20 から2へ。一番割を食ったのはここですね。
http://news.goo.ne.jp/article/gooeditor/world/gooeditor-20081107-02.html
それをどう分析するのか。
ひとつには、「維新」勢力が「日本維新の会」よりは、より旧「みんな」系統になったということだろう。それが指し示す意味などはまた、今後の国会にて明らかになるのだと思う。野党色は強まるはずだ。
ただ、政権をより(新)自由主義的な側面から「(新)自由主義が足りない」と批判するスタンスが、いくら政権批判とはいっても民主や共産と歩調を合わせることが出来るか。
石原慎太郎個人が消えれば「石原イズム」は残らない。残る力もない。
あとは、ずっと語ってきた話だけど、石原慎太郎氏はなんだかんだといって、普通の彼の支持者の大半は「石原裕次郎のお兄さん」であり、「太陽の季節を書いた作家」の石原に漠然といいイメージを持っていた人でしかなく「石原イズム」「石原思想」はとくに支持されてるわけではなかった、という当たり前みたいな話が大きいのだと思いますわ。
その話、過去にも何度か書いたはずなんだけど、石原の問題=石原プロブレムって、「どうせ石原が肉体的に滅びれば(って剣呑な言い方だが)、思想や政治勢力も一緒に消えていくたぐい」という意識がずっとあるんで、なんか本気で論じる気がない、という感覚…も正直あった。親分が無くなればぱっと消える政治勢力というのは外にもあるだろうけど、特に彼の場合はそういう印象だったのであります。
次世代壊滅(やな語感だねぇ(笑))は、その証拠なのかな、とも思わんではない。