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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

ある数学科女学生の”計算戦記”。「私は勤労動員で、高射砲の角度を計算していたが…」(保阪正康)

毎日新聞2013年7月13日 保阪正康の連載コラム「昭和史のかたち」。
・自分は16年、「昭和史講座」をカルチャーセンターで行っている。
・受講者は延べで20000人を超える。
・多くは戦争体験者で、自分は教わることが多かった。なぜこんな若造の講義を、実際に生きた先輩が聞くのですか?と尋ねたら「なぜあんなおろかな戦争を始めたか理解して死にたい」「昭和天皇の責任について自分なりの考えをまとめたい」などの切実な思いが帰ってきた。

という話を紹介したあと、印象的な3人の受講者の証言を紹介する。うちひとりを抜粋し紹介。

Aさんは、ある老舗の企業グループ総帥だった経営者の夫人。毎回一番前の席に座り、私の話に耳を傾けた。ある時、私に近づいてきて「戦時下、私は東京女子高等師範学校の数学科の学生でした。勤労動員というのは大本営の一室に詰めることでした…」といい、その体験談を話した。
参謀が持ってくる情報に基づいて、とにかく計算を繰り返す日々だったという。はじめはそれが何かわからなかった。
やがてそれは本土に侵入してくる米軍の戦略爆撃機B29を迎撃する高射砲舞台の角度を計算していることだとわかった。
次第に数式の角度が鋭角になり、B29が低空で侵入してくるのが分かりました。先生、この計算部隊の複雑な心情をぜひ書いてください。私たちの計算はどんな役割を果たしたのか、知りたいのです」と、Aさんは繰り返していた。墓前で、その約束を果たすことを誓ったが、今も果たしていない。

この話を聞いて思い出したこと

やはり少し前にエントリーで紹介した

■米国の無人爆撃機を操縦していた若者の回想が…すさまじい
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130608/p6

この戦争が元は軍国日本の名分無き戦いとはいえ、直接的に彼女がかかわったのは故郷の町を傍若無人に焼き払う爆撃機を迎え撃つ防衛攻撃だ。また当時、素朴に、戦争の勝利を願っていただろうし、たぶん無人爆撃機の操縦者のような直接的な罪の意識は幸いにも持たずにすんだだろう。
だけど、要は・・・すぐれた知性が「計算能力」という形になれば、それは否応無く、戦争中の国家では戦力の一環となりえる、ということだ。


山本七平は砲兵隊に所属していたが、あるとき演習で機材を使って風速を計測していたところ、ある農婦がこどもに「いいねーこの兵隊さん。カザグルマで遊んでるよー」と呼びかけたのを聞いて「なんともいえない楽しい気持ちになった」のだが
「冷静に考えれば、この『風速計測』って、狙撃兵がスコープを覗いてピタリと照準を敵兵に合わせているのと同じだよな」と思ったのだという。

「…新潟県の関山の射場の近くの小高い丘で風向・風速を測定していたとき、子供の手を引いた農婦が『この兵隊さんイイネーエ、カザグルマで遊んでるよ』と子供に言っているのを耳にして、何かたのしい気分になったことがあるが、しかし、砲兵が風向・風速を測定することは、狙撃手が冷たい目でジーッと相手の胸元に照準を合せるのと、全く同じことなのである」223P

私の中の日本軍 (上) (文春文庫 (306‐1))

私の中の日本軍 (上) (文春文庫 (306‐1))

そして。数学のエリートだから身にしみて数字で体験する、敵爆撃機の侵入高度の低下(敵の制空権の制覇)・・・・



まあ、どんな意味合い、どんな活動がこの「計算学徒動員」にあったのかは分からない・・・けれど、やはり教育はこういう場に動員される環境を作らない、ということも含めて教育なんだろうと思う。
この前、女子教育の必要性を国連で訴えたパキスタンのマララさんのことも思いつつ。