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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

東ローマ帝国・ユスティニアヌス大帝の妻、テオドラが神に抱いた不満とは?

イアン・モリス『人類五万年 文明の興亡(下)』(筑摩書房)2014年 (その1) http://blog.goo.ne.jp/s-matsu2/e/631a2bf3cc502dd1d0da3b4808f7c7f4

人類5万年 文明の興亡(上): なせ西洋が世界を支配しているのか (単行本)

人類5万年 文明の興亡(上): なせ西洋が世界を支配しているのか (単行本)

人類5万年 文明の興亡(下): なぜ西洋が世界を支配しているのか (単行本)

人類5万年 文明の興亡(下): なぜ西洋が世界を支配しているのか (単行本)

wikipedia:ユスティニアヌス1世

・・・後世「大帝」とも呼ばれたように、古代末期における最も重要な人物の一人である。その治世は東ローマ帝国史における画期的な時代をなし、当時の帝国の版図を押し広げた。これは、野心的だが最終的には失敗した「帝国の再建」(renovatio imperii)に特徴づけられる[2]。この野望はローマを含む西ローマ帝国の領土を部分的に回復したことに表される。
(略)
ユスティニアヌスの遺産のより重要な側面は、ローマ法を統合して書き直した『ローマ法大全』(Corpus Iuris Civilis)であり、これは多くの現代国家の大陸法の基礎であり続けている。彼の治世はまた初期ビザンティン文化の興隆にも印され、彼の建築事業はハギア・ソフィア大聖堂のような傑作を生みだし、これは800年以上にわたって東方正教会の中心となった。


この奥様であり、サーカスの踊り子出身の皇后、そして大帝の偉大な政治的助言者であり続けたのがテオドラ皇后。
たしか東ローマ帝国は皇帝教皇主義……いやこの概念も時代遅れなんだっけ、まぁとにかくそれなりに宗教的な社会だった(ソフィア寺院が作られたのだから)のだが、皇后はルネサンスの先取りのように…、神に全面的な服従をするのではなく、健全な疑問や疑念、不満を思想として持っていたのである。

上のリンクから紹介すると…

ユスティニアヌス帝を動かしていたのは妻のテオドラだった。
(略)
結婚前は女優だった。
彼女の(略) は夫をしのいでいて、ある時などは(略)後、
(略)今度は(略)と言う。

神が(略)とよくこぼしていたらしい
http://blog.goo.ne.jp/s-matsu2/e/631a2bf3cc502dd1d0da3b4808f7c7f4


(略)が多いのは、ブログの品位を保つためである(笑)。※まあ、紹介している段階で品位も何もないが・・・…
にしても、彼女の神への怒りは、なんかまぁ、………コメントを避けたほうがいいですな。