http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/newest/
【特別読物】司馬さんと戦車(下)/秦郁彦
当然、この前の号は(上)があるのだろうが、こんな小さな扱いをされるべき話じゃないって。
- 作者: 司馬遼太郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1980/05/27
- メディア: 文庫
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という、司馬エッセイの中でも最高級の評価を受けているものに、真っ向から見直しを迫る論文なのだ。
詳細は同誌として、内容要約すべきかと思ったが、すでに前号もあるしどこかから引用しようと思って検索したら、まだ意外なほどない。
やっと見つかったのは兵頭二十八氏のブログだ。
http://sorceress.raindrop.jp/blog/2009/04/
■ 『新潮45』の「司馬さんと戦車」(下)を読みて
2009年04月18日 14:11秦郁彦さんが『新潮45』の4月号と5月号に、司馬遼太郎についての2回続き読物を寄稿していますね。
今号では、有名な「轢っ殺してゆけ」エピソードは創作だった――と、ほぼ結論が示されました。そうだったのか……。納得です。
戦中の国産戦車の戦略自走機動速度なんて子供の自転車よりも遅いだろうし、交通整理憲兵が経路を先行するはずだからおかしいと思ってました。
大本営参謀の少佐とやらのモデルが、寺本弘氏だと思われていた事実があったとは…(略)
読者として、ヤスリ実験の真相についてもスッキリした解明を期待してましたが、そっちは秦さんにいまひとつご興味がなさそうです。つまりじつは1式砲戦車か何かの防盾を削ったんじゃないかという疑問をわたしはずっと持ってるんですが・・・(略)
立ち読み記録で補足すると
秦氏の「ひっ殺してけ」(内容知ってる前提で書きます)へのクエスチョンは
・あの時期あの場所にいた、あの肩書き(役職)の人物なら調べれば特定できないはずがないのだが、どう調べてもわからん
・シチュエーション的に司馬の身分で、話したとされる人とああいう会話ができるか?
・書いている媒体で、デティールに違いがある
・本人が「あれはフィクション」とほのめかした(明言した?)のを聞いたという証言がある(戦友があるミニコミに執筆?)
最後の話が一番肝心で、これは新潮45には実名が書いてあったはずだが忘れた。とにかくネットの記録にもあとで残そう。
あと、兵頭氏が書いているヤスリというのは、砲塔がヤスリで削れるような材質だった(特殊鋼材なので本来ならあり得ないが、それほど劣化している)という思い出で、たしか戦車に詳しい人たちの間で「あり得ない」「いやあるかも」という議論が数年前にあったような。
【補足】もう少し、いろんなキーワードで検索したら見つかりました。
上のやつは、書かれた当時読んだはずだ。
■司馬遼太郎伝聞の「(戦車で)ひき殺していけ」はいつどこで誰が言ったのか
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20061025
および
■司馬遼太郎伝聞の「(戦車で)ひき殺していけ」発言に対して、軍人は何と言っているか
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20061029/hiki3
■戦車の砲塔とヤスリの話
http://www.warbirds.jp/ansq/3/C2000351.html