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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

半年前に「殺人練習学校」が話題になった時の記事を再掲載します。

朝、はてなブックマークをあけたらトップがこれだった。

「防衛費は人を殺す予算」 共産・藤野政策委員長がNHKで 他党議員は発言取り消しを勧めたが… - 産経ニュース http://www.sankei.com/politics/news/160626/plt1606260016-n1.html

そのはてブ http://b.hatena.ne.jp/entry/www.sankei.com/politics/news/160626/plt1606260016-n1.html

のちの続報



ほぼ半年前、これに似た話題がありました。
そこへのリンクを張るだけでもいいのだけど、リンクを飛ぶひと手間を読者が惜しむことは知っています(笑)
なので、そのまま再掲載します。↓

「殺人練習学校」は定義上「ヘイトスピーチ」になるか?/日本の「平和主義」に「軍人蔑視主義」が含まれていた件について - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20151227/p2

http://www.sankei.com/politics/news/151225/plt1512250005-n1.html
……高校教育と陸上自衛官の人材育成を行う陸上自衛隊高等工科学校(神奈川県横須賀市)について、埼玉県上尾市の平田通子市議(59)=共産=が、市議会で同市広報誌への生徒募集掲載を中止するよう求めた際、「人を殺す練習をしている学校」と発言していたことが24日、議会関係者への取材で分かった。平田氏は産経新聞の取材に「多くの人を傷つけ、嫌悪感を与える不適切な発言だった」と釈明し、24日に議事録からの削除を申し入れた。
(略)
市執行部は「市民への情報提供が目的で、市内の看護専門学校についても記事を掲載している」と説明したが、平田氏は「看護学校は命を救うのに対し、工科学校は人を殺す練習をする学校。同列にはできない」などと反論…

こういう議論は、過去にも聞いていたから驚きの発言ではない(後述)。
だが、ちょっと気になったのは、定義としてこれはいわゆる「ヘイトスピーチ」と言えるのか?ということである。それは逆に、「ヘイトスピーチは、(法的に)きちんと定義でき、分別可能」なのかどうか、でもある。

なぜそれが気になるかといえば、ドイツにも似た例があったからだ。
過去にこの記事で引いているので、再度孫引きする。

http://apc.cup.com/apc201001_12_13.pdf
湾岸戦争の最中、ある平和運動家が自分の車に、ヴァイマル共和国時代の文筆家、クルト・トゥホルスキの「兵士は人殺しだ」という警句を貼って「民衆扇動罪」に問われた。
トゥホルスキは、1931年8月4日に発行された『ヴェルトビューネ』で、「4年間、国中で人殺しが義務とされ、そこから離れるのを厳しく禁じられた。私は人殺しと言ったか?もちろん人殺しと。兵士は人殺しだ」と論じていた。94年9月19日、連邦憲法裁判所はこの活動家に無罪に無罪を言い渡した。それは、「言論の自由」を擁護したからではなく歴史的引用の明示を理由としたものであった。
この判決に連邦軍や保守派は激しく反発、2日後連邦議会は「人殺しレッテルの容認は兵士から法的保護を奪い兵士の人間としての尊厳を損なう」という抗議決議を可決した…ロンホーフ少将は「兵士が人殺しと同じなら、連邦憲法裁判所はナチス民族法廷に匹敵する」と敵意を剥き出しにした。

ドイツで無罪になった理由に「歴史的引用」があったからというのは、ドラマのせりふを引用したこれを思い出すね(笑)

山口二郎氏「安倍は人間じゃねえ、叩っ斬って…」「TVや漫画の引用」ならOKか?問題、ですな。 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150901/p2

この話題は、この新書でも触れられていた。

ヘイト・スピーチとは何か (岩波新書)

ヘイト・スピーチとは何か (岩波新書)


これらとストレートでつなげるかどうか、もしそうなら「法的には無罪」だが「国会の抗議決議に値する」となるのか。
定義、それも法的な定義はやはりむずかしい。

そういえば靖国前のトイレに爆発物を設置したあれは「ヘイトクライム」と定義されるのか。


日本の戦後平和主義、平和運動の、少なくとも大きなピースが「軍蔑視」「軍関係者への後ろ指」だった。そしてそれは「効果的」だった…?


今回、59歳の市議がこういう発言をしたことは、あまり驚きではない。
もうこれは認めていいと思うんだが、戦後日本の平和主義、平和運動の一部〜あくまで一部です〜には、(自衛隊をも軍の一種として)「軍人差別主義」「軍蔑視、嫌悪主義」「軍関係に”後ろ指”を指す運動」があった、ことはすでに事実でありましょう。それがあったことは、否定してもしょうがない。
教室で。
出版物で。
ドラマで。
最初の「教室で」は、その名残りの名残ぐらいには触れた経験がないでもない、当方(笑)。



そして、これも、道徳的判断やその副作用には敢えて目をつぶるなら、そういう”蔑視”や”後ろ指”が、日本の軍隊、軍事に関してのブレーキ、制約のひとつになっていたこと、それもまた、戦後史の事実として存在するのではないか。

また、井沢元彦氏がたとえていたが
「人の命を救う救急車が、交通事故で人をひいてしまったとする。それで死んだ人の家族や、実際に轢かれて死に掛けた人が、一般的に救急車が有用で必要だということとは別にして、感情として”救急車嫌い”になってしまうのは、これはあり得るだろうなと理解はできる」と。
いわゆる焼け跡闇市派小国民世代…な。




もちろんブレーキ自体の是非もあるだろうし、仮にブレーキをかけるのが是にしてもそんなやりかたは許されないことだ、という道徳的判断も、平成の今はふつうの感覚として育っている。だから今は、公になれば批判が圧倒的になる。

それが2015年末の風景。
ただ、だからこそ「かつて平和主義・平和運動の1つのピースとして<軍(人)嫌悪・蔑視>があった」と、記録しておくべきだろう、と思う。

http://earth-words.org/archives/4009

君達は自衛隊在職中、
決して国民から感謝されたり、
歓迎されることなく
自衛隊を終わるかもしれない。

きっと非難とか
叱咤ばかりの一生かもしれない。
御苦労だと思う。

しかし、自衛隊が国民から歓迎され
ちやほやされる事態とは、
外国から攻撃されて国家存亡の時とか、
災害派遣の時とか、
国民が困窮し国家が混乱に直面している
時だけなのだ。

言葉を換えれば、
君達が日陰者である時のほうが、
国民や日本は幸せなのだ。
どうか、耐えてもらいたい。
 

吉田茂