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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

「千利休の描かれ方の歴史」さらに続報。元祖は海音寺潮五郎? そしてさらにその前史が・・・【創作系譜論】

【創作系譜論】
続報となります。この過去の記事からたどってください。

明智光秀は「常識的、良識的な保守派」というイメージの真偽について(Togetter)
http://togetter.com/li/523680
■歴史上の人物の”パブリック・イメージ”を確立させたフィクション史について〜明智光秀を例に
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130625/p2
■(続報)「美の世界で秀吉と戦った千利休」というパターンの元祖は野上弥生子「秀吉と利休」か
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130627/p3

ちょと長くてすいません(笑)これの、さらに続報・・・になります。
ブックマークに頂いた情報

id:machida77
現在に続く利休イメージの祖というと海音寺潮五郎で、『茶道太閤記』(昭和15年)と『天正女合戦』(昭和11年)がある。
ここが詳しい→ http://www5d.biglobe.ne.jp/~s-yuki/sakuhin09.htm
2013/06/26

実はこれ、最後の「元祖は野上弥生子か」記事を書く前にブクマに頂いた情報だったのだが、1日前だったので見逃してしまったのだ。コメント欄で「草むしり」さんが読み逃しを指摘してくれた。
ただ、逆にこれのおかげで『「○○の元祖」の調査はみんながどんどん情報をあげて、情報を上書き・積み上げていく方式が最適だ』という最高のモデルケースになったので結果オーライな感じも。まあやっぱり専門的な人じゃないとわからん、ということかもしれないけど。

上の紹介リンクから引用

今日では、千利休が「茶の湯」という芸の道を究めた一代の傑人であったことは当たり前の知識として誰もが知っていますが、実は現代日本でこの事実に最初に気づいたのは海音寺潮五郎さん・・・(略)


・・・海音寺潮五郎さん自身が『天正女合戦』で描いた千利休を評した文章が掲載されています。それによると、
  
『わたしがこの作品を書くまで、利休は単なる茶坊主としか見られていなかったのです。利休が茶道という芸術界の巨人であり、それまでなかった新しい美学を創始した天才的英雄であることは、今日では常識になっていますが、それはこの戦後のことで、不思議なことにその以前はなかったのです。この作品はその新しい利休の発見者たる栄光をになっているのであり、それがこの作品のたった一つのとりえでしょう。』
とあります。
(略)
この作品の連載当時には、国民的英雄の豊臣秀吉と一茶坊主千利休を対等の立場で描くとは何事だ!という批判があったそうで、「千利休英雄説」が定着するまでにはそれなりの困難があったようです。 それが今では当たり前に受け入れられる常識的知識になった・・・

うむ!これか!!
・・・そして思うのだが、歴史解釈や人物解釈、あるいは物語、人物造形のパターンを最初に打ち立てたと自負する人は日本的美徳を捨てて、後世のために「僕が元祖だ!!」と堂々、自称していただけると大変ありがたい(笑)。それが自身の過大評価で、前例があったとしても、非常に大きいとっかかりができる。

とりあえず「ちこくちこくと食パンをくわえて登校したヒロインが転校生の(のちの)恋人と道の門でぶつかる」の元祖は名乗り出てほしい(笑)
このときはすでにお約束になっていたわけだからな。


閑話休題
この利休キャラクター問題も、逆に言えば「歴史・人物解釈、キャラクターの元祖探し」の中ではいちばんはっきりと特定できる、典型の問題だったのだなあ。
だが、さらに詳しく調べた方がいて、トラックバックを頂きました。ありがとうございます。

■2013-06-27 千利休の死のイメージ
http://d.hatena.ne.jp/inudaisho/20130627
こういうのを探すのに国立国会図書館デジタル化資料は「ある程度」使えます……まぁ見ていきますか。

大槻磐渓他『補正近古史談. 上卷』三木書店(1898) 元の本は江戸末(1864)

…「好色の秀吉が千利休の娘に目をつけて差しだすように命令したが言うこと聞かなかったので怒り、他の事にカコつけて自殺するよう命じた。利休は慌てずさわがず自殺した」という話・・・
 

野入佐次郎『英雄の側面』 明治33(1900)

・・・天下を統治する上に於てこそ秀吉に譲るものの、利休元より凡俗にあらず、何ぞ一女を餌にして不義の栄華を希はんや  云々と描写が深くなってます。もうこの段階で「秀吉に逆らってまでも自分を通した利休」というのがみえてます。
 
・・・新勢力のための教養として茶道の値打ちがあがってきます。すると自然と千利休の値打ちも上がり、あらゆることに意味がつけたされるようになります。茶道の大衆化にともなう一種の宗教化・・・
 

星野天知『破蓮集』矢島誠進堂 明治33(1900)

……この段階で俗人秀吉が雅人利休を最後の手段で抹殺した、みたいな発想がでてきて・・・そのアイデアが発酵されたものをさがすとこんなのがあります。
 

室生犀星芭蕉襍記』三笠書房 昭和17(1942)

利休はある意味での英雄で、また時代といふものをよくのみ込んだ男らしい。内心ではいつもさびしく暮し、殿中からかへると・・・

読みながら、モニターの前で足を踏み鳴らしたくなるような知的興奮・・・(※実は実際にちょっと踏み鳴らした)。岩の塊がたがねで彫られて、徐々に、徐々に、彫刻が姿を現すように、文学者がリレーしていって造形した利休vs秀吉。それが史実かフィクションに近いものかという議論とはもう既に別物として、われわれの財産になっている。

そしてそのバトンは、今も引き継がれ・・・

市川海老蔵・主演最新作『利休にたずねよ

映画公式サイト
http://www.rikyu-movie.jp/

海音寺潮五郎について コメント欄より

id;fullkichi1964 2013/06/30 02:04
ああ、海音寺さん!!「茶道太閤記」は題名は思い当たってたのですが、何せ読んでないものだから(苦笑)。これ全集には入ってるはずなのですが、独立したものとしては復刊されてないんですねえ。何とか文庫化してほしいものなのですが。
大河ドラマ天と地と」「風と雲と虹と」の作者でありかつては司馬さんの先輩格として並び称されていた海音寺さんですが、没後37年を経、司馬さんに比べ取り上げられることが少ないのは寂しい限りですなあ・・・。
と言ってたら、昨年出てました(苦笑)。

新装版 茶道太閤記 (文春文庫)

新装版 茶道太閤記 (文春文庫)

「茶道太閤記」に対し「大英雄秀吉と一介の茶人利休を対比させるなどけしからん!」と噛みついたのが何とあの「中野正剛」であるところが面白いです(^^)。
http://kobayashit.iza.ne.jp/blog/entry/117098/

中野正剛に、「国民的英雄である太閤秀吉と一介の茶坊主を対等に描くとはけしからん!」と激怒させ、中野自身に「豊臣秀吉」伝をかかせる引き金になったほど物議をかもしました。
さらに、ちょうど大陸進出が勢いづいていた時代でもあり、当局からの再三再四の抗議をはねかえし、作中で家康が利休に依頼して、秀吉の大陸侵略を批判させたことで、無理やり連載を打ち切られました。


gryphon 2013/06/30 04:25
あと13年すれば、青空文庫で再評価されるんだろうけど(笑)、もっと研究書とか伝記とかあってもいいですね。司馬遼太郎にとっては彼が手塚治虫的存在だったわけだし。
そして中野正剛か!「西のレーニン」も東条批判も割腹自殺も、ひとつひとつの善悪でみるとあっちいったりこっちいったり、に見えるけど、その強烈な個性を見ると一貫している、というタイプなんだよなあ。

 





たとえば「ガッチャマン」的チームの個性化は、何が元祖か(どう変遷したか)?

twitter上で画像が流れたいまふうガッチャマン(ほんとにリメイクされるらしい)
。「なんでも現代化するなー。まぁおどろかねーけど」と、さすがに多少慣れて、動じる寸前でふみとどままったが
http://www.ntv.co.jp/GATCHAMAN_Crowds/

で、かつて有名ブログ「漫棚通信」が「ガッチャマン」を軸に面白い考察をしていました。

■ヒーロー・チームは何人?(1〜3)
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2004/11/post_3.html
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2004/11/post_4.html
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2004/11/post_5.html

「その1」から実におもしろいので、ちょっと長めになるけど引用抜粋。

過去わたしがもっとも好きだったTVアニメは「ガンバの冒険」でした。1975年作品で……原作は斎藤淳夫の児童文学「冒険者たち ガンバと十五匹の仲間」で……アニメはヒーロー・チームを16匹から7匹に整理しました…
元ネタは映画「七人の侍」で……
 「ガンバの冒険」のキャラクター書き込みは、連続TVアニメだからこそ可能でした。元祖「七人の侍」よりよくできてます。「七人の侍」では三船敏郎の乱暴者・菊千代、木村功の若い勝四郎、宮口精二の剣の達人・久蔵、リーダーの勘兵衛はいいとして、残りの地味な3人は整理してひとりにすることも可能…
(略)
 石森章太郎サイボーグ009」(1964年)も…このヒーロー・チームも人数多すぎ……すべて2人ずつキャラかぶってますから、もっと少なくてよかった。…「レインボー戦隊ロビン」(1966年)は…少し整理されてきました。博士役でかつお笑い担当というふうに兼務も始めてます。
 「ウルトラマン」(1966年)の科学特捜隊も・・・

そして(その2)では

ガッチャマンの5人は(1)熱血主人公・健(2)クールなライバル・ジョー(3)ヒロイン・ジュン(4)力持ち・竜(5)少年・甚平で構成されています。

 ヒロインはチーム外でなくチーム内にいます。お笑い担当は力持ちと少年のふたり……今回、他のメンバーより若い甚平が参加しています。若いということは、未熟であり、トラブルメイカー、コメディリリーフ、けなげな行動、守られる対象など、いろんなシチュエーションを設定する事が可能です。これはオトクなキャラクターでした。そして決定的なのはジョーの存在・・・(後略)

さあ、このようなチーム・キャラクターの整理編纂の末に何が待っているのか?
そして元祖は水滸伝か?仮名手本忠臣蔵か??

これはあれだな、博物学のかつての王道で、天皇家も学者としてかかわる「分類学」になっていくかも、かもだな。
「利休イメージ」の変遷も、「ヒーロー・チームの編成」の変化も、少なくとも自分は同じものとして考えたり調べたりするのが楽しい。
ただ一番楽しいのは、ラクして他人が調べた結果を読むことなので、そういうのがもっとあってほしいのです(笑)。

そういえば、歴史学のイメージ変遷を追った本もあった。

近代日本の始まりは、ペリー来航ではなく、かつては天保の改革とされていた。高度成長期の公害問題が起こるまで、田中正造は忘れられた存在だった―。歴史は、新史料発見・新解釈により常に書き替えられる。特に近現代史は、時々の政治・社会状況の影響を受けてきた。本書は、マルクス主義の影響下にあった社会経済史をはじめ、民衆史、社会史という三つの流れから、近現代の歴史がどのように描かれ、修正されてきたかを辿る。

ただ、実際に読んでみたけど、たとえば田中正造の記述はほんの数ページで・・・語り口がもっと人を驚かせるような、興味を引くようなものにもっと出来たと思う。少々不満なデキでした。


自分のこの書き記事も関連していると気づいたのでリンクを貼った

だれかが確立したキャラクターや世界観が、
どのように共有されていくか、という話なんで・・・

相原コージのゾンビ漫画「Z」などから「設定共有の上でのオリジナル性」を考えたりしてみる。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130522/p4