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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

今年は「富永恭次将軍逃亡70年、没55年」の節目。フィリピンで歌われた「将軍逃亡の歌」をyoutubeに

久々にyoutube制作しました。

♪命惜しさに 富永が
台湾に逃げた その後にゃ
今日も飛ぶとぶ ロッキード(※の爆撃機、の意)
でっかい爆弾に 身が縮む


富永恭次中将は、牟田口廉也辻政信らと共に、帝国陸軍でよく知られた存在です。
この人に対して、「兵士の間で歌われた」と言われる替え歌が辛辣かつ風刺的で印象に残ります。あまりネットでも見かけないので戦後70年、富永中将没55年の2015年、音楽に合わせて再現してみました。
資料の出所は、フィリピンで実際に従軍体験のある山本七平氏の著作からです。

この替え歌、あまりネットを見ても資料が無かったので、こうやってyoutubeにUP、歌詞は富永恭次ウィキペディアにも収録できた。
とりあえずこれで最低限の記録は出来たのだが、本当は1月16日の逃亡記念日に合わせて発表、そしてボーカロイドに歌わせたかった(笑)。だが当方の技術では試供品その他ではできませんでした。
だれか作ってくれたら嬉しいのですが。


2月23日が、富永中将の「待命」記念日。5月5日が「予備役編入」記念日です。

ただし息子をえこひいきせず、特攻に行かせたらしい

長男:富永靖
陸軍大尉。慶應義塾大学卒業後に特別操縦見習士官1期生となり、第58振武隊員(特攻隊員)として、1945年5月25日、富永から貰った日章旗を携えて都城飛行場より出撃、特攻戦死。出撃時の態度があまりに堂々としていたため、見送りにきた第100飛行団の参謀が後で「あの隊員は誰だ」と下士官に尋ねたところ「富永閣下のご子息です」という答えが返ってきたという。

じつは昔、自分が本を読んでいて「身内をえこひいきせずに死地に生かせて、実際に戦死した」として賞賛の記述があった人って
乃木希典
スターリン
毛沢東
なんですよね…ヒトラーも甥がスターリングラードで捕虜になったとか。自分が知らないだけでもっと外にもいると思うんだが、どうも自分が知ってるサンプルに、さらに富永恭次(ほかは「極めて危険」だが、特攻は「ほぼ確実に予定された死がある」のだから、ある意味で上)を加えると「何か問題を抱えた人ほど、身内を死地に行かせるのではないか」と思ったりしないでもない。