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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

「むかし怪獣、いま怪人」―。異能の男、佐野真一(「ハシシタ」著者)の栄光と挫折。

http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20121019-1034858.html

週刊朝日が橋下市長の連載中止
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  朝日新聞出版は19日夜、日本維新の会代表の橋下徹大阪市長の出自を題材にした「週刊朝日」の連載記事について、2回目からの掲載を中止すると発表した。
(略)
 河畠大四編集長は打ち切りの理由について「同和地区などに関する不適切な記述が複数あり、このまま連載の継続はできないとの最終判断に至った」との談話を発表。朝日新聞出版の親会社である朝日新聞社も19日夜、「橋下大阪市長をはじめ、多くの方々にご迷惑をおかけしたことを深刻に受け止めています」との謝罪コメントを出した。

 執筆者の佐野氏は朝日新聞出版を通じて「記事中で同和地区を特定したことなど、配慮を欠く部分があったことについては遺憾の意を表します」と述べた。


実際のところをいうと、個人的にはこれが社会問題になって「そうなの?ちょっと読んでみるかな」と思ってうちの近所の書店を回ったら、あっという間に地を払って週刊朝日が売り切れていたよ(小沢一郎夫人書簡とAKB48スクープのダブル掲載だった週刊文春以来だ・・・)。だからまだこの、1回で終わってしまうか他紙に移るかの「ハシシタ」は読んでいないし、該当部分も見ていない。


ただ、これに関連して猪瀬直樹氏が連続ツイートしていた。

猪瀬直樹 ‏@inosenaoki
1985年11月号月刊『現代』「池田大作『野望の軌跡』」(佐野眞一)は1981年三一書房刊『池田大作ドキュメントー堕ちた庶民の神』(溝口淳著)からの盗用が10数箇所もあり、翌月『現代』12月号に「お詫びと訂正」があります。このときから品性に疑問をもち付き合いをやめました。
1990年文藝春秋刊『紙の中の黙示録』(佐野眞一著)の38P〜43Pは1988年文藝春秋刊『新東洋事情』(深田祐介著)の70P〜73P(文庫版)と瓜二つで大宅賞選考委員だった深田氏は「なぜこんな本を候補作にしたのだ」と怒った。業界が甘やかして何でもありをつくった反省も必要
編集者は担当したことが恥じで表に出さない。河岸を変えればわからないと犯罪が繰り返される。RT @tazakikenta 有名な話、最近の編集者は知らない RT @inosenaoki 『紙の中の黙示録』(佐野眞一著)38P〜43P『新東洋事情』(深田祐介著)70P〜73P
1993年講談社刊『日本のゴミ』(佐野眞一著)359Pは1987年PHP刊『ドキュメント東京のおそうじ』(山根一眞著)131,132Pから盗用、タイトルが似てるだけでなく目次もそっくり。著者が悲憤慷慨して電話してきた。編集者は触れたくない、裁判コストもたいへんだしね。
週刊朝日との共同作品」佐野眞一言い訳コメント。作家としてそれはおかしい。記者を取材で使っても責任は筆者が負う。取材協力者が明記されてもデータ原稿を渡すのみ、単行本あとがきでの謝辞が通常。作品だからね。雑誌掲載権は編集長、およびタイトルは相談のうえで合意が通常。
月刊『現代』1985年11月号盗作事件で平謝りからすぐ『新潮45』1986年9月号「ドキュメント『欲望』という名の架橋」(佐野眞一)は、『創』1986年6月号「東京湾横断道路の大魔術」(佐野良衛)「川崎に扇島…」以下まる写し箇所。半年後に再犯、もう付き合えないと思った。

ああ、こういうことには嗅覚が鋭いJ-CASTニュースがはやくも記事にしてる(笑)
http://www.j-cast.com/2012/10/19150778.html?p=all
上のうち一部は、J-CASTの判定では盗用かどうか「微妙」だという。


上の話全体も、今までまったく秘密だったとかそういう話ではない。実は猪瀬直樹氏と佐高信氏の論争の中で以前、佐高氏が「猪瀬は佐野への嫉妬でノンフィクション賞の受賞を妨害しようとした」と批判、猪瀬氏がそれに応じて「こういう問題があったのだ」と示したことがあり、その関係で自分も部分的に知っていたのだ。(その後、佐高氏も「あの猪瀬に突っつかれるような盗作騒動を起こした」というカタチで批判側にちゃっかり回っている(笑)http://www.jade.dti.ne.jp/~aerie/sataka.htmlの98年10月の項参照)
 

あとひとつ、これは珍しく自分が直接・・・じゃないな間に1人を挟んで、佐野氏の仕事を知る人からの評を伝聞で聞いたのだが、・・・使っているスタッフ、データマン(それの使用には全く問題ない)の集めた記録を、アンカーマンとして文章にするときの忠実性について、その人は首をかしげることもあった、と聞く。まあ、これはあくまで伝聞で、どんな事例かは分からない。
 
もちろん、それと同時に(別の問題を指摘されてはいるが)ひとりの冤罪受刑者を無実の牢獄から救い出すために大いに力となったであろう

東電OL殺人事件 (新潮文庫)

東電OL殺人事件 (新潮文庫)

をはじめ、とにかく迫力ある筆への評価は高い。
個人的には中内功の「カリスマ」、石原慎太郎の「てっぺん野郎」(文庫では改題)が面白かった。
誰も書けなかった石原慎太郎 (講談社文庫)

誰も書けなかった石原慎太郎 (講談社文庫)

「怪獣大百科」作りに取り組んだ日々を、回想する佐野氏

ただ・・・
ここでほんの少し前・・・たしか8月すぎくらいだったと思うが
週刊現代(だったかな?)で佐野氏が青春の思い出を書いた一文がある。氏が担当していたリレー書評の最終回か。

私の「処女作」を枕として使う酔狂を、お許しいただきたい--。この本を――本といっても、ゴジラからガメラウルトラマンから仮面ライダーまでの怪獣怪人をポスター大のシートに網羅し、それを折りたたんでケースに入れただけの代物だが・・・手に取るのは、実に41年ぶりである。タイトルも『原色怪獣怪人大百科』と、思い切りキッチュである。私が最初に編集したこの文庫サイズの怪獣図鑑は、当時120万部を超すベストセラーになった。自信を持って言うが、私がこの本を越えるベストセラーを出すことは、絶対にないだろう。
(略)
新宿・大窪通りの裏側の連れ込み旅館を借り切り、この本の編集作業を突貫工事で行った20代の頃のことを、60年代の懐かしさをこめて話した(※後述)。

薄暗い部屋の畳の上に怪獣の写真を撒き散らし「レッドキングの得意技は飛び蹴り」「バルタン星人のとくい技は空手チョップ」などどウソ八百を書き並べていると、隣の部屋から男女の喘ぎ声が筒抜けに漏れてくるんだから、バカバカしくてやっていられなかった。
 
この本を作った最大の功労者は、なんと言っても円谷プロ竹内博君だ。竹内君は後に”怪獣博士”の異名をとったが、当時はまだ17歳の少年写真だった。
怪獣の足跡を墨でつけようというアイデアも、竹内君からだった。でも真剣な気持ちにはなれず、酒を一杯ひっかけながら、足跡の墨塗りをしていると竹内君からこんな叱声がとんだ。
「佐野さん、もっとマジメにやってください。この足跡にはちっとも”重み”がないじゃないですか」
思わずハッとした。あなたは斜に構えて仕事をしているかもしれないが、子供たちは小銭を握り締めてこれを買いに来るんですよ。そう言われたような気がした。
その竹内君も去年、55歳の若さで亡くなってしまった。
本当に惜しい才能だったね・・・
概ねこんな話をした。

なかなかいい話であった。41年前、まだ心からサブカル関連の執筆仕事を楽しんで、やりがいを感じてやっているライターや編集者はごく少なく、他に豊かな才能や興味の方向を持ちながら、「カネのため」と割り切ってこういう仕事を手がける佐野氏の様な人が多かったろう。しかし当時17歳の少年社員に、それを「楽しむ」芽は育ちつつあった・・・その二つの才能が、邂逅したからこそ、120万部のミリオンセラーが生まれたのかもしれない。

ケイブンシャの歴史」を描いた本の取材が進んでいる。

上の文章は、こういうことを経緯に書かれた。

(この大百科は)先日私の仕事場に取材にこられた黒沢哲哉さんという方からプレゼントされたものである。彼は・・・版元のケイブンシャの元社員で・・・ケイブンシャをテーマにしたサブカルの本を出したい。

ということで佐野氏を取材し、この百科の思い出話を語ってもらったのだという。
その本自体には期待が大きい。自分も「怪獣怪人大百科」には、極めて大きい学恩(?)がある。身長40メートルの怪獣が、どう考えても駐車場のウラにて撮影したような背景で写っている(笑)ことも含めて懐かしく、いとおしい。

今回の事件が、このケイブンシャサブカル本の発売に影響は与えないと思うが・・・・


佐野氏の最後の〆が、今では意味深になってしまった。

佐野氏はこの、黒沢哲哉という奇妙な訪問者、取材者に請われ、最後に一枚の色紙をしたためる。それが記事のタイトルにうたった

「むかし怪獣、いま怪人」

である。この意味を、佐野氏は語る。

それは私が、古くは正力松太郎中内功、新しいところでは孫正義木嶋佳苗を、『原色怪獣怪人大百科』の人間版のつもりで書いてきたからである。


・・・・・・。
 
率直に言います、この8月に読んだ記事を、この事件が起きるまで記事にしなかったのは単に自分の怠慢。記事切抜きを「いつか書くファイル」の中に放り込み続けていたというだけである。
 
で、今回の連載中止事件が起きる前だったら、佐野氏の最後の結語を「あははは、うまいこという。確かに貴方のノンフィクション本は『怪人大百科』だよ、あっぱれあっぱれ」と拍手喝采込みで紹介したと思う。


しかし、今回の結果から逆算するなら・・・佐野氏のこのスタンスには、今回の挫折にいたる何かの危うさ、があったのだろうか。