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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

中国要人に日本のスパイがハニートラップを仕掛けた話(熱田神宮伝説)

https://twitter.com/hatiko_0118/status/228099012664889344

ハチ子 ‏@hatiko_0118

しかし「玄宗皇帝やばい!日本に攻めてくるかも!何とかしなきゃ!」と八百万の神が相談した結果「よし...俺が女装してあいつの気を引きつけてくるよ!」「お、お前は熱田大神!」→これがかの有名な楊貴妃である、て話はすごいね。女装も辞さない神様すごいね。

なんのことやろ、と検索したら・・・
http://www.rinku.zaq.ne.jp/bkcwx505/Nohpage/NohSenryu/Nohsen07Yokihi/NohSenryu07.html

学習研究社「神社紀行・熱田神宮」によると、楊貴妃は実は熱田大神の化身であったという伝説は、鎌倉時代からあったようです。また熱田を蓬莱(中国の伝説にある東の海上にあり神仙が住む霊山)とする考え方も古くからあったようです。
 唐の玄宗皇帝が日本を侵そうとしたとき、これを知った日本の八百万の神々が協議し、熱田大神楊貴妃に化して唐に赴くこととなった。玄宗は貴妃に心を奪われ政治も疎かとなり、日本侵略どころではなくなる。そこへ安禄山の乱が勃発し貴妃は殺されるが、もとの熱田大神に戻り熱田神宮に帰還した、という。

 玉藻は天竺、唐土から日本に渡り、鳥羽天皇を悩ませましたが、こちらからは熱田明神が楊貴妃となって、玄宗皇帝を悩ませた。これでやっと頭初の句の謎が解けました。
 以下も同様の趣旨の句であります。

 やまとことばはおくびにも貴妃出さず (十九・2)
 日本にはかまいなさるなと貴妃はいひ (二十・25)
 三千の一は日本のまわしもの (柳筥二・24)

 いずれも、熱田明神が楊貴妃に化して玄宗に近づいたことを詠んだものです。3句目「三千の一」は、長恨歌

  後宮佳麗三千人   後宮の佳麗 三千人
  三千寵愛在一身   三千の寵愛 一身に在り

うしおととら」にはこの伝説は反映されてない(笑)。すると那須野が原殺生石は、熱田神宮の管理下にあるべきなのかのう。
てか熱田神宮、おととい行ったばかりだよ!!

■名古屋―東京間を鈍行列車で旅しながら、どれぐらいのことができるかやってみた。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120725/p2

ちなみに、さすがにストーリーがアレすぎたためか、公式の神社の解説には書いてなかったっぽい(笑) (※朝早く行き過ぎて美術館や資料館が開いていなかったので、断定はできない。そっちでは解説されてるかも)



で、時代的に唐の日本侵攻、とかといえば白村江の戦いとかが絡んでいるかといえば、時代的にはからんでないし。まあ「唐」の象徴としては時代を少しずらしても有名人がほしいところだろう・・・と思ったが、
玄宗の生涯は685年9月8日 - 762年5月3日、即位が712年。
白村江の戦いは663年。
玄宗皇帝が楊貴妃におぼれた理由のひとつが、自らの善政(開元の治)によって天下があまりにも泰平すぎたということがあるから、暇をもてあました絶対君主は酒や女じゃなければ無用の外征、領土拡大をしたがるという一般論からいえば、玄宗皇帝ヤバス、という日本のあせり、というのはあながち荒唐無稽とはいえないかもしれないな。

玄宗皇帝ちょっといい話

女にかまけて堕落してからも、往年の名君の片鱗はのぞかせていた・・・というのが、かえって痛ましい。

ウィキペディアの「玄宗皇帝」

前半の善政と後半の堕落。玄宗の功罪をどう評価するかは難しい。節度使が唐だけではなく五代十国時代まで戦乱の原因になったことを考えると、さらに評価は分かれる。ただし、堕落した後半生でも、民へのいたわりを見せていた。長安から蜀へ避難する際、宝物庫を焼き払おうとする楊国忠に「賊が宝物を得られなければ、今度は民への略奪が激しくなる」と言って制止した。また渭水にかかる便橋(長安城西北にある。西渭橋・咸陽橋ともいう)を渡った際、賊の追撃を防ぐために楊国忠が橋を焼き払おうとしたが、「後から逃げようとする士庶たちの路を絶つな」と言って制止させている(『旧唐書』『資治通鑑』より)。