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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

靖国神社放火事件。いつ我々は、或る事件を「テロ」と認定し、怒りを表明すべきか。

http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2847556/8232196

【12月26日 AFP】26日午前4時ごろ、東京都千代田区靖国神社(Yasukuni Shrine)の境内で出火し、「神門」と呼ばれる門の一部が焦げた。

 靖国神社によると、警備員がすぐに火を消し止めたため大事には至らなかった。1934年に建てられた神門は高さ約13メートル、幅約28メートル。左右の扉にはそれぞれ中央付近に大きな菊の紋章が取り付けられている。
 出火前に門に液体をかける不審な人物の姿が神社の防犯カメラに映っていたことから、神社では放火とみている。なんらかの燃料油が入っていたとみられる2つのガラス容器を警察が現場で発見したと報じられている。
在日コリアンとおぼしき人物が靖国神社に放火するとツイッターTwitter)に書き込んでいたという報道もある。しかし警視庁の報道官は、出火前にそのような書き込みがあったことは把握しているが、天皇や首相に対する脅迫の書き込みは毎日ネットに書き込まれており、そのようなケースは全て捜査していると述べ、特別なことではないと説明した。(c)AFP

被害者にはまず、お見舞いを申し上げたい。

さて、
以下のテーマを、当ブログでは長年論じてきました。
「ある犯罪事件を、いつの段階で『テロ』とみなす(強く疑う)べきで、それに対しての怒りを表明すべきなのか?」
「そもそもある事件を『テロ』とみなす条件は?」
といったことです。
例示しよう
加藤紘一元外相山形宅放火事件
島村宜伸元農相事務所ビル放火事件
・「建国義勇軍」事件
長崎市長射殺事件
・元次官連続殺傷事件
村崎百郎氏刺殺事件
アリゾナ州下院議員銃撃事件

などなど。
この中には「テロと当初うたがわれていたが、やっぱりテロだった」という事件もあり、捕まって公判が進んでみれば、「テロ」と認定するのは不適切であったり。
たとえば…続報を追っていない人も結構いるでしょうから、最後の事件についてあらためて。思えば今年の事件だね

銃乱射被告に責任能力なし 精神疾患と米アリゾナ州の地裁
2011.5.26 08:05

 米アリゾナ州トゥーソンで1月に発生、6人が死亡しギフォーズ連邦下院議員らが重軽傷を負った銃乱射事件で、同州の連邦地裁は25日、殺人罪などで起訴されたジャレッド・ロフナー被告(22)は精神的な疾患のため責任能力がないと判断、期限を設けず公判を中断することを決めた。米メディアが伝えた。 被告は連邦政府の医療施設に移送され、裁判を受けられる状態に回復するかどうか、最大4カ月間、経過を観察する。

 捜査当局は事件直後から被告が「精神的な問題」を抱えていると指摘。起訴後、同地裁の決定により医師2人が3月下旬から5週間にわたって被告の精神鑑定を実施していた。(共同)

これを受けて、自分はこう書いた。

アリゾナ下院議員銃撃事件、被告に「責任能力無し」…当時の「ティーパーティやペイリンが憎悪を煽ったからだ!」という論調の是非は。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110622/p3

もっとも、最長4カ月経過観察するというから、一転訴訟は継続する可能性もある(結論がどこかに出てたら教えてください)。

あるいはくしくも昨日、二審で死刑判決が出た小泉毅被告。
死刑判決が出た以上、精神的な疾患とかは無い。
しかし、被告の主張が正常な精神状態から出たとすると、「動物愛護思想によるテロ」とみなせる可能性があるのではないか?と以前思った。

元厚生次官連続殺人は「過激動物愛護主義者による政治テロ」と認定すべきか?
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20091128/p5

その他関連の記事
■厚生省元幹部・家族連続殺害事件。いつ犯罪を「テロ」と見なすのが正しい態度なのか
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20081121#p6
■「元厚生省事務次官連続殺人を、当初テロ扱いしたことを反省せよ」と青木理氏(週刊現代
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090112#p6

ところが一方で、新聞報道によると!二審の判決は

「一見純粋であるかのようだが、口実として脚色された疑いが強く、重視するのは適切ではない」「攻撃的な感情を高ぶらせて、元官僚らの殺害自体が目的となった」

と認定したのである。



ことほどさように、「テロ」を決めるだけでも結構むつかしい。
今回の靖国神社放火は、間違いなく放火を行った犯人はいるが、上記のように精神病がなさしむる可能性もあるし、個人的な恨み、悩みが原因かもしれない。放火そのものが楽しみなのかもしれない。
その一方で、新聞などでも報じられた「twitter上の予告」。これも関係あるかもしれないし、無いかもしれない。


こういうとき「あるかもしれない」に基づいての報道・推論はしていいのか、どうか。

悪魔の詩」翻訳者が刃物でのどを切り裂かれたことと、イランのアヤトラ・ホメイニが「悪魔の詩」作者に死刑判決を出したことを関係づけた推論はしていいのか、悪いか。
赤報隊事件だって、事件と右翼思想を関連付けるのは犯行声明「だけ」だからテロと断定できない、なんて論法も強弁しようと思えばできる。

だが、さらにややこしく
「いち早くテロには怒りと被害者への連帯を表明すべきだ!それが遅れたり、あいまいだったりするのはけしからん」という論法がある。
小泉純一郎(加藤宅放火事件)、
安倍晋三長崎市長銃撃事件)
麻生太郎(次官連続殺傷事件)
はそれで叩かれた。けっきょく最初のだけは政治テロと認定し得るが、麻生が批判された事件は上記の通りだし、長崎市長の銃撃は「公共事業に絡んだ逆恨み」だった。


今回の靖国神社放火事件は、どうなっていくか。

結局、この言葉は理性的だったのか?

「捜査当局において厳正に捜査が行われ、真相が究明されることを望む」

と、安倍晋三長崎市長銃撃に際しコメントを出して、テロへの怒りが不十分だと批判されたものだが、今から思うと中庸を得た理性的なコメントだったのではないかね。