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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「海賊の誇りと特権」〜九鬼嘉隆を描いた司馬遼太郎の描写から【敗将列伝】

司馬遼太郎アラカルト】兼【敗将列伝】
古い話題ですが、ことしの「本屋大賞」は

http://www.hontai.or.jp/

一次投票には全国479書店605人、二次投票には330書店より386人もの投票がありました。二次投票ではノミネート作品をすべて読んだ上でベスト3を推薦理由とともに投票しました。
その結果、2014年本屋大賞に、『村上海賊の娘』和田竜(新潮社)が決まりました。

村上海賊の娘 上巻

村上海賊の娘 上巻

村上海賊の娘 下巻

村上海賊の娘 下巻

わたしは未読なんですが、おめでとうございます。

ちなみに、いま「自民党絶滅危惧種」と呼ばれているリベラル派で「いまの自民党は右舷に偏りすぎて転覆する」と気を吐いている村上誠一郎元行革相はまさにこの村上一族の末裔で、その堅い選挙基盤があるからこそ執行部、内閣を批判できるという面もあるそうです。いまでも同議員が一声かければ、瀬戸内海は一夜にして封鎖される。(うそ)

(政々流転)村上誠一郎衆院議員 リベラル一人旅どこへ - 朝日新聞デジタル http://t.asahi.com/f07q
 
本人は、同調者がいないのが不思議でならない。首相に直言できない党は「右に傾いて沈没しかねない船」と映る。…異議申し立ては昔からだ。1987年、当選1期の村上はスパイ防止法案を巡り、谷垣禎一らと反対の論陣を張った。
(略)
 村上のルーツは、中世から瀬戸内海を支配した海賊、村上水軍だ。村上は水軍が行き交った島々を愛媛の選挙区として回り、船上から政策を訴える。

 村上家には「国家の大事には親兄弟のしかばねを乗り越えて戦え」という家訓が代々継がれる。大蔵省事務次官から参院議員になった伯父孝太郎は「次世代につけを残すな」。衆院議員だった父信二郎は「防衛予算は少ないほどいい。隊員が犠牲にならないよう国は万全を期すべきだ」と説いた。

 勉強熱心で分析好き。推理小説を読みながら筋やトリックを紙に書き、作者の隠した意図を読み解こうとする。「政策のプロフェッショナル」を自認し、日本の財政状況や安全保障環境などのデータをいつも持ち歩く。

 政治家一族の毛並みの良さ。9回連続当選の選挙の強さも発言を後押しする…

まあ「XXXの末裔」というのは、要は世襲議員ってことなんだけども。


おまけにこの話は、冒頭から余談なのである(笑)。


本題というのは、村上ではなく九鬼水軍。伊賀と甲賀、北斗と南斗。ただ名前のかこよさでは「九鬼」が圧勝ですな。
でまあ、これは偶然、何の意味もなく司馬遼太郎関ケ原」をぱらぱらと拾い読みしていたのです。

関ケ原(上) (新潮文庫)

関ケ原(上) (新潮文庫)

関ケ原(中) (新潮文庫)

関ケ原(中) (新潮文庫)

この作品はもちろん徳川家康石田三成を軸にしながらも、両陣営にあって、あるいはその中間にあって去就を決める大名たちの人物群像を描くオムニバスとして描かれていて、そこが画期というか魅力のひとつ……あ、思いだした、これを再度手にしたのは「キンドルにするかKOBOにするか、電子書籍のスタイルを何にするか決めるのは、戦国大名のどこにつくかを決めかねる地侍に似てるね」という話から、参考資料にと手にとったんだっけ(笑)。その話もあとで書きたいです。


そんな拾い読みの中で、九鬼嘉隆の章が特に印象に残った。

関ケ原(下) (新潮文庫)

関ケ原(下) (新潮文庫)

九鬼家は熊野水軍の一派で、百年ほど前から伊勢、志摩、熊の沿岸を荒らしまわっていた海賊の家・・・(略)信長は水軍に認識のふかい人物で、鳥羽地方の小海賊にすぎなかった九鬼嘉隆を応援して大いにそれを育てた…(対毛利戦での)九鬼嘉隆の軍功の大きさは測り知れない。
(略)
豊臣家の殿中では、…廊下のはしからでも「ああ九鬼殿が登城されているな」と、その声で知れた。永年海上での指揮で声帯が発達しすぎ、殿中での抑制がきかなくなってしまっていたらしい。
(略)
「嘉隆は胴欲で小利に執拗である」と三成が評したが、これは嘉隆だけでなく戦国争乱の中でたたき上げた士豪出身の大名の共通した性格であるといっていい。
 
さて。―ー
去年、この嘉隆の性格が露骨に出る事件が起こった。
九鬼嘉隆には所領のほかに、いかにも海賊らしい収入源が一つある。自分の所領の沖を通る商船から通行税をとりたてることだ。
これは平安時代からの海賊の習慣で、かれらの重要な収入源であった。
(略)
だが、いかにも今の時代にあわない。織田信長は、その天下統一を進めるにつれて…通行税を取る習慣を一掃した。秀吉はその政策を引き継ぎ…その種の私権はいっさいみとめなかった。この英断が、豊臣の治世の大きな基礎になっている。
ただ、九鬼嘉隆にだけは例外を認めた。
「認めざるをえない」
というのが秀吉の心境であったろう。海賊の出身で大名になったのは彼ひとりなのである。しかも織田家以来、九鬼嘉隆がつくした功績は大きく、その功績のわりには所領がすくない。
「せめてその私権でも認めてやれ」
というところであったろう。なにしろ九鬼家は昨日今日の海賊ではなく、先祖を遠くさかのぼれば源平のころの「熊野ノ別当湛増」から出ている。

(略・・・ところが隣の藩にとってはたまったものではなく、秀吉が亡くなって代替わりしたときに「もはや通行料を払うことはない」と拒否し始めた。このトラブルを、五大老筆頭の家康が裁いたが…)

家康が吟味のすえ、
「九鬼がよくない」
という結論を出した。
もともと家康は信長や秀吉とちがって水軍に疎く、海賊大名の九鬼嘉隆という存在をさほど認めていない。
(略)
嘉隆は敗訴後領地にしりぞき、世を拗ねて頭を剃り…「家康ほど、いやなやつはいない」と平素、家来にも鬱憤を吐きちらしている。先祖代々海賊を営んできた嘉隆にすれば、海賊の特権でもある通行料をとることを禁じられたことは、経済問題よりもむしろ名誉に関することだった。永禄十二年、織田信長の伊勢作戦で船を出して以来、三十余年にわたる水軍大名としての功績と名誉は家康によって無視された。
(「関ケ原」下巻、45-46P)

お話の中では、この隠居した嘉隆に、三成からの密書が届き、嘉隆は断然西軍に加担。息子は上杉征伐のために徳川軍に同行しており(笑)、真田家と同様に親子で東西に分かれての対決となった。
九鬼家はまさに海上・沿岸ゲリラ戦争をしかけ、伊勢から東海にかけての沿岸を荒らしまわった、という。

江戸でこの報を知った家康は
「あ、あいつめが」
と、めずらしくうろたえた。水軍にうとい家康は、西軍がこういう挙に出ようとは思わなかった。家康はすべてを予想しそのすべてに手を打ったつもりであったが、九鬼水軍の沿岸侵掠だけは予想外だっただけに狼狽したのである。

なぜ九鬼の話がとくに印象に残ったかといえば、この前kousyouブログで、この紹介記事を読んでいたからかもしれない。

「海の武士団 水軍と海賊のあいだ」黒嶋 敏 著
http://kousyou.cc/archives/6476
中世日本、荘園公領制の成立によって地方の富が中央へと輸送・集約される必要性から、海上輸送において武力による保護・管理が求められると、武士たちは各地の湊や沿岸地域に勢力を持ち、海上交通に知悉した『海の民を編成し、海上の武力として組織化』しようと試みる。そのような『沿岸地域に所領を持つ武士が中核となって形成された社会集団』(P16)は「海の武士団」という言葉でまとめられる・・・

海の武士団 水軍と海賊のあいだ (講談社選書メチエ)

海の武士団 水軍と海賊のあいだ (講談社選書メチエ)


なんども紹介した話題だけど、かつて小室直樹が書いていた言葉
「『王権」の反対に位置するのは何でしょう」
「うーん、普遍的な『人権」?」
「違います。貴族や宗教勢力の持つ『特権』です」
 
という話があってね。
小さい領土の、小さい権力がそれぞれに持っている権力―とくに徴税権を、統一国家の統一権力が奪っていく。それはたしかに社会の「自由」をある意味では失わせるのだが、それによって自由に、平和になる意味もたしかにあるのだ。
上の話だって「海で通行料を取る権利は、海賊にとっては名誉の問題」っていわれてもなぁ(笑)とは思うんだよね。


というか、これも何度も書いたが、なんか自分は「海賊(海軍)が脅威」とかいうのに、いまいちリアリティを持てないのだ。「海ならそんな船のいないところからひょいっと入れば、かわせばいいのに」とか「船の3隻や4隻、そんなに脅威なの?」と。
いやもちろん「ヴィンランド・サガ」のあの襲撃・略奪シーンを見れば、そうではないことはよく分かるし、今でも海賊被害はやまほどあるんだからリクツではわかるんだが。

というか大昔の「大航海時代」(2とか3の時代だよ!!)では自分が基本、略奪をよくしていたしね(笑)。



そんな普遍的な問題として、この「九鬼嘉隆徳川家康に特権を奪われ、怒りに燃えて関ケ原(の別フィールド)で大活躍!!」という話…どこまで司馬の創作かは問わない・・・が、おもしろかったのであります。

司馬遼太郎アラカルト】というタグ(的なもの)をあらたに創った

司馬遼太郎は自分が言うまでもなく面白いのだが、よく考えたら慣れてない人にとってはけっこう代表作はクソ長い(笑)。
そして、ご存知「以下、無用のことながら」「以上は、余談である」を駆使して、小説だかエッセイだかわからないかたちで無用な雑学やエピソード、人物評をちりばめている。そこが面白いのだが、
逆にその面白い部分を「抜き出して」
そのままそれを単体として紹介したほうがいいんじゃないか?と思うこともしばしば。
 

実際、今までそうやって来たんですよ、このブログの記事のいくつかは。
そういう、司馬作品から単体のエピソードや史論、人物・文明論などを抜き出して紹介する記事に【司馬遼太郎アラカルト】という単語を挿入し、それで検索すれば一覧的に読めるようにしたいと思っています。


【となりのビッグブラザー】(※情報技術と監視社会に関する記事)
【敗将列伝】(※タイトルのまま。歴史上の「敗将」についての記事)
といったものと同じような感じ。これから工事していきたいと思います。