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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

今年は司馬遼太郎「関ヶ原」映画化の年。伝説の鴨下信一ドラマを超えられるか?尺と予算の壁は?

書店で、そういう帯が文庫にかかって平積みされていたので、今更ながら知ったよ。いや当時もどっかで聞いたけど、忘れてたのかもしれん。

http://sekigahara-movie.com/

決定当時の記事のひとつ

2017年『関ヶ原』映画化!主演に岡田准一/有村架純/役所広司<コメント到着>|i bought[アイボウト] http://ibought.jp/entertainment/47466

歴史小説の大家・司馬遼太郎戦国史上最大の合戦・関ヶ原の戦いを描いた大ベストセラー「関ヶ原」(新潮文庫刊)の映画製作が決定した。
司馬遼太郎作品の実写映画化は、1999年公開『梟の城』以来、18年ぶり。
さらに、これまでの日本映画史上「関ヶ原の戦い」を真っ向から描いた映画作品は無く、その意味でも今までにない挑戦となっている。

司馬遼太郎作『関ヶ原』とは

関ヶ原(上)(新潮文庫)

関ヶ原(上)(新潮文庫)

関ヶ原(中)(新潮文庫)

関ヶ原(中)(新潮文庫)

関ヶ原(下)(新潮文庫)

関ヶ原(下)(新潮文庫)

「国取り物語」「新史太閤記」と並ぶ戦国三部作であり、「覇王の家」「城塞」と並ぶ家康三部作のひとつ。
1964年〜66年「週刊サンケイ」にて連載、1966 年に新潮社より初版単行本、1974 年には新潮文庫版全 3巻が刊行され、現在までに単行本・文庫を合わせた累計発行部数が580万部を超える、大ベストセラー。
1981年にTBSでドラマ化され、今回待望の初映画化。


岡田准一/石田三成
役所広司/徳川家康

監督・脚本は原田眞人氏か。
このコメントは面白いので、あとで独立させて書こう。

しかし、鴨下信一演出「伝説の6時間ドラマ」の熱の前には、たやすく映画など吹き飛ぶぞ!勝算ありや?

このブログでもしょっちゅう「関ヶ原」については、史実も司馬作品も他の作品についても語っているけど、鴨下信一のこのドラマについても語ってきた。

という二点。そういえば確かに、日本で最近オールスター映画というべきものはパッとは思いつかない。ただ単に名優、スターがたくさん出るというだけではなく、それぞれに見せ場があるか、ということも重要なんだそうで。
昔はなんといっても「忠臣蔵」でオールスターをやったが、自分は何度も言うようにTBSで鴨下信一が演出した司馬遼太郎原作の「関ケ原」が思い出されるなあ。まあ北野武アウトレイジ」もけっこう、オールスターぽい豪華さはあったとおもうけど。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20131109/p5

さてさてこの作品、まだTBSがすごかったころ(笑)、伝説の名ディレクター鴨下信一の演出によって、6時間近いスペシャルドラマになったが、大谷役はだれだったかしら。顔隠しているから覚えてねえよ(笑)
豊臣秀吉宇野重吉本多正信三國連太郎徳川家康森繁久弥・・・などは覚えているが。すごい豪華な俳優たちだった。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090813/p7

CSの「TBSチャンネル」の隠し玉、定番として、数年に一度放送されているのだ。いまはTBSチャンネルと縁が切れてしまった自分だが、公開に際しては連動して、また再放送されるかもしれない。


もちろん、俳優も重厚だし(見た目では、やはり森重のほうが役所より狸親父たる家康には近くなだろうが…)鴨下信一氏はそのへんの映画監督がたばになってかかってもかなわぬ演出界の大物であるが、このドラマのアドバンテージは究極的にはそれではない。

ドラマはTBSの開局記念の超大型番組として、2時間を上・中・下の3本、計6時間つかったのだ!!
そして、司馬の原作もそもそも「関ヶ原に集いし(あるいは別の場所で駆け回った)もののふたちを、大大名から小大名まで、主役から脇役まで、お馴染みの名場面から小ネタまでずらりと紹介する『オールスター小説』」なので、このドラマですら物理的に描ききれなかったものなのだ!!!

この小山は、遠いむかし、鎌倉幕府を開いた源頼朝が、奥州征伐にゆくときに宿営地として使った土地である。家康は、その縁起をかついだ。 家康は、あす、この小山でひらかれる諸侯会議こそ徳川家盛衰のわかれみちであるとみていた。徳川家だけではない。
 歴史が、変転するであろう。
<あすの軍議でしくじれば、いままで積み重ねてきた策謀のかずかずは一挙にくずれさってしまう>
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160912/p2



九鬼嘉隆には所領のほかに、いかにも海賊らしい収入源が一つある。自分の所領の沖を通る商船から通行税をとりたてることだ。
これは平安時代からの海賊の習慣で、かれらの重要な収入源であった。
(略、家康にこの特権を廃止されて怒った怒った九鬼が海上ゲリラ戦を行う。)
…江戸でこの報を知った家康は
「あ、あいつめが」
と、めずらしくうろたえた。水軍にうとい家康は、西軍がこういう挙に出ようとは思わなかった。家康はすべてを予想しそのすべてに手を打ったつもりであったが、九鬼水軍の沿岸侵掠だけは予想外だっただけに狼狽したのである。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140616/p3



戦後、家康が大谷吉継の死体をさがさせたとき、
「いやいや、手がかりはある」
と、家康は左右にいった。
湯浅五助ほどの者が、主人刑部少輔(※大谷のこと)の先途も見とどけずに死ぬはずがない。藤堂仁右衛門に五助の様子を語らせればめどがつくはずである」といい、仁右衛門にきかせた。

仁右衛門は、
「存じておりまする」
と正直に言い、ただいかような刑罰をうけましょうとも申せませぬ、
「右の次第、五助がいまわのきわのとき拙者に頼み申したるところ。約束でござれば、たとえ死を賜ろうとも、申せませぬ」
と答えた。
家康は大いに笑い、さてさて律儀なる若者かな、と言い、それ以上は追及せず、かえって仁右衛門に備前忠好の刀をあたえ、その功を賞した。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090813/p7


脇役、ミニ場面にこそかえって旨みの多いこの司馬原作を、今回の映画は、2−3時間内にどう収めるのか?
はっきり言って、その時点で別物に近くなってしまうだろう。その別物が、どんなふうになるか、期待と不安の交錯するいまの気分です。

予算はどのぐらいだろう?

日本映画は、予算が少なくても頑張った!シン・ゴジラをみろ!……と昨年言われたが、それは世界基準で(笑)、日本のなかではシン・ゴジラは圧倒的に予算をもらっていたのだとか。
関ヶ原を映像化するにはたくさんのカネが必要で、カネをかければかけるだけ良くなっていく…部分は確実にある。

邦画の平均的製作費は一本当たり3.5億円。マッドマックス3分作れない - Togetterまとめ https://togetter.com/li/990555 @togetter_jpさんから

今回の映画の予算情報は見つけられなかった。知ってる人は教えてください。


そもそも、司馬原作の映像化、負け戦が多いと思う(個人の感想です)

平成に、入ってからでいうと…
翔ぶが如く
梟の城
徳川慶喜
新撰組血風録〇
功名が辻
坂の上の雲

その他、単発ドラマがいろいろあったが未見も多し(大河ドラマも●は、かなり冒頭で見るのをやめたが……)

という、個人の感想です。

「SEKIGAHARA」を手っ取り早く外国に説明できるコンテンツになるとありがたい

こんなウィキペディア記事が出るぐらいには、世界的な関心がある(軍事マニアは世界的にいるし、時代劇、サムライチャンバラの愛好家もいるし、漫画やアニメにも出てくるし…)

https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Sekigahara
徳川家康は、支配する力の彼の位置を統合するために3年以上かかった豊臣氏と大名が、関ヶ原は広く徳川幕府、最後の非公式の始まりであると考えられている幕府制御するため日本を。日本は戦闘後、長い平和の期間を持っていた。[3]
徳川家康年功序列、ランク、評判とリージェントの死後豊臣氏のリージェンシー内の全体的な影響の点で他の追随を許さないた前田利家。噂は家康が、その時点の現存する唯一の同盟国でことを示す広めるために始めた織田信長、信長のが取られただけのように秀吉の遺産を引き継ぐことになります。これは特に、豊臣師の元臣下の間で不安を扇動していたが、家康を疑った忠実な官僚の間ではっきりしていた。

その後、想定陰謀家康を暗殺するが表面化し、利家の息子、など、多くの豊臣支持者、利長は、参加したと非難し、家康の当局に提出することを余儀なくされました。[7]しかし、上杉景勝、秀吉の任命の1 試薬は、彼の軍を構築することにより、家康を挑ま。家康が正式に彼を非難し、彼が来ることを要求した場合、京都の前に自分自身を説明するために天皇、景勝のチーフ顧問、直江兼続は、家康の侵害と秀吉のルールの違反を嘲笑カウンター非難で応答し、そして家康を激怒させました。[8]

その後、家康は様々な支持者の援助を呼び、北上して上杉一族を攻撃した。彼らの多くは、その瞬間にあったHasedōを包囲けれども。石田三成は、混乱によって作成された機会を把握、対応して立ち上がったと家康の支持者に挑戦する提携を作成しました。

ん?twitterの歴史クラスタだったら、あまりいい反応が返ってこない程度には、過去の見方というか俗説に浸食されてね
まあ、不満がある人は英語版の修正にもおはいりなさい。