も、陽炎にゆらいでいる」と書いたのである。この本だけでなく、吉村さんの作品のひとつひとつ、いや一行一行は、こういう裏づけ作業を経ている。