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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「アブドーラ・ザ・ブッチャー自伝」の後半部分、レスラー篇の書評かきました/(togetterまとめも更新)

前回かいた、前半部分の書評はこちらです。

「ブッチャー〜幸福な流血」より”少年篇”を紹介。勤勉なワルの黒人少年が貧しさの中で見つけた知恵 -http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150405/p3

今回は、そこから続けての続編。


元はtwitterの文章です。
なぜtwitterで書くというと、それによって多少メリハリがついて、あまりにも長くなることを抑制できるからです。ただし、それで書ききれない部分が出てくるという欠陥も勿論あるわけで、適宜補足修正しています。

gryphonjapan @gryphonjapan 2015-06-26 08:09:05

「ブッチャー 幸福な流血―アブドーラ・ザ・ブッチャー自伝」の紹介。前回はレスラーになるまでの「少年篇」でした。これからは連続ツイートで「レスラー篇」を。


アメリカで50年代にプロレスラーになるには…今もそうだが「団体に入門」するような極まった道は無い。前回書いたようにブッチャーは柔道、空手で鳴らし身長も180センチ、体重90キロを超えた。そして「プロレスに興味がある」と公言してたら、プロモーターのほうから声を掛けてきたのだ.

デトロイトのプロモーター、ジャック・ブリットがブッチャーをスカウトする時の言葉がふるっている。

「噂になってたよ。金のためなら何でもする、タフな黒人がいるって」

ブッチャーは内心で狂喜したが、そこは銭稼ぎの経験も豊富。一見興味なさそうに「いくら稼げるんです?」と駆け引き(笑)。

両親にはだまってプロレスをはじめたブッチャーはプロモーターの息子でレスラーのジム・ブリットから指導を受ける。
「プロレス流受け身とプロの基本的な約束事、腕のとり方や体勢をスイッチする技術」
という何気ない一行だが、非常に奥深そうでもある。

だが、こちらの一文のほうが重要だろう。

「ジムはアマレス的な動きも教え込もうとしたが、それだけは拒んだ。いまさらそんなことをやっても遅いと思ったし、既に自分で思い描くファイトスタイルがあった」

「できないことは無理にやらないこと。それは学校の授業で唯一学んだことだ」

 
ブッチャーは既に「シュートやフックはレスラーの嗜み」的な発想から自由だった。それは「プロレスで稼ぐ」という強固な目標を持ち、シークにが入り口だった世代が、堅苦しいイデオロギー闘争とかを抜きに自然に到達した、ある一面の真理だった。だが、決して練習を怠けてたわけではない。ブッチャーはレスリングの練習の代わりに、みっちり長距離を走り、空手も再特訓した。実は、プロレス志望が胸に芽生えた時から、空手の技もリングの見栄えを意識して研究していたという。

技の受けもスポーツ的なものでなく、芸術的なものとした


の一文が考えさせる。
長距離はスタミナ重視。
 
地獄突きもデビュー前から考えていたそうで、ここで「列伝」世代としては「シンガポールでガマ・オテナ師から教わったんじゃないの?」とブーイングしたいところだが(笑)、先にいく。ちなみにデビュー戦からエルボードロップが決め技。
「なぜ素人がそんなアイデアを持てたか、自分でもわからない」
 
とにかくブッチャーはじっくり通好みのレスリングでなく「巨体だがスタミナ抜群の黒人が疾風のようにリングで暴れまわる」というイメージを描き、そういうタイプはいないから受ける筈だ!と直感したのだ。


たぶん、少年篇で紹介した、工夫を重ねて靴磨き少年ながら大いに繁盛して「靴を私の前に出してくれる人の中で、私以上の週給の人はいなかった」となるまでになった『創意工夫』のたまものだろう。ただ単に業界に入ってよしとするのでなく、その業界の中でどういうスキルを持ち、役目を果たせば自分が上にいけるかを考える……大いに就活諸君も参考にしたまへ(笑)
 
ブッチャーは創意工夫を重ね、スキンヘッドに真っ赤なトルコ帽をかぶり「謎のトルコ人 ゼーマス・アマーラ」のギミックを自分で考えてデビュー。ちなみにトルコ人とレスラー、レスリングの系譜はいろいろ当方、ウンチクを語りたいところだが、主目的は「親バレ防止」だったというからやめとく(笑)


筋トレでなく労働で培ったしなやかな筋肉がブッチャーのデビュー直後の活躍と、その後の長い選手生活を支えた。
最初のプロモーターはこう笑顔でいう。

OKだ。だからだれの言うことも聞くな。俺の言うことだけ聞けばいいんだ

彼は回想する。
「嬉しかったが、これはプロモーターの常套句だ」


少年時代篇で紹介した「目で盗む」も実践して殺伐ファイトをさらに進化さえ、また黒人ヒールは当時珍しいこともありぐんぐん頭角をあらわす彼は、変わった形でチャンスを掴む。
ボボ・ブラジルザ・シークに挨拶に行くように興行主から言われたブッチャーは、大先輩ブラジルが「お前もレスラーか?」と尋ねると「マカラハカラ ハカマカ」。
ブラジルは「彼は英語を話せないようだ」と素直に思ったがシークは「ちゃんと英語で話せ!…だがいいセンスしてる。俺の好きなタイプだ」
そしてデトロイトでチャンスを与え、ブッチャーは人気爆発。
そのせいでテレビで親バレ(笑)
 
この若きブッチャーの「お仕事が親にばれたでござる篇」は短文ながらえらく味のある場面。「少年篇」の、いかにこの両親が「折り目正しき庶民」(寅さんのおいちゃん夫婦と思ってくれ)かを知ると、もっと面白い。

…人気の上昇に伴い、チャンネル9テレビで私の試合が放送されるようになってしまった。
(略)
「あれっ?この人、息子さんじゃない?」
テレビ番組の中で奇声を上げながら暴れ回る私の姿を見て母は唖然とし、慌てて自宅にいた父に電話した。
「ラリーが今、テレビで!!」
私の家にはテレビがなかった。理解できない父に、母は最後にこう言った。
「とにかく、恥かしいことよ!」

 
間の悪いことに家族が慌てて連絡をしようとしたものの本人は地方遠征。
おまけにそんなこと露しらず、前回の反応に味をしめ次のテレビではさらに大暴れ…というか流血デビューしたそうな(笑)この後の顛末は味があるので、引用した画像の原文を見て欲しい。 pic.twitter.com/tTO0tvxtus


その後はシーク、トーキョージョーことサンダー杉山、T・J・シン、キラー・コワルスキーなどのレスラー評や交流の思い出がつづられてるが、書ききれないので略す。ただ一点だけ。コワルスキーは「例の」菜食主義を当時から始めており、ブッチャーに「菜食主義はいいぞ、お前もぜひやれ!」と。
その時のブッチャーの反応
「私は少年時代、経済的な理由で1週間中5日は菜食主義だったので、彼のアイデアは丁重に断った」
ただ、その断り方が「私は『ブッチャー』なので、肉を食べると神に誓ってしまったんです」
なんのこっちゃ(笑) pic.twitter.com/M0A9lWKJwU



さて、そんなブッチャーがいよいよ日本遠征…となるがここまでで書きすぎだ!
ここは別の資料や回想も多いのでさくっと箇条書きにしよう
・ミスターモトの紹介で来日。トップで呼ばれてはいないが、初めから下克上でトップになることを狙っていた
・日本人はおとなしい観戦に見えた。それを打ち破る
 
・馬場とは最初の試合から波長があった。頭のいい、器用な、懐の深い、新しいものを提供するのが巧い男だった。
・全日本設立を馬場にけしかけたのは自分。ハワイイで悠々自適の選択もあった馬場をくどいた夜、お互いの葉巻を交換した。この「葉巻の交換」は両者の生涯のセレモニーになった
 
・ただし、同じ相手と抗争すると自分の価値を下げる。デストロイヤー、ハーリー・レイス、ファンクスなどと抗争したのはそれだ。
・ハーリーの喧嘩の強さは有名だが、肩を脱臼させ、その欠場挨拶を襲撃したりして盛り上げた。ハーリーもそれを恨む男ではない。
・道路の乱闘だけは、強制送還一歩手前だったが…

 

・全日の一時期は、私と抗争すれば誰でも人気が出た。だが、一番得したのはテリーだろう。
・なぜドリーでなくテリーか。それはテリーが、業界、レスラー全体をテイクケアしてくれる親身な人間だからだ。

「この世界ではよくしてくれる人間がいたら、彼を痛めつけるのが仕事なのだ」

・だから伝説のオープンタッグ前夜、実は自分は悩みに悩んでいた。どうやってテリー・ファンクインパクトのある「痛めつけ方」をするか…何か凶器はないか…悩みに悩んで、ついに「これでいいか」とホテルのレストランのフォークを持ってきたのだという。その晩、ブッチャーは懺悔した。

「ママ、ごめんなさい。今夜、私は他人のものを黙って持ち帰ってしまいました。けれど、どうしても仕事で必要だったんです。明日、必ず返しますから許してください」


…まず謝る方向性がいろいろおかしいし、ホテルのレストランも、返されても困る(笑)

「私にとってテリー・ファンクとの闘いは、Enjoyではない。Loveだった」
アブドーラ・ザ・ブッチャー

残念ながら、途中を飛ばそう。
そんなふうに日本で大スターになったブッチャーは、新日本に移籍する。
「だれが声を掛けたか」などで証言が錯綜しているが、ここも読み応えある。また、今でも新日の残酷さ(鈍さ)として言われている「ディック・マードックとの対戦拒否事件」については真っ向から反論。
『自分はマードックでも一向に差し支えないし、実際対戦経験がある。あの日はブラボーをブレイクさせる機会だったし、実際にブレイクした。むしろバッドニュース・アレンとマードックが険悪で、もしタッグ戦が普通にあったら、その二人の間で凄惨なトラブルがあったのでは』、と。うーむ
 

ここから全日本復帰、ブロディ急死とメモリアル興行、全日を再び去りインディへ、vs高田延彦、レッスルー1…などについても語っている。

また、同書で語られているが、ブッチャーはタイガーマスクが人気絶頂の「金曜夜8時」の登場人物なのだ。その流血ファイトがタイガーのファン層的にNGだったかも…とも言われているが、知名度ということで考えると、この忘れがちなファクターは見逃してはなるまい。では本題に。


だがマードックの話が出たから、最後にまとめて、ブッチャーのガチ観、MMA観を紹介して終えよう。

…あ、「ブッチャーとガチ」というテーマで引用しようと思ったが、この本の構成が非常にすっきりしてて、その話題についてのトークが綺麗に見開きで治まってるよ。だからさっきと同様に、画像で紹介する。
その1「ブッチャー、MMAを語る」 pic.twitter.com/vyHPPUi4PO


その2、こちらのほうが「MMA」という競技より重要だろう。

「ブッチャー、プロレスのセメント、シュートマッチ、ガチンコを語る」
…要約するとレスリングや関節技に関係なく、やり返す覚悟や迫力が大切であり、自身そういう体験もあるらしい。 pic.twitter.com/TbK43wR4o7


ブッチャーやジャイアント馬場だと、『あの当時有色人種でトップをとって、「仕掛けられ」ない筈がないだろ?そこでトップだったんだから、彼らはガチも強かったんだよ』という論法もなんとなく説得力がある。ただ、アトキンスやアレンのような「ポリスマン」をつける手法もあるしね…どうだろ?



ブッチャーとガチンコという点については、アカツキさんが漫画にした、こんな挿話も紹介しておきたい。
自分がやるやらないは別に、道場で熱心にスパーをする若手を見ると「頑張ってるな!」と小遣いを上げたくなるぐらいの心意気はあるのだ。

これで、ブッチャー自伝の紹介、レスラー篇を終える…
前に、最後にあるメッセージを書いておきたい。最後は肝炎感染となったことを考えると、皮肉かもだが…

ステロイドに頼らなくても、タフな戦いを40年以上も続けられた。より正確にはステロイドを使わなかったからこそ、それが可能だった」
 
「レスラーの中には平気でドラッグを使用する者もいる。私は彼らを罵倒するようなことはしない。責任を持った男なのだから、何をしようと勝手だ。ただし私は、そういった類のものに一切手を出すことはなかった。私のビジネスはとてもハードで、そんな自己規制すらできない男では務まらない」
 
「プロレス会場には多くの子供たちも集まる。彼らのヒーローがドラッグまみれだったことを知ったときどう思うか。少なくともトップに立つレスラーは、そこまで考えられる脳ミソを持った男でいてほしい」

「まず自分の存在価値を知れ。見せるべきものを知れ。自分でできることはすべて自分でしろ。他人の思い通りにならず、自分で考え、ゴールまでのプロセスは自分で決めろ。他人に期待せず、他人を批判するな。言い訳をせず、他人に対する悪い感情はさらりと忘れろ。いかなる時も自分を『忘れさせる』な」


「人間はいいことも悪いことも受け止めながら生きていくしかないのだ。神を恨むことなく、毎日を一生懸命生きなさい」


書評「ブッチャー自伝 幸福な流血」
第二部「レスラー篇」はこれで了。前回のtogetterに追加します。



(togetter版)
http://togetter.com/li/804521