予定をすべて変更し、明け方に読んだこの論文を紹介する。
■普遍的価値の擁護者としての「極右」―― リベラリズムのアイロニー 吉田徹
http://synodos.jp/politics/1745
実にどうも、私がこれまでこのブログでさまざまな事例を紹介し、「こういう問題があるよね???」と示しつつ、まとめられなかった思想的課題が、びしっと普遍化・理論化されてまとまっているのです。
実にどうも膝を打った。武藤敬司のシャイニング・ウィザード乱発なみに膝を打った。
「極右」というと、いまだに、スキンヘッドで部屋にナチスのハーケン・クロイツを掲げた愚連隊崩れという・・・ナチスだった経験を持つ年老いたファシストの集まりといった認識・・・こうした描写はまったく間違いだというわけではないが、もはや「ファシスト」や「ネオナチ」といった形容詞でもって極右を語るのは、ミスリーディングという以上に、間違いに近い。
と、吉田氏は語る。
2001年の同時多発テロ以降、ヨーロッパにおいて「文明の衝突」・・・2002年にはオランダの極右政治家ピム・フォルタインが暗殺され、彼が創設した反イスラム政党は議会で第二党となるという、エポックメイキングな事件があった。
ポスト9.11・・・を機にヨーロッパ極右政党は明確なポジション・チェンジをみせたからだ。(略)・・・ファシズムや冷戦時代の反共イデオロギーを掲げるのではなく、むしろ西欧文明に敵対するものとして反イスラム主義を明確にしたのである。しかも、これはたんにイスラム系移民の差別ではなく、西欧的普遍主義の擁護という容を採ることになった。
太字のところ重要よ???????
そして吉田氏は事例を挙げる。
・ハラル(イスラムの教義に従って処理された食品などを差す総称)…が通常の食肉に混ざって流通・・・ハラル問題は、消費者としての権利を阻害
・イスラムの女性が被るブルカ(スカーフ)、イスラム圏ではいまだ一般的な「強制結婚」(家長が娘の結婚相手を一方的に決める)、少数でみられる一夫多妻などは、女性の自己決定権に対する挑戦
・ミナレットの建設禁止も、スイスの風光明媚な景観を守らなければならないとして、国民投票にかけられた
・・・自慢じゃないが、このブログでは上に挙げた事例がニュースになった時、ほぼすべてをここで紹介し、考察をしている。まあ、どれも今の日本では、実例としては数的に少ないわけだが、これらが持つ思想的課題は大きいからだ。
そして、ついこの前、フランスの大統領選挙では国民戦線(FN)をひきいるルペン(娘)党首が17%を獲得、第三位につけた。
・・・・こうした近代的価値と西欧の普遍主義的価値観の擁護者として票を獲得する戦略に出ている。もちろん、こうした政党が高揚して告発する生活習慣や文化的態度は・・・・(略)スティグマ化しているに過ぎない。しかし、FNが掲げる価値に賛成するとする国民は、世論調査によれば60%以上・・・(略)こうした主張をする極右政党を、もはや「極右」ではなく、「ナショナル・ポピュリズム政党」と呼ぶべきだとの主張もある。
強制的に言い換えるとかは必要ないというかだめだが、この呼称のほうが性質がよく分かる、という点ではまったく同意。まずははてなキーワードにして、あとはウィキペディアに。
そして、このまとめは今後、繰り返し引用されていくだろう。されなければならない。
20世紀を通じて構築し、普遍的な価値を持つと声高に主張してきた言説そのものが、逆手にとられている・・・(略)少なくとも、ヨーロッパに関するかぎり、人々の持つ価値観は年を追うごとに、より寛容でリベラルなものになってきている。(略)その価値を守ろうとすればするほど、今度はそのような価値体系を持たない人々や文化との差異が際立つことになる。(略)この一連のプロセスそのものが、実際には暴力行為…ヨーロッパのリベラリズムは、「寛容」を許したことによって、「寛容」そのものを失くしてしまっているという逆説・・・
ツイートで書いた自分の感想。
非常に分かりやすい見取り図だ。旧来的なナショナリズム運動を研究していた松本健一氏と対談して欲しい・・・・・・あ、さっき「松本健一と対談してくれ」といったが、むしろ呉智英や西尾幹二とすべきだわ。近代のリベラル・寛容が普遍化し、他の価値と対立する逆説は彼らの旧来の主張だもの :
おもしろいこと書くなあと思っていたら、この本の著者か!「ポピュリズムを考える」(NHKブックス)
この本は読んでいるのに、最後のプロフィール見て、やっと気づいた(笑)。
古臭い大衆迎合政治と否定されながら、世界的に大きなトレンドとなっているポピュリズム。そこには民主主義の本質があった。伝統的なポピュリズム政治からサッチャー・中曽根のネオ・リベラル型ポピュリズム、そして小泉・サルコジの現代ポピュリズムまで、そのメカニズムを多面的に明らかにする。社会の停滞を打ち破る政治のダイナミズムは、民主主義の根本的な問い直しから見えてくる。ポピュリズムを考える 民主主義への再入門 (NHKブックス)
- 作者: 吉田徹
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自分の「いつかブログで紹介しようと思ってた本を入れとくボックス」(※ここから見つかるだけ、まだマシです)から引っ張り出して、印象的な視点やフレーズを紹介しよう。
おもしろいのは、評伝映画の公開でふたたび注目されたサッチャーについて「自分の信念を貫く、非妥協的な”鉄の女”」というイメージとは裏腹に、実は近代ポピュリズムの元祖だという見方を紹介しているのだ。
サッチャーは決して独裁的名政治手法によって権威を確立したのではなく、むしろイギリスが「病」に陥った理由を労働組合といった一部の既得権益者のせいにすることで、広く賛同を集めたことに特徴があった
いえ、大阪のアンダーブリッジの話してませんヨ?(笑)※
彼女は、義務の生じない権利はないから、人々はまず義務を果たすこと、そしてそのような個人に対してのみ政府は責任を持つことができる、と述べた。こうした個人主義に基づく思考枠組みは、やはり当時の市民から大きな支持を得た。
※くりかえし
じゃあ、ポピュリズムって何なんですかと。
ポピュリズムの核心は、既存の権力の在り処を非難して、その価値体系を丸ごとひっくり返そうとする「否定の政治」にある。こうした「反権力」的な運動を支える基盤を提供するのが、ポピュリズムがポピュリズムと呼ばれる所以である、「人々(peopple)」の概念である。「人々」に属すべき権利が、一部の特権階級によって侵害されている、だからこそ名の無い「人々」は彼らに対して立ち上がらなければならない、という政治的メッセージを、ポピュリズムはつねに発するのである。
それは既存の権力構造を告発し、非難するという意味で民主主義において不可欠な批判の機能を担っていると言えるし、他方では対立を煽ることで既存の権力構造を揺り動かそうとするため、極めて偏屈で閉鎖的な政治を作り上げることもある。ポピュリズムは「人々」がどのように構成されるかによって、そのどちらかでもありうるのである。
https://twitter.com/#!/t_ishin
おや、マウスがすべって何か貼り付けた。
まあそっちの話題は、上で紹介した「イスラム的価値観と、ヨーロッパ的価値観転じて「普遍」となりしものの対立」−−−という話とはあんまり関係ない、というか別物であり、ちょっとそこは分析の角度をかえないといけないな。吉田氏の同書は、一般的なポピュリズムとしてサルコジやベルルスコーニを中心に論じていて、こっちはこっちで十分勉強になるのだが、正直にいうと、今回の「シノドス」論文のほうが何倍もキレがあった(笑)。これは自分の興味の範疇にそっちのが近い、というだけかもしれないけれども。
参考リンク〜これらすべては、今回の「吉田徹論文」の露払いに過ぎなかった!!
■(今年2月)11日はピム・フォルタインの「フォルタイン党」結党から10周年。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120212/p4
■”覆面禁止”の法哲学。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120203/p4
■イスラム批判で知られるオランダの政党指導者、訪米し影響力拡大へ
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120130/p3
■パキスタンの「預言者冒涜」問題、閣僚暗殺にまで発展http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110309/p5
■「預言者冒涜罪」が生んだ暗殺事件、犯人は英雄に…パキスタン
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110214/p5
■ついに「ムハンマド風刺画」でテロ組織は、掲載新聞社の直接襲撃を狙った
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20101230/p7
■コーラン焼却牧師、モスクに接近することを禁止される&逮捕もされたそうだ
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110429/p7
■偏見が生んだ不当判決か、陰謀に打ち勝った言論の勝利か。イスラム批判?or中傷?の政党党首発言に無罪(オランダ)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110627/p2
■差別でもDisでもなく、純粋に「私は嫌いだ」と言う権利…マドンナのあじさい騒動で考える。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110918/p2
■「嫌う権利」話補遺…「僕らは寛容だ、だから非寛容のイスラムは敵だ」について再掲載&関連リンク増補
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110921/p6
■「僕らは寛容だ、だから不寛容のキリスト教は敵だ」…聖書のある言葉を、壁に張ることを英国で禁止
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110928/p7
■「旗」をめぐる自由の境界−−あるいは限界(エピソード集から)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20080421#p4
■「コーランを焼こう」という催しがアメリカで企画。自由とは、寛容とは。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100802#p2
■「9.11コーラン焼却集会」秒読み。ニューズウィークの論評に見る限界
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100909#p5
■「アラブ系が多い街に行って豚肉とワインで宴会しようぜ!」運動が国家権力の弾圧で中止(フランス)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100617#p3
■「5月20日、全世界で一斉にムハンマド(イスラム教開祖)の絵を描いて表現の自由を訴えよう」というキャンペーンが始まった」(町山智浩)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100512#p6
■ムハンマド風刺問題、続き
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100513#p2
■このブログでさんざん論じた「ムハンマド風刺画」「コーラン焼却」もエスパー魔美メソッドは通じるか?http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20101011#p4
■ムハンマド風刺漫画問題。あるフィクション