植木等さんの「お呼びでない」は付き人時代の小松政夫さんが間違えて出番を伝えたことで生まれたギャグ。と言われてたけど小松さんご自身は「そんなヘマはしない。そうやって僕の名前を売ってくれた」と。好きな話。真偽はどちらでもいい。
— 古沢良太 Ryota Kosawa (@kosawaryota) December 11, 2020
付き人時代植木さんについて蕎麦屋へ行き、小松さんはかけそばを頼み、植木さんはてんぷらそばとかつ丼を頼み、スターはよく食うんだと思ってたら「医者に油止められてるの忘れてた。すまないが両方食ってくれ」と差し出されたと泣きながら話されてたのも感動した。
— 古沢良太 Ryota Kosawa (@kosawaryota) 2020年12月11日
ちなみに徹子の部屋だったかと。お仕事する機会には恵まれなかった。前略おふくろ様をまた見ようかな。
— 古沢良太 Ryota Kosawa (@kosawaryota) 2020年12月11日
ん?あとから気づいたがこのツイート脚本家の古沢良太氏ではないか
この記事で阿川佐和子と対談してた人だ。
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プロフィル見たら、つい最近、とあるお仕事作品の悪口書いたばかりで決まりが悪いな、某寄生獣映画版だ(笑)
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だが、「キサラギ」はその出来栄えに劇場で感嘆の声を上げ、オールタイムベストテンの2位に挙げてるほどだ。
人間、あいての名前を見ずに作品や言論それ自体を評した方がいいのかもしれぬ…
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閑話休題
小松の親分さんの、付き人時代の逸話は、数年前にドラマになったね。
このシーンも、そのとき映像になったっけ
ある日、クルマを運転中に後部座席の植木から、「おい、松崎。お前、明日からウチに迎えに来なくていいから」と言われた。クビかと思ってビックリしますよね。
知らないうちにオヤジさんは、渡辺プロダクションと話し合って、タレントとして私と契約をする段取りを取っていてくれてたんです。ハンドルを握り締めて泣きました。しばらく動けないでいたら、オヤジさんに「まあ、急ぐわけじゃないけど、そろそろ行こうか」って言われてね。
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その十数年後の話かな。
オヤジさんのところに行くとき、こっちは弟子ですから、運転手付きのクルマで玄関まで乗りつけるわけにはいかない。門からちょっと離れたところで待ってろって言って、ひとりで来たような顔で訪ねる。「飲んでくか」「いや、今日はクルマなんで」「うそつけ。運転手がいるくせに」って、お盆にコーヒーとお菓子を載せて、自分で運転手のところに持っていくんです。「小松が世話になるな」って言って。
今から思えば最晩年に、社会にこんなことを示して、旅立った。
昨年、東京・池袋で高齢者の車が暴走し、母子が死亡した事故に衝撃を受けた。普段から「急ぐ時には運転してはいけない」が口癖で注意を払っていて、来年の更新時での返納を考えていたという。しかし、自身の事故で前倒しを決めた。
「私の人生は車とともに歩んできました」。車のセールスマンに始まり、「親父(おやじ)さん」と慕う大スター植木等の付き人兼運転手として芸能界入りした。「今の私があるのも車のおかげ」としみじみ語り、年齢も植木が他界した八十歳に近づき「これも区切りの時かも」と静かに決意した。
事故後、ファンや知り合いから「また事故を起こしたら、小松さんの芸や舞台、ドラマを見られなくなる」「タクシー代の方が安いよ」と気遣いつつ返納を促す声が多数寄せられたことも背中を押した。「ありがたいこと。高齢者の事故が増えている中、どきどきしながら運転して楽しいでしょうか」と問い掛ける。
「一つだけ言わせて」と小松は真剣な表情を見せた。「車がないと生活できない地域もある。免許を返上して生活に困るようではダメ。代替の交通手段にも配慮してほしい」と訴えた。
別れを告げたカーライフだが、ちょっと心残りも。「妻と思い出の多い伊豆半島をドライブしたかった…」。一瞬、感傷に浸った。
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なんだっけかな、やはり昔のバラエティ番組で、友人だか付き人かを売り出すために、別に必然性もないが「〇〇をする役」を設置し、その位置にその人を抜擢して首尾よく売れた…という話があったはずだが。
立川談志が笑点立ち上げの時、毒蝮三太夫に座布団運びをやらせたって話かもしれない。
笑点
2代目座布団運び。本名の石井伊吉で出演するも、「ウルトラ警備隊隊員が座布団運びをしているのは変」という子供達からのクレームが日本テレビだけでなくTBSにも殺到したため、途中から毒蝮三太夫に改名し演じ分けることになった(前述)[6]。
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