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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

ごみばこ その5

数日こちらの用事で空いてしまい失礼。
ひとごとながら「タイトルのしばりが、ネタ切れになりそう」と心配していた(宝島の引用暴露本とか「パイプのけむり」みたいに)が、引用ジャンルが拡がれば問題ないか。




では本題に。今回は2エントリーある。
まず
http://d.hatena.ne.jp/memo8/20130405/p1
「主観だと示してるか、してないか」という話では「と思う」「と感じる」的なことを書いてあればOKなんだって。

>「欠陥」を使う文章を随分とたくさん出している。まずは短文が列挙。けど、これは前後の文脈見ないと分からない
んなこと無いって。
前も後ろもない、これを普通にツイートされた、twitterでの1ツイートだと思って判断してみなさいよ。今回と同じように。
しかも「他のツイートでは表現が違う、謙虚な書き方してるのに」って。さすがにそれは無茶な理屈だろう(笑)。てか主観を示す表現が「別のところにはある」ことで、何かが示されるの?せいぜい、表現が幅広ければ広いほど「・・・は俺の知ってる・・・じゃない」があほらしい、ということの証明ぐらいにはなるだろうけど。



>まあね、ツイッターは140字という制限があるからね。上記なんて、ぴったり140字。主観なんだが、それを表明する余裕がなかった。うんうん。きっとそうなんだ

実際に書いた記録として残しておくと、勿論自然に書いてそのまま140字ちょうどとなることは滅多にない。正確な記憶は無いが元の文章を縮めて縮めてこの表現にしたというのはその通り、そして文章を縮めるとき、これはたぶん私だけでなく一般的にやる人が多いだろうけど、いわゆる”I think ””I feel”に相当する部分は削る優先順位が高い。


で、これで関連して面白いのは
http://d.hatena.ne.jp/memo8/20130329/p1
での、(主観)を括弧でくくってわざわざ文章の末尾につけている表現手法。
本人としてはここでは冗談、ギャグ表現のつもりだったわけだろうけど、実はこれ・・・『一般的な文章では、「○○○と自分は主観的に思っていますよ。異論は認める」というのと「○○○なことはだれにとっても正しい、普遍的な事実。異論はみとめない」という区分けを普通は、いちいち表現中に盛り込むとは限らないよね』、ということを実は反対方向から、この上ない形で示しているんだよね(これにかっこをつけるなら「主観」か「客観か」(笑))。ありがたい話だ。
まあ、過去も未来も、twitterでもブログでも、自分は主観と客観を分け前者には「・・・と思う、感じる」とぜんぶつけていた、という人がいたらその文章を読んでみたいものだ。たぶん該当者はメモ氏を含めあまりいないだろうし、全然参考にするつもりはないが。


ただギャグか本気かはともかく
>おれがそう思うんだから間違いない
という話なんだから、そういうもんだと思えばいいだけか。


てか、主観的な判断だと分かればいいのであれば、twitterのDM通知機能の話は「〜ればいいのに」と、願望であることがはっきり書かれているんだから無実の冤罪、無罪放免・・・とちゃうかね。




そして次。

http://d.hatena.ne.jp/memo8/20130406/p1

>おれに「論」だ「議論」というんだが、それは議論という言葉より、ディベートという言葉からイメージされるような、つまり、とにかく言い負かしゲーム的な揚げ足の取り合いを指している気がする
感情的な罵詈雑言のみの文を控えるように、というのが一番メインの意味です。今回はだいぶ抑え気味でいいと思うよ。



で、はじめに「文章を削られた」との文句が出てるが、略したのは普通に、引用をすっきりさせるため。(下段パラグラフは短いのに略したというが、そもそも両パラグラフはひとつながりであることにも注意))
というか下で書く話になるけど、アプリを使う(自分の実務的解決)の話と、公式への要望の違いが分かると、引用部分の選択の意味がそのまま分かる。

では始めよう。


>出発点は、グリフォン様の不便であったにも関わらず、グリフォン様の関心は、その解決ではなく、実現の可能性は極めて低いオフィシャルへの要望に完全に切り替わってしまって

はー。
これ、下のテーマで詳しく述べるが、けっこう重要な部分、といえるかもしれない。
まずね、
まことに申し訳ないが、結局DMについて2013年4月9日時点での個人的な解決手法は「毎日DM欄を見るようにした」だ(笑)。一応、それで現状は解決してる。火打石どころか、木の棒をまわして火をつけるようなもんだな。

そりゃそうだ、多くの不便や危険は実際のところ、なんだかんだとこういう「ひと手間」「ひと注意」によって解決する。だからtwitterの表示機能についても、タブ削除ボタンの表示機能にしても、要望をネットで書いて、それが公式の開発者に伝わって、、実現するか・・・とは別問題として、実務的にはそうやって解決。
それは「現行はてブのデザイン見づれーよ!」論者も「くそっ、USBは上下間違えちゃうよ!」「ちくしょー!アクセルとブレーキ間違えて塀にぶつかっちゃったよ!」な人もそうだと思うが。そして皆、それとは<別に>、デザイン(公式)への要望、意見、批判を書いているんじゃないかね(その文章に「・・・と思う」「と感じる」という主観的表現がどのぐらいの割合で使われているかは知らない)。
だから他の人には(一番の理由は議論の手間をかけるほどでもないマイナーなトピックだったってことが大きいんだが)ほんの一、二のやりとりでおしまい。



そしてそもそも、twitterでもグーグルクロームでも、「実現の可能性が極めて低いオフィシャルへの要望」に途中で切り替わったでもなんでもなく、まず最初に書いた時点から実現可能性は低いじゃろ(笑)。
そして自分の問題の実務的(個人的)解決はまた別問題で「DM欄を何度も見るようにしました」はそれはそれでいい解決法じゃろ(笑)。
(この例だと、まさに「デザインへの要望や意見はまた別物だ」ということもわかりやすいな)。



>まあね、リアル知人からしたら、だはは、グリフォンさんらしいなで終り
ま、このへんは以前書いたように「対立してる人への人物評」に関する書き手の信頼性がどーもね(笑)。
まあ契約が難航した某強豪選手(&マネジャー・トレーナー)ほどへの悪意はないだけ、まだましとすべきか(笑)。
リアル知人から見たら今回のも「人物評が信用できないのがメモさんらしい」「…(面白いことかけたが削除)なのがメモさんらしい」で済むっちゃすむだろうが。



>ずれてなきゃそれは同じモノであって、ずれどころか、ウェブとメールという元々違うもんだから補完になる
ん?届き方が別なら届ける項目が同じでも補完になるでしょ?それを「ダブルチェック」だと書いたじゃん。現在公式では「みんなの反応(@つながり)」とメールで受け取る通知に、DM関係は特に違いがあるでしょ?その差の話だよ?




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さて、最後に、上に出てくる「実現可能性」のはなしにからめて、ちょっと書こう。
むしろこれが、不毛な相手との対話の中で、ほかの人にも考えてほしい大きなテーマ、根本の出発点だったかもしれない。



自分がなぜ、こういうデザインの話にも興味をもって何かを書いているかというと、下のリンクに示したものと同じ範疇として捉えて考えているからだ。
たぶん、実務でそれに近い人だと逆に日常的には考えないかもしれないね。
だから、このテーマを最初に提示したほうがよかったのかもしれない。

自分が天下のtwitterさまやグーグル様、はてな様のデザインを語るのは・・・たとえばこういうテーマは、さらに大きなものだが・・・


http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120424/p2
朝日新聞企画「カオスの深淵」が面白い。「母親は2票」「役職は抽選で」など”もうひとつの民主制”紹介

ハンガリーで実現には至らなかったものの、極めて真面目に検討されたという「子育て中の母親には2票を与える」という憲法改正案・・・(略)日本で「年齢別に選挙区をつくる。余命に応じて議席を配分する」という制度を考案した一橋大の竹内幹教授の論などを紹介している
(略)
中選挙区制復帰論」もそうだけど、小選挙区と中(大)選挙区と比例代表と・・・どれを選んでも、結果はことなる。第一院と第二院の権限のデザイン・・・フランス大統領の「二回投票制度」・・・(略)実際にある制度、学者の机上の空論もひっくるめて、こういう制度の比較や「君が作ろう、選ぼう、選挙制度!!」という意識で比較検討させれば、民主主義は鍛えられる



■「テレビ局の視聴率なんて、新聞欄の左右やchボタンの位置で変わるんだよ」説。そして政治も・・・
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120505/p7

本来はそこにちゃんと意味があるべき、考えがなきゃいけないものを、並びだとか色だとかによって左右される・・・という話にロマンを感じるのは、時々自分がここでスローガン的に掲げる「科学(医学的事実)が民主主義の上に立つ」という話の一変形、だからかもしれない。自分で自分の興味のあり方を分類できて嬉しい。
で、好きだから、昔からこういう事例を集めている。



http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090621/p3
■政治家の世襲問題、解決するには…アーキテクチャ論は面白い
有権者は、「一人一人がよく考え、良心にしたがってその人なりの最善の判断の上に投票している」はずというのが民主主義の建前。さっきの言葉で言うなら「正論」
しかし「名前を書くか、記号に丸をつけるかの方式の変化で結果は変わる」というのは圧倒的な現実(だろう)、科学的というか医学的というか、そういうたぐいのものとしておそらく動かしがたい・・・という真実。
この緊張関係を考えるのが、個人的には好きだなあという話でした。


最後のエントリではすでに「選挙制度が代われば新人政治家も当選しやすくなる」という話と、「人を刺せない形状の包丁」「野宿できないベンチ」の話を同じカテゴリーで示してるよね(笑)



上の話も、「年齢別選挙区」がいつ実現するのか、実現可能性はどれぐらいか・・・といえばかなーり低い。
あるいは「若者を教育し、政治参加の意識を高めるべきだ。そうすれば解決する」という別の手段はある。


しかし、そんな反論は無意味だろ(笑)?そしてまた、この研究者が実務的、個人的には、現行制度上で若者の政治意識向上を促すボランティアをやってても、新人議員当選の応援に熱中してても別に矛盾は無い。
自分が世界的大企業であるtwitterやクロームの公式の機能、デザインを語りつつ、そして結局twitterのDM読みのがし対策は「まめに見るようにした。」で終わらせているのは、それと同様なおはなし。