昨日のNHKの番組は見ることができなかった。津波でも放送はされたのかな?
で、まあ「正月をすごすということで、一区切りをもともとつけるつもりだった」という理由で、この人は政府の役職をいま退いている。
さて、民主党・自民党のちがいはあるが、北岡伸一という、東大教授でありつつ、この前まで国連大使だった学者さんがいる。
この人がこの前書いた日経新聞夕刊の記事をこの前もらった。日付をコピーし損ねたのだが、たぶん昨年末。まさに湯浅氏が年越し派遣村の準備をしていたとき、と言っていいかもしれない。
ゼミの時間にときどきテキストを離れて、現代の問題について「君ならどうしますか?」と質問することにしている。少し前のことだが、フジモリ元ペルー大統領が日本に亡命をしようとしているが、君ならどう判断するか、李登輝元台湾総統が訪日しようとしていて中国が反対しているが、君ならどう判断するか、という具合である。
すると、 「えっ、僕が答えるのですか」
「そうです」
「えっーと、個人的には…」
「君は一介の学生だよ。個人的な立場以外にあるはずがないんだから、そんな前置きはいらない」
「……」
という風に話が進む。答えが正しいかどうかはさほど重要ではない。その問題を考えるための基礎的な知識をきちんと身につけていて、それを使いこなせるかどうかが、重要なのである。
20年近く前、ある高名な評論家に、「意見の賛否は別として、この北岡という人は、いつもバッターボックスに立っている」と言われたことがあった。大変な賛辞だとありがたく受け止めて、そうありたいと努めている。
大体、自分が責任者だと思って考えなければ、真剣にはならないものだ。どうせ誰かが決めてくれるだろうという態度では、進歩はない。バッターボックスに立って、凡打や三振を繰り返して人は成長するのだと思う。
私は普段からストレートなもの言いをする方なのだが、ゼミの中ではかなり放言もしている。学生諸君がそれをおもしろがって、「北岡伸一語録」なるものを作ってくれた。
そのトップにあったのが「バッターボックスに立て!」だった。私の願いに共鳴してくれたとしたら、うれしい。
ふう写すの疲れた。途中で3回もPCの電源落ちるし(はてなの充実したバックアップシステムに感謝!)。
んで、北岡氏はバランスの取れた名学者だが、ここに書いていることに賛同しているわけではない。特に学者や言論人の場合、「バッターボックスに立つんじゃなくて、バックネット裏からちゃんと試合を見ていろよ!!」となることもしばしばだ。
有名な言葉を借りて、悪意にとれば「『バッターボックスに立て』は権力亡者や目立ちたがりの最後の隠れ場」ともいえる。
ただ、小泉政権下で活躍した北岡氏の書いた文章を知ったちょうどその日に、政権交代劇の中のある種の隠れたスターとなった湯浅氏の番組がテレビで紹介され、たまたまブログを書いている当方がそこに共通点を感じた、という面白い符号があったというだけである。
湯浅誠の番組の再放送は以下の予定だという。
http://www.nhk.or.jp/special/
2010年3月3日(水)
午前1時35分〜2時25分 (2日深夜) 総合
権力の懐に飛び込んだ男 100日の記録