午後9時から
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「カミソリ後藤田」の異名を持つ、政界の御意見番・後藤田正晴。 「日本が決して戦争に巻き込まれることがないように」その信念を生涯貫いた、不屈の人です。 1914年、6人兄弟の末っ子として徳島の山間の村で生を受けた後藤田は、幼くして両親を失い、苦学して東京大学法学部から内務省に入省します。しかし、徴兵されて台湾に出兵し、そこで捕虜生活を経験しました。復員後は警察官僚となり、警察庁長官にまで登り詰めます。 後藤田の名を世に知らしめたのは、「あさま山荘事件」を代表とする過激派集団との闘いでした。そしてこの時こそ、後藤田自身がテロの恐怖と制圧の難しさを肌で感じ、平和憲法の順守と不戦の誓いを固くしたのです。
1987年、中曽根内閣で官房長官を務めた後藤田は、ペルシャ湾への自衛隊掃海艇派遣が閣議決定されそうな雲行きになると、中曽根首相と対峙し、「この議案が閣議に提出されても私は絶対にサインしませんよ」と反対の立場を貫いて、閣議決定を阻止しました。 また1991年、ブッシュ大統領から湾岸戦争における多国籍軍への参加を執拗に迫られていた海部首相に対して「例えアリの一穴でも開けてはならない」と助言をし、力添えしたのです。 更に、阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件に見舞われた1995年。
時の首相だった社会党(現・社民党)の村山富市を党の垣根を越えて支え、「誰が代わりにやれば出来ると言うんだ?自民党政権だって出来ないよ」と公言。自ら復興委員会特別顧問に就任し、復興計画の実現に向けて尽力したのです。 数多くの苦渋の決断を強いられた人生にあって、それでも自分の信念を貫いた後藤田正晴。その素顔に迫ると共に、今、もし彼が存命であれば、この国の未来のために果たして何を訴えるのか… 後藤田を良く知る人物たちの証言を元に探ります。
後藤田についてもっとも語っているのが佐々淳行氏だが、彼はこのペルシャ湾掃海の時代から、安保問題では「君はタカ派でいかん」と言われるほど、上司である後藤田と論争し続けたひとなので、そのへんはどの証言者を呼んでくるか(笑)
というか、後藤田の周辺の証言、はもっと幅広い分野から収録していいんだよな、本来。
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どうでもいいが、リアルタイムの中曽根政権時代、後藤田は「日本のフーシェ」「警察国家の再来」とめちゃくちゃ罵倒されていたということを、ひとこと嫌味で添えておこう。自分はかすかな記憶に残るだけだが、その時代の文章もさがせばけっこう単行本などにも収録されているのでね。例えば、その後は後藤田礼賛者の一人だった筑紫哲也氏が朝日ジャーナルでは…