今日も少し時間が無いので、手軽に突っ込める彼の話題でエントリーをば。
http://ameblo.jp/sataka/entry-10169076069.html
経由で毎日新聞に載った佐高氏の議論を紹介。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20081120dde012040011000c.html
俺もこの珍論を保存しておこう。
◇「問答有用」の社会に戻せ−−佐高信さん
「テロ」の表現は何かおどろおどろしく、「襲撃事件」が妥当だと思う。事件そのものの性格や定義は、事件をどう呼ぶかが決めてしまうので、慎重でなければならない。まずは亡くなられ、重傷を負われた元厚生事務次官と家族にお悔やみとお見舞いを申し上げて以下の話をします。
今回の事件が、5・15事件や2・26事件のように政治家が対象とならなかったのは、政治家不在の「官僚天国」という現在の国のあり方を端的に示しているのではないか。国家システムの中にある役人と、周囲には温厚誠実だったという元次官2人の個人の問題は別です。亡くなった山口剛彦さんは「年金のスペシャリスト」と呼ばれていた。今回の事件の背景や動機は分からないが、役人として良い年金制度を作れなかったことが原因となった可能性もある。
小泉(純一郎元首相)さんが首相になった後の社会には、論議を嫌う「問答無用」の雰囲気が強まっていると思う。私の言動に対する抗議や行動も年々激しくなってきている。田母神(俊雄・前航空幕僚長)論文の問題でも、田母神さんは「自衛官も言論の自由がある」と言った。しかし、言論の自由とは、相手の言論も認める自由であって、自分の主張だけを並べ立てる自由ではない。首相で言えば、小渕恵三元首相は私の肩をたたきながら「批判する人も必要だから」と言うような人だった。問答無用ではなく、「問答有用」の社会に戻さなければならない。
襲撃事件はまったく肯定しない。ただ、年金問題を知れば知るほど私は恐ろしくなってくる。社会保険庁は国民が加入する国民年金は流用したが、公務員の共済年金からは流用しなかった。国民の年金の実態への怒りは、あまり表れていないが、日本列島を覆っていると思う。国民の怒りや老後への不安が、政治家や役人に伝わっておらず、政治家や役人は共有する姿勢もみせない。政治家や役人が公僕たる務めをまったく果たしていない。
政治家や官僚、官僚OBが周囲の警備を強化するのは必要だ。必要だが、国民の年金を流用していたしょく罪意識を持たなければならない。政治家や役人にそのしょく罪意識がないことが、今回の凶行に走らせた「時代の空気」だった可能性もあると思う。
紹介したブログのコメント欄にも書かせていただきましたが、それをこちらにも再録します
私は事件当初から「テロと呼ぶべきか」について語ってきたのですが
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■厚生省元幹部・家族連続殺害事件。いつ犯罪を「テロ」と見なすのが正しい態度なのかhttp://d.hatena.ne.jp/gryphon/20081121#p6
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その実績?をもとに採点すると、佐高氏のこの文章は落第もいいところです。
というか、そもそも最初の「テロと呼ぶのはおどろおどろしい」と後半の文章が論理的につながっていないんですよ。「背景や動機は分からないが、役人として良い年金制度を作れなかったことが原因となった可能性もある。」じゃあね。
それから、テロの定義的に今回が当てはまらないのなら、本来、伊藤一長長崎市長が殺害されたのもテロとは定義しにくいと思います。
・田母神批判も自爆もいいところ、。田母神は今回に関しては「相手の言論を認めなかった」わけではないのだから。
・小渕が肩を叩いたからなんなんだね(笑)その手の話でいいなら、貴方が褒める故筑紫氏と小泉純一郎との、オペラや映画を通じた交友は終生続いたのだが。
・というか貴方の父親の葬儀に、立場の違いを超えて弔電を打った自民党議員を「保守系の政治家の厚顔さ」とののしったのが佐高氏本人では(苦笑)
、
などなど続きますが、すでに長すぎますのでこのへんで。あとで自分のブログに書くかもしれません
■田母神の議論は本当に何がいいたいのだ、という話だ。
今回は外形的には、田母神の主張をよしとしなかった側が、言論を理由に幕僚長を辞めさせたのだから、それに対し「言論の自由とは、相手の言論も認める自由であって、自分の主張だけを並べ立てる自由ではない」って、結果的に田母神弁護論だよ!!だからこそ秦氏らが「内容的にお粗末で、能力的な問題として役職を辞めてもらった」という形で筋道をつけたというのに。
■それにだ、「政治家や役人にそのしょく罪意識がないことが、今回の凶行に走らせた「時代の空気」だった可能性」というけど、加藤紘一実家宅放火事件ではその「時代の空気」を作ったとして小泉純一郎らを批判していたじゃん貴方。そうすると、厚労省を保険の問題などで批判する”時代の空気”を作った人がけしからん、という話になってくるのではないか。鏡持ってきます?(笑)まあ、貴方はこの問題でも、空虚なアジテーションだけだったけどね。保険・年金批判を論理と事実で行ったのは、週刊金曜日的には非常に扱いにくい岩瀬達哉氏だ(爆笑)。
これも繰り返しだけど「時代の空気を作った」とか「そういう風潮にした」といった論理で、その影響されたかされないかもよく分からない、別の犯人(容疑者)の別の直接的なテロ・犯罪に「おまえは責任がある」、と攻撃する論法は、このようにして自分にも刃が向くかもしれない愚かな議論だ…ということを、今回は身にしみて感じたのではないか。そういう感受性があれば、の話だが。
■上でも触れた『小渕恵三元首相は私の肩をたたきながら「批判する人も必要だから」と言うような人だった』という肯定的な言い方と矛盾するのがこれ。「政治的意見が異なる人に、丁寧に、礼節を守って接した」という類似の政治家エピソードを、佐高氏がいかにご都合主義的に扱うかのいい例証になるので紹介させていただきます。佐高氏が「加藤宅放火など、『問答無用の時代の風潮』を作った」と評する小泉純一郎の名前も登場。
週刊金曜日「風速計」より。全文は
http://www2.kinyobi.co.jp/KTools/fusoku_pt?v=vol465
弔意(佐高 信)
93歳の父の死に際しては、本誌関係者をはじめ、いろいろな人たちから弔電や供花を頂戴したが、高市早苗からの次の弔電にはいささか驚いた。
「ご尊父様のご逝去の報に接し心よりお悔やみ申し上げます。ご遺族の皆様のお悲しみをお慰めするすべもございませんが、今はただ故人のご冥福をお祈り申し上げます」
「経済産業副大臣 衆議院議員」の肩書つきでのそれに虚をつかれたのは、私が高市の発言や行動を厳しく批判し、かなり激しく斬り捨ててきたからである。
多分、それを承知でこうした弔電をよこす。とりわけ保守系の政治家の厚顔さには慣れているつもりだったが、改めて、そのことを知らされた思いだった。
「公明党代表 神崎武法」のそれもあって、こうでなければ選挙を勝ち抜けないのかもしれないな、と複雑な気持ちになったのである。
ずいぶん前に、たしか、参議院選挙開票直後のテレビで各党の国会議員と一緒になり、その時は自民党と公明党が勝ったので、自民党の加藤六月(当時)に対しては、
「佐川急便疑惑は自民党政治がもたらした宿便だ。ロッキード便にリクルート便、それに佐川急便が重なった」
と糾弾したら、彼は真っ赤になって、
「それは自民党に投票してくれた人たちに対する侮辱だ」
と怒り、私をにらみつけた。ところが、番組が終わるや、笑みを浮かべて私に近寄ってきて、
「ヤアヤア、サタカせんせい、今日はお世話になりました。これからもよろしく」
と握手を求めたのである。
心中はもちろん違うのだろうが、その急変身に私は口をあんぐりという感じだった。
公明党の二見伸明は、PKOで変わったコウモリ党と攻め立てると、番組が終わっても怒っていた。
しかし、コウモリは与党入りしてさらに厚かましくなったようである。それが神崎の弔電なのではないだろうか。
小泉純一郎は肩書なしで弔電をよこした。これはメディア懐柔に長けた、あの太めの秘書のチエかもしれない。
もう1人、肩書なしの政治家の弔電は加藤紘一のそれである。こちらは、現在、つける肩書がない。
葬儀での土井たか子社民党党首の弔辞などには恐縮するばかりだったが、書一筋に生きた父は、私にとってある意味で“永遠のライバル”だった。・・・(後略)
・・・ちなみに、最後のをあらためて読むと土井たか子氏がわざわざ佐高氏の亡父・兼太郎氏の弔辞を読んでいるようだが、上に書いてあるように、山形県の教育者・地方文化人として「書一筋に生きた」兼太郎氏が、土井氏と直接親しい友人だったとは少々考えにくい(確証は無いので、そうであったら失礼)。
息子の佐高信氏とは共著も出すなど、政治的にも個人的にも親しい。
父親の葬式の場で佐高氏は、故人とのつながり?より、自分と関わる、元衆院議長、元政党代表という「政治的な大物」「権力者」におそらく弔辞を読んでもらったのだなあ。
・・・・「出版パーティや子供の結婚式に政治家を呼んだ」と田原総一朗氏や田勢康弘氏を批判してなかった、あなた?そういう批判は、自民党限定?