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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

朝鮮総連全体大会―彼らは許宗萬と、金正恩を(自由意志で)『選んだ』…と見なしていいのかな?

http://www.asahi.com/articles/ASG5T4VCDG5TUTIL00M.html
在日本朝鮮人総連合会朝鮮総連)の第23回全体大会が24、25両日、東京都北区の東京朝鮮文化会館で開かれた。在日朝鮮人の代議員約2千人が参加し、今後4年間の活動方針や許宗萬(ホジョンマン)議長(79)の再任を決めた。
(略)
「総連は団結して、立ちはだかるあらゆる挑戦と難関を克服し、組織をより強化することに深い関心を注ぐべきだ」とする金第1書記の祝賀文が読み上げられ…(後略)

「克服し」って、あんた自身がその挑戦と難関なんですが(爆笑)


そしてさらに、このおじいさん、おもろいこと言うてはるで。

総聯第23回全体大会報告(要旨)/総聯中央議長 許宗萬
http://chosonsinbo.com/jp/2014/05/0526il/
代議員のみなさん!

今日、私たちは総聯活動家と同胞たちの不屈の闘争で、去る4年間の22期活動を輝かせようとした70日間運動において大きな成果が成し遂げられ、新たなチュチェ100年代、金正恩第1書記の導く新時代に、総聯第23回全体大会を開いている。

本大会は、金正恩第1書記をチュチェ偉業と在日朝鮮人運動の卓越したリーダーとして高く戴き開かれた初の全体大会であり、まさにここに総聯第23回全体大会の歴史的位置がある。

23全大会は金正恩第1書記を団結の中心、指導の中心とした忠誠の大会、一心団結の大会であり、金日成主席と金正日総書記の遺訓を徹底的に貫徹し、総聯を新たな高い段階に前進させる継承と革新の大会である。

第1書記は23全大会に宛てた歴史的な祝賀文で、総聯と在日朝鮮人運動の強化発展のための綱領的な指針を与えた。

本大会では第1書記の祝賀文を高く掲げ、在日朝鮮人運動の進路に沿って
(略)
23全大会は、金正日総書記の指導に沿って行われてきた在日朝鮮人運動の新たな全盛期を切り開くための闘争を、金正恩時代の要求に沿って強化発展させるうえで決定的な契機となる。

ここまでクロマティ高校の画像がぴったりはめ込めるのもなぁ。

実際の大会画像を見てみるか

「可視化された帝国」という言葉がひところ流行ったが、これも可視化されてんなー(笑)まさに百聞は一見にしかず、だ。


さて。
この記事、数日前のこの記事からの続きであります。

朝鮮総連許宗萬現議長再任へ?それって総連の”民意”なの?
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140517/p4

タイトル通りなのだが。
そもそもこの全体大会で許宗萬現議長の再任が決まり、金正恩からの「祝賀文」が読み上げられ、その再任なった男が『金正恩第1書記を団結の中心、指導の中心…金日成主席と金正日総書記の遺訓を徹底的に貫徹』するとした一連の経緯は、朝鮮総連に現在所属する人々の「民意」によるものと考えていいのか、どうかであります。
 
「『属性』(例えば「チョン」とか「低能民族」とか)への批判と『思想、行動、言動』への批判は違う」という。


私も結構意識して「北朝鮮全体主義体制”」とか「金王朝」と書くようにしている。それは38度線北に君臨する体制や支配者への批判は、民族全体を野蛮だ低能だとこき下ろすような分別のない態度とは別物だと思うからだ。


ただ、朝鮮総連が、これまで同組織の路線を推進した張本人を再任させ、「21世紀のナポレオン(オーウェル的な意味で)」を『団結の中心、指導の中心』とすると方針を決定したなら、そうすると決めた「思想、行動、言動」が日本社会から、それなりの評価を受けるだろう。はてなブクマでも、それなりの評価を受けるだろう(だけど伸びない)。

だが、もひとつ見なければならないことがある。
これははてなダイアリーでは、以前人気だったbuyobuyoさんの「捨身為仁日記」で、2009年に熱く語られていたことでもある。その記事のタイトルは
北朝鮮にいる家族・親族が人質状態にあるという現実」
だった。
日本の北朝鮮支持組織の周辺、それを形作る集団は、まさにあの金王朝の下に「人質」がいるという特異な状態であり、彼らがその集団や下部組織に一見賛同しているように見えても、実はその状況下でやむを得ず、ということもある…それを見なければならない、ということを「捨身為仁日記」は語っていた。
こればかりは、定量的には外からじゃ確実にはわからない話ではあるが、「有る・無い」のレベルで言えば、「有る」と言ってもいいようである。


その場合、上のあいさつ文のようなおもしろ文章や、それが「支持され、決定した」という外形的な事実があっても、それを額面どおり彼らの意思と見なしてもいいものかどうか、という問題が出てきます。
やっかいなものです。