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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

「権力の空白」に…元独裁者ハイチに帰国、チュニジアにも亡命イスラム政党指導者が帰国

日経新聞

ロイター通信は16日、追放されていたイスラム教政党の指導者、ラーシド・ガンヌーシ氏が数日以内にロンドンから帰国すると報道。同氏は1990年代に非合法化されたイスラム政党「アンナハダ」を率いていた。世俗的なベンアリ政権の崩壊でイスラム原理主義が伸長する可能性もある。

 ガンヌーシ氏はチュニジア当局にイスラム過激派として政権転覆を図ったとみなされ、繰り返し投獄された経歴を持つ。チュニジアは56年にフランスから独立して以降、世俗主義を標榜し、国内のイスラム原理主義者などを弾圧してきた。

 アラブ各国で近年、比較的公平な選挙が行われるとイスラム政党が伸長する傾向があり、チュニジアでも民主的な選挙が実施されればイスラム政党が影響を強める可能性もある。

http://mainichi.jp/select/world/news/20110118ddm007030131000c.html

ハイチ:亡命25年、元独裁者帰国 混乱状況に拍車も

 【メキシコ市・國枝すみれ】ハイチで長年、独裁体制を敷き反政府抗議運動を受けてフランスに亡命していたジャンクロード・デュバリエ元大統領が16日、25年ぶりにハイチに帰国した。帰国理由は不明だが、大統領選で混乱する同国の政治状態をより複雑にする可能性がある。

 首都ポルトープランスに到着したデュバリエ元大統領は200人以上の支持者が出迎える中、市郊外のホテルに入った。19歳の時(71年)、元医師で父親のフランソワ・デュバリエ元大統領(在任期間57〜71年)から大統領の座を引き継ぎ86年に亡命するまで大統領を務めた。その間、親子は私兵を使って反対派を弾圧、殺害し

http://www.afpbb.com/article/politics/2782524/6681662?utm_source=afpbb&utm_medium=topics&utm_campaign=txt_topics

1951年7月3日、ハイチの首都ポルトープランス(Port-au-Prince)に生まれたデュバリエ氏は、父フランソワ元大統領が1957年から14年間の統治の間に陰謀や妄想癖を増強させていき、次から次へと市民を拘束しては処刑する様をとなりで見つめてきた。さらに、父親を狙った爆発事件や11度の未遂クーデターにも遭遇している。11歳のときには自らも襲撃され、ボディーガード3人が死亡するなか一命をとりとめる事件もあった。

 腐敗にまみれ残虐な統治が非難される一方で、父フランソワ氏の代名詞ともとなっていた即決処刑をデュバリエ氏が中止したことについては、批判者でさえも評価する。フランソワ元大統領の統治下では、即決処刑による死者は推計3万人に上るとされている。

■国外で優雅な生活

 1990年代後半、デュバリエ氏の統治下で政治犯として拘束されていた人びとが、数年間にわたる拷問は「人道に対する罪」に相当すると主張し、デュバリエ氏をパリ(Paris)の裁判所に訴えた。だが、結果的に、この訴訟は不成立に終わっている。

 一方、国外脱出の際に国庫から多額の資産を持ち出し、国外で優雅な生活を送るデュバリエ氏に対し、公費の返却を求める裁判も、多数行われている・・・

亡命とは明日の勝利を目指してのものだから、祖国が乱れ再び返り咲きを狙える、って時に一躍帰国…というのもそれはありえるだろう。
しかし、亡命先で食うや食わずというわけでもなく、見事に国家財産の横領に成功し、巨万の富とともに優雅に先進国暮らし…をしていたハイチのベビードッグが、最貧困と政府崩壊のここに戻ってくるとはね。独裁者すごろくのある意味「あがり」にはたからは見えるが、それでもやっぱり権力のためには命を賭けても再勝負したくなるのかねえ、と変な感心をさせられる話だった。

もう一方の旧野党指導者の帰国は、かつてドイツ帝国とロシアを結んだ秘密の「封印列車」の故事を思い出した。第一次世界大戦中、こいつを送り込めばロシアは内乱状態になる!と見込んでレーニンをロシアに送り込む訂正ドイツ。しかしドイツ圏で降りられて、こっちで革命運動されちゃたまらないから列車を「封印」して目的地まで送り届けることに・・・

という史実をもとにした

ペトログラード行封印列車 (1981年)

ペトログラード行封印列車 (1981年)

という本があり、傑作だそうな。