現在発売中の一つ前の話題になってしまって読者には申し訳ないが・・・
ちょっとtwitterからの引用で内容紹介に変える。
unknown @unknown_twi 7月11日
今週の週刊大衆の『1964年のジャイアント馬場』、柳澤健の『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』へのアンサー。いやー、こういうの読むのはたまらんね。ふるきち @fullkichi 7月13日
週刊大衆連載「1964年のジャイアント馬場」で柳澤健氏、ほとんどシュートな論調!「(力道山対木村政彦で)真剣勝負を避けたのは木村の方」「力道山は真剣勝負でも木村に勝つ自信があった」…「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」の漫画版「KIMURA」が載ってる雑誌で… ( ̄0 ̄;司行方 @TSUKASAYUKUE 7月13日
週刊大衆の柳澤健『1964年のジャイアント馬場』、『KIMURA』を尻目に力道山対木村正彦戦では木村正彦に勝目なしとしていて潔しふるきち @fullkichi 7月14日
@manabelldo 「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」の漫画版「KIMURA」が載ってる週刊大衆連載「1964年のジャイアント馬場」で「力道山は真剣勝負でも木村に勝つ自信があった」「真剣勝負を避けたのは木村の方」と言ってのける柳澤健氏の度胸が凄まじいですわ(^^;;;
ということで、もう次の号が出ていて普通には読めないだろう点が恐縮ですが、力道山はだまし討ちとかはさておき、ナチュラルに(この時点での)木村政彦よりはっきり実力が上だったのではないか?というのが柳澤健氏の論であります。
いま手元に原文が無いのだが、記憶はかなり鮮明なのでそれに頼って箇条書きする。
・体格差。単純にいうと「桜庭和志とヒョ―ドルぐらい」の差がナチュラルにある。
・年齢。木村は1917年生まれ、力道山は1924年生まれ。 試合があったのは1954年。
・木村が寝技に持ち込めば圧倒的な技量の差があったことはもちろん間違いない。しかし裸体で戦う状況で、木村はテイクダウンできたか?
・相撲はグレコローマンレスリングと非常に似ている技術体系だ。
・ルー・テーズも、自伝「フッカー」(他に、プロレス伝説を守りながらの自伝もあるが、「フッカー」はプロレスの裏舞台もふくめ率直に語ったほうの自伝)で「力道山をテイクダウンに持ち込むのは難しかった」と回想している。
さて。どうだろう。
うーーーーーーーーーーーん、難しい。
映像に○ミ\(・_・ )トゥ ←丸投げ
するしかない、と思いきや、この映像が闇の圧力によって「完全版」ではないものしか出回っていない、ことは有名な話で・・・
[ピコーン ひらめいた]
\ __ /
_ (m) _ ピコーン
|ミ|
/ `´ \
( ゚∀゚)
ノヽノ |
< <
このふたりがあい争った、瀧本誠vs戦闘竜・・・この展開が参考にならないかしら。
なるかよ。
ノリツッコミになったな。
それにだ、もはやZuffa管理下にある「瀧本誠vs戦闘竜」の映像、動画サイトで探しても無駄だし(笑)。
ただこのときは
http://hellhouse.blog111.fc2.com/blog-entry-36.html
瀧本は試合前のインタビューで「総合向けの対策は何もしていない」と答えていた。しかも打撃の対策すらしていないという発言にさらにビックリした記憶がある。
当時、レスリングや柔道などの組技出身の選手は、メダリストだろうがなんだろうが打撃を嫌がってアタマをさげたり、あごをあげたトコロをボコボコにされたりするパターンが多かった。
「ずいぶん強気だけど、打撃をイヤがって逃げの態勢に入ったりしそうだなあ」と当時のおいらは思っていた。しかし打撃をイヤがるどころか、果敢に相手に殴りかかる場面も見られ、吉田秀彦と同様の負けん気の強さを見せた。
結果、判定までもつれたものの40kg近くも自分より重い戦闘竜に勝利する。
瀧本はデビュー戦、戦闘竜3戦目。瀧本30歳、戦闘竜35歳。
http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/pride/column/200412/at00003249.html
うーん、戦闘竜は力道山なみの「元力士だが筋肉質」のファイターだし、けっこういい比較になるかな、と思ったけど、やっぱりいろいろ違う要素ありすぎるかな。瀧本が高専柔道的な寝技を見につけていたかもわからないし。
ちょっとこれは余計な思い付きだったか。
増田・柳澤〜「活字の巌流島」第2章の場は「週刊大衆」だった!
このふたりが熱い対談をしていることは、以前このブログでも紹介したとおり(このブログ「だけ」?)
■”活字の巌流島”ここにあり!ゴン格で遂に…柳澤健vs増田俊也対談(その1)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120304/p1
■”活字の巌流島”柳澤健vs増田俊也より(その2)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120305/p1
読みたい人はこのバックナンバーをおとり寄せなさい。
このとき、「活字の巌流島」と書いたのはやや釣りであることは認めるが(笑)、ただ、両者に相譲れない、それぞれの視点、史観があるだろうということは見て取れました。
その場合、やはり共通点より相違点が両者の立ち居地を浮き彫りにする。
「週刊大衆」を舞台に先週飛び散った一瞬の火花が、2つの連載作品「KIMURA」と「1964年のジャイアント馬場」を鮮やかに映し出す。
・・・とうまく〆ようとしたら
まなべる堂@comic of MMA @manabelldo 7月14日
@fullkichi 増田先生が泣きながら抗議の電話かけちゃいそう!Σ(°д°lll)
ふるきち @fullkichi 7月14日
@manabelldo ゴン格あたりで増田×柳澤のガチンコ対決対談が組まれたりして(笑)。レフリー「このくそ忙しいのに」猪瀬直樹(^^;)。
・・・ってあんたら。
コメント欄より(2022年追加)
柳澤さんが挙げてる「体格差」「年齢」「力士はテイクダウンが困難」はいずれも誰もが力道山対木村戦を考えるときに客観的に思い浮かべる点だと思います。
つまりは究極の素人論(笑)。ただ司馬遼太郎も書いてるように、素人の方が玄人より客観的にモノが見える場合があって・・・要は増田さんの「真剣勝負なら木村先生が絶対に勝ったはず!!」てのがもう柔道関係者ならではの感情論になってしまってるのが、やはり痛いところではあると思います。・・・ただ、これも素人観点で木村擁護論に助け舟出せば。
「力士がテイクダウンしにくいのは、自分が先にヒザついたりしちゃいけない状況において(かもしれない)」
ということ。相撲ならそれで負けになってしまうから。
自分が先に手をついたりヒザをついたりして良いんなら、テイクダウンの方法はいくつかあるんでは、と。たとえばデラヒーバ的(http://www.youtube.com/watch?v=11z_L67fsqU)な。もちろん木村さんの時代にこの技術無かった(はず)ですけど。そしてまた力道山のテイクダウンしづらさを語ってるテーズもまた
「アマチュアレスリングでは五輪レベルではない」
ことも付け加えておきます。
そして力道山からは疎まれてただろうカール・ゴッチ(48年ロンドン五輪ベルギー代表)は「力道山は私のカカトにすら触れることが出来なかった」と言ってることも(笑)。以上、どちらかといえば柳澤側に理があると思うワタシがあえて書いてみました(^^)。
6年前 Add Star
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id:gryphon「リキドーは片足タックルもできない」というゴッチの名言は覚えているけど、力道山のほうは少なくとも対木村ではスタンドキープすればいいからね。
ゴッチは「逆に自分は、イージーに力道山をテイクダウンできるよ」と思ってただろうか。歴史は沈黙している・・・6年前 Add Star
通りすがり
素人ですが、カニ挟みであっさり倒せそうな気が・・・関節も、立ち関節や飛び関節が使えそうな。相撲を過小評価してるかもしれませんが。
ムジナ
正直力道山対木村には興味ないんですよね。本気でやったらどっちが勝ったかが問題じゃなくて、だまし討ちしたことが問題なわけで。勝つ自信があったなら余計に性質が悪い話ですな。
ついでに書いときますが、浜中和宏が若翔洋をあっさりテイクダウンしてアームロックとってますね。あと初代ディープメガトントーナメントでキャリア10年ぐらいの引退してそんなに経っていない三段目力士がデブ芸人?だったかと互角の殴り合いしちゃってましたね。正直相撲をMMAで活かそうとしたら十代で関取になった有望株を20代前半で転向させてアメリカの名門ジムで練習させる(もちろん本人のモチベーションが青木ぐらいある)といったありえない条件をクリアする必要がありますな。
9年前
fullkichi1964まあ、通りすがりさんが書かれたみたいなカニばさみみたいな手は確かにあると思います。要は自分が先に地面に体つけていいんなら、テイクダウンの手はいくらでもあるのではないかと。
たとえばタックル。相撲でタックルがあまり使われないのは(まあ足取りみたいなのはありますが、上からはたき込まれたら簡単に自分が手をついちゃうからですよね。逆に言えば、それが許されるんなら簡単にテイクダウンできるんじゃないかと。がぶられたら後ろに回る手もあるわけだし。・・・と書いといて、手の平を返すわけですが(苦笑)。
要は「柔道家は相撲取りをテイクダウン出来るか」という一般論よりも、
「1954年の木村政彦は力道山に勝てたか」という個別の論の方がこの場合重要なんじゃないかと。
要は「年齢差」「体格差」「裸であること」どれも重要な要因ではあるけど、
何より「全盛期の木村政彦からあまりにも体格がかけ離れてしまってる」ことが大きすぎるのでは、と・・・。
「木村政彦は〜」表紙の、もしくは本文148ページの写真を、力道山戦の時の画像と比較してみれば一目瞭然だと思ってしまうのです。
あまりにも、ではないのかと。
逆に言えば、本文148ページの写真はそのくらい凄い。とても170センチ85キロの体格には見えない(遥かに大きく見える)。
この写真の体格を保持していただろう1941年の天覧試合優勝時の怒涛の強さから、どれだけ身を持ち崩してしまっていたのか、と・・・。
少なくとも、「前夜に酒さえ飲んでいなければ」というレベルの問題ではないのでは・・・。
後は、その「41年天覧試合優勝時の映像」が見つかった時に、「全盛時の木村政彦が力道山と戦わば」を考えることが出来るのでは、と。後、ムジナさんが書かれてた「だまし討ちしたことが問題」に触れるならば。
僕は木村政彦という人は「愛すべき豪傑」だと思ってて。
しかし英雄ではない。
英雄にあるべき抜け目なさが無さすぎる。
あたかも三国志における最強の武将・呂布のような。
恩師・牛島辰熊を裏切ってプロ柔道を抜けてプロレスに転じてしまった時の行動などは「無邪気過ぎる裏切り者」呂布のそれに似すぎてるような(苦笑)。
言ってみれば力道山と木村の関係というのは、
「悪辣なる英雄・曹操が、無邪気な豪傑・呂布を謀殺した」ようなものではなかったのかと(苦笑)。
選手としての(武将としての)強さはともかく、二人の間にはそのくらいの器量の差があったように思ってしまうのですよ、実際のところ・・・。長々と駄文、失礼しましたm( )m
9年前
シス体格差やコンディションからの推察は興味ありますが技術的な問題に関しては増田氏は「経験者ゆえの柔道最強幻想」、柳沢氏は「素人ゆえの相撲最強幻想」の影響が強すぎて如何なものかと思いますのでここはDREEPで鈴川と井上康生が(ry
9年前
gryphonいま「DREEP」ってなんだっけ?と考案者のおれが忘れてた(笑)
9年前
tada増田さんのお仲間の松原隆一朗氏も「武道は教育でありうるか」イースト新書のなかで八百長破りのケンカ(嘉納治五郎のいう真剣勝負)で一敗地にまみれたのですから 真剣勝負において劣っています と木村政彦の敗北を実力と斬っていますね。増田さんも「木村なぜ」において すでに 木村のその負けを認めていますから 木村政彦は実力で負けたとの事実が確定していきそうですね。柳澤氏に対する意見としては 力道山と木村のスパーリングについて反証してもらいたかったですね 力道山は立っていられなかったそうじゃないですか 木村のプロレス道場での強さに関する確かな情報が出てくれば 木村はルスカ最強説のように 力道山戦に対しても名誉を回復できると思うんです。
9年前
gryphonああ、ルスカ最強説かあ。彼・・・ルスカの評伝が、柳澤健「1974年のアントニオ猪木」の一章となっているんだっけ。
"柔道伝承"石井vs吉田!だがその前に"早すぎた赤鬼"を知れ(ルスカ伝、柳澤健)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090915#p29年前
mdja柳澤さんが挙げてる「体格差」「年齢(木村の衰え)」「テイクダウンが困難」は増田さんも挙げられてますね。
ただホイス時代の初期の総合で衝撃を受けた一素人の考えとしては、寝技が“全く"できないレスラーと寝技師が戦ったとして、レスラー側に「組ませずにスタンドでKOできる打撃」が無い場合は多少体格差があってもガードポジションで締めなり間接なり取られちゃいそうな気がするんですよね。
力道山の寝技の弱さは当時のプロレスラーからの色々な証言が残ってるくらいだし、木村はスタンドが衰えた後も寝技だけは晩年まで相当強かったらしいですし。
力道山の打撃も増田さんの本では好評価を受けてましたけど、じゃあ「木村を組ませずにスタンドでKOできる」程かって言うとそこまででは無いと思うんですよ。
木村は顔面にノーガードで食らって意識が朦朧とした状態でも胴タックルから組つけてましたから。全くダメージがない木村を組つかせずにKOするのは難しかろうと。実際にガチで寝技に持ち込んだらもレフェリーが止めそうな気もしますけど。
9年前
通りすがり-Xプロ柔道出身で木村政彦とともに米国・ブラジル遠征した山口利夫(柔道六段)は力道山対木村政彦対戦前に以下のように語った。
『木村の寝技は柔道着があって初めて充分に効果が発揮できるもの。柔道着を着た場合と裸では、いくら七段でも三段の実力しかだせないのではないか。木村がこのはハンデをいかに克服するかがカギとなろう。木村は逆をとるか、寝技に相手を持ち込んでフォールを奪うことを狙おう。もっとも相撲出身の力道山は裸で有利ともみられるが、まわしがないため相撲の投げは使えない。しかし体力と腕力を利した空手打ちを持つことは強み。これが決まれば木村は脳震盪を起こして再びマットに立ち上がれないだろう、力道山に七分の利があるとみる。』
通りすがり-Xプロ柔道出身で木村政彦とともに米国・ブラジル遠征した山口利夫(柔道六段)は力道山対木村政彦対戦前に以下のように語った。
『木村の寝技は柔道着があって初めて充分に効果が発揮できるもの。柔道着を着た場合と裸では、いくら七段でも三段の実力しかだせないのではないか。木村がこのはハンデをいかに克服するかがカギとなろう。木村は逆をとるか、寝技に相手を持ち込んでフォールを奪うことを狙おう。もっとも相撲出身の力道山は裸で有利ともみられるが、まわしがないため相撲の投げは使えない。しかし体力と腕力を利した空手打ちを持つことは強み。これが決まれば木村は脳震盪を起こして再びマットに立ち上がれないだろう、力道山に七分の利があるとみる。』
1日前
通りすがり-X力道山が生存中は力道山の秘書のような感じでしたが亡くなってから力道山の悪口を言っていたというようなイメージがあったユセフ・トルコ。それでも彼もGスプリッツのVOL24(平成24年8月5日号)「力道山対木村政彦」特集のインタビューで以下のように答えてました。
もし2人(力道山・木村政彦)が最初からシュートでやっていたらどうなっていたでしょうね?
『やっぱりリキさんが勝ってたよ。もっと早い時間でガチンコでやったら絶対に勝てない。寝技に入ったら別だけどね。』
『でも、柔道家は裸になると寝技に弱いんだよ。はっきり言って俺も経験してんだもん。柔道家は柔道衣を着てるから強いんだから。それは木村も知ってるよ。それなりに寝技に入れるかといったら、入れない。リキさんには相撲の倒されない技術があるから。』
1日前
通りすがり-X『力道山と木村のスパーリングについて反証してもらいたかったですね 力道山は立っていられなかったそうじゃないですか 』
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これについてはいつの話かははっきりしないが力道山対木村政彦戦では直前まで調印などを含め2回しか会っていないのが事実とされているので力道山対木村政彦戦前ではないでしょう。もし、あったとすれば力道山・木村政彦対シャープ兄弟戦の2週間の巡業の時、と言うのが妥当でしょう。
スパーリングはしょせんスパーリング。マススパーリングもありますし、苦手な技を克服するために寝技を受けているケースもありますし、自分の攻撃も100%ではないケースもありますのであまり言っても意味はないでしょう。実際、その頃一緒にいたユセフトルコや山口利夫柔道6段が真剣にやっても力道山が勝つとコメントしてますし。
それから、力道山時代の大相撲は今と違って重量級の格闘家は職業として選択するには大相撲しかなかった時代。なのでこの時代は身体能力に優れた重量級の選手が大相撲に集まっていました。
それに力道山は大相撲は短時間勝負で1分もしない勝負でしたがプロレス転向してス長く戦えるタミナトレーニングはしています。
一方、木村政彦は柔道時代はトレーニングしていましたがプロレス時代は米国遠征時を含め酒を飲んでばかりで体力的衰え、スタミナ不足は否定出来ないでしょう。
自身の著者のわが柔道にも記述していましたが拓大柔道部監督を引き受けるにあたり柔道技も衰えていたので自身を鍛え直しています。力道山戦は拓大柔道部監督を引き受ける以前の話ですがプロレス入り以来、トレーニング不足;酒浸りで衰えていたのは間違いありません。