2020年の漢字は「密」でしたか、はいはい。さて……
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過去の記事を恒例再掲載します。もとは2012年の記事。
http://www.kanken.or.jp/years_kanji/
「今年の漢字」とは
一年を振り返り世相を表現する漢字一字を考えることで、皆様に漢字の持つ奥深い意義を再認識していただきたいと考え、1995年から毎年実施している行事です。
毎年年末に、全国からその年の世相を表す漢字一字を募集し、最も応募数の多かった漢字を12月12日の「漢字の日」にちなんで12月中旬に、京都・清水寺の森清範貫主に大きく揮毫していただきます。そして、一年の出来事を清めるとともに、新年が明るい年になることを願い清水寺に奉納する儀式を行います。
当協会は、本年も「今年の漢字」を実施できることに感謝するとともに、「今年の漢字」を通じてより多くの方に漢字の素晴らしさを伝え、漢字への興味・関心を喚起し、日本語や漢字文化の継承・普及に努めてまいりたいと考えております。
この賞自体は、ひとつの遊びとしては面白いし、別にいいんじゃないかと思う。1995年から開始して、毎年テレビ新聞を含めたメディアの話題、権威となっていく「賞の立身出世物語」としても、近年有数の出世ぶりだ。
さて、こんな本がある・・・
- 作者:高島 俊男
- メディア: 単行本
高島氏はいう。
漢字検定とはどういうものなのか・・・「日本漢字能力検定協会」というアヤシゲな団体がやっている・・・ところがこのアヤシゲな団体のアヤシゲな検定が、平成4年に文部省認定の資格になり、いまでは大学や短大の入学試験につかわれている、つまり公教育の一角にくいこんでいるのだそうだ。
このあと、正字と簡略字に関する矛盾姿勢を指摘したのちに、実際に高島氏は同協会の問題集を見ることになる。
・・・あきれかえるほどのひどい問題ぞろいで、問題を作った人の程度がよくわかる。ついでに、こんな愚問ぞろいの検定試験を受けてできたのできなかったのと一喜一憂している人の程度の低さもわかる。・・・ただのパズルである。実用的意義はまったくない。こんなものができても、美しく端正な日本語の文章を書くために何の役にも立たない。かえって、ヘンテコリンな文章を書いて失笑されるのがオチだろう。
ひどい言い様だ(笑)
どんなふうにダメかの例について、
http://sanjuro.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-29f8.html
でも紹介されているが、孫引きしよう。
どういうばかばかしい問題が出るのか、一つ例をごらんに入れよう。
「列車が方に出発するところだった。」
この傍線部分にふりがなをつけよというのである。
漢文に「方」が出てくれば、前後の文脈によって「マサニ」と訓読するばあいがある。しかし日本語の現代口語文で、「列車がまさに出発するところ」を「方に出発するところ」と書くことはない。言葉にも文字にも使いどころというものがある。これではムチャクチャである。
そして名探偵高島、「この列車が方(まさ)に出発するところだった」という一文が、広辞苑の「まさに」の用例であることを突き止め、しかもそちらでは「正に」の表記であったと暴く。
しかし「まさにこれから…しようとしている」という「まさに」をどうしても漢字で書くなら、むしろ「将に」である。その語感というのは・・・中国語の語感である・・・もし漢文脈の文語文だとすれば、の話である。・・・あまり感心はしない。「まさに」とかなで書くのが一番よい。
こんなバカな検定試験を受けて、「まさに」は漢字で「方に」と書くのが高級なんだと思い込んで(略)書いたらバカじゃなかろかと人に笑われるだけだよ。
高島さん、容赦ねえっス。
つくづく感じるのは、漢字検定の問題の作者には、言葉のレベルの感覚がまるでないことである。文字や言葉というものは、その前後の環境の中で出てくるものである。小学生でもわかるごくやさしい文章の中に、ふつうの現代文には出てくるはずのない言葉や文字が突如として出てはおかしい。いや、おかしいどころか、そもそもそんなことはありえない。
ところが漢字検定の問題には、言葉のバランスを失した文章がぞろぞろ出てくる。そればかりだと言ってもよい。
「くまのプーさん」や「よつばと!」にはそういえば、子供が耳で覚えた難しい単語や言い回しが突然出てくるというギャグがあったな。(私もそのギャグは結構使う。)
そういう例を何例も、高島氏は挙げているが略す。
そして、とどめというか最後の一撃で、高島氏は検定試験の明白な間違いを指摘する。
(略)・・・ついでに、問題作成者の無知を示す、はっきりしたまちがいの例をあげておこう。
「法師、諱は玄奘という。」
いみな。ある人の死後にその人の本名を言う必要があった場合、それを「諱」と言う。ふつう、死んだ後にその人の本名を言うことは忌むべきことなので、日本ではこれを忌む名、「いみな」と言う・・・(略)
とにかく、諱というのは本名である。僧侶であれば、僧になる前の名である。(略)…玄奘は中国唐代の僧侶である。いわゆる三蔵法師である。この人の僧侶としての名前、法号が「玄奘」なのである。(略)・・・僧侶の法号(坊主としての名前)を「諱」と言うことは絶対にない。
つまりこの問題出題者は「諱」ということばの意味を知らないでこの字を問題として出しているのだからお話にならぬ。(略)とにかく出題者として無知の極み、救いようがない。
このあとも「奇妙な訓」「けったいな字」「文章全体がおかしい」「まったく無用無意味」と相次いで指摘しているが、引用者が疲れましたんで略します。
そして氏は、こう締めくくる。
漢字検定はただのパズルである。それも実用的学術的意味があるかのようによそおっているだけにタチのわるいパズルである。
こんなパズルを文部科学省が、何か学術的意義があるかと思って社会にむかって推薦しているのだとすれば、その見識が問われる。
さいわい主催者の協会がぼろもうけした金を何かウサンくさい方面に使って問題になっているという(※この文章は2009年4月に書かれた)。文部科学省はこれを機に、推薦をとりやめるのが至当であろう。
高島氏の文章で紹介したいと思うものは別にあって積み残しているんだけど、こっちを優先させて紹介しました。
こういう目でぜひ、「今年の漢字」主催者と、その能力試験を生暖かく見守ってください。